「冬至ちゃーん!!来たぜー!!」
ハイテンションな声と共に入ってきたのは、高そうなスーツ姿に真っ白な髪の、怪しげなお兄さんだった。
離れてても分かる香水のにおい。私はとっさにおむすびときのこ汁を腕で隠し、においから守った。
「虎ノ門さん、いらっしゃい。」
冬至さんは慣れた様子で、香水お兄さん…虎ノ門さんをカウンター席へ着かせた。
その際さりげなく、私と私のご飯達を、カウンターの一番隅の席へと避難させてくれたのがありがたい。
「は〜〜やっぱここだわ。実家感あるなぁ。
あ、冬至ちゃん!いつものちょうだい。」
虎ノ門さんは全身を伸ばして寛いでいる。
口ぶりからして常連みたいだ。
冬至さんは調理場下のケースから、オーダーされた“いつもの”を取り出す。
何だろう?高いワインとか、ウイスキーとかかしら。
「はい、笹団子ね。
虎ノ門さん、これ好きだね。」
提供されたのは、笹の葉で丁寧に包まれた新潟県の名産品だった。
北陸物産展以外で見たの初めて…。
「これ!これだ〜っ!!」
虎ノ門さんは慣れた手つきで笹を剥くと、中のお団子を美味しそうに食べ始める。
派手な格好に反して、笹団子を両手で持って食べる姿はとても素朴だ。
それにしても、もっちもちに蒸されたお団子のなんて美味しそうなこと…。
まだ手元に冬至さんのご飯が残ってるのに、私は笹団子を見つめて思わず生唾を飲み込んだ。
「んあ?」
よほど盛大な生唾音だったのか、笹団子に注がれていた虎ノ門さんの視線が、私のことを捉えてしまった。
「あれ?お姉さん見ない顔だねぇ〜!
この辺のひと?ウチの店来たことある?」
「え!?」
虎ノ門さんは笹団子を食べてご機嫌になったのか、離れていた座席を横スライドして一気にこちらへ詰め寄ってきた。
あ、近づくと笹の葉の良い香り。
「こんな激シブ居酒屋に若い子なんて珍しい〜!え、ナニ、冬至ちゃん目当て!?」
「エッ!?…イヤイヤ!」
出会い頭に図星を突かれたものだから、私は全身で否定のポーズを取ってしまった。こんなに詰め寄られては、完全に主導権を握られてしまう。
「…虎ノ門さん、あんまり他のお客さんに絡まないでくださいよ。まだ食べてるんだから。」
不機嫌そうな冬至さんがやんわり釘を刺してくれるけど、虎ノ門さんの目は狙いを定めた猫のように、私から逸らされない。
「オレ、表の繁華街のホストクラブ “moon over” で働いてんの!
虎ノ門ね!もし店来たら指名ヨロシク〜!」
「え…あぁ!なるほど、ホストのひと。」
虎ノ門さんはさらにグイグイ詰め寄り、「お近付きのしるしに」と握手を求めた。お団子でペタペタになった手を握るのはさすがに抵抗がある。
…でも営業職たるもの、初対面は大事にしなければ。
当時教育担当だった先輩の教えを守り、私は得意の営業スマイルで、虎ノ門さんの握手に応えようとした。
「虎ノ門さん、頼みます。マジで。」
気づけば、私の手には新たな湯気を纏う、きのこ汁のおかわりが握られていた。
握らせたのは他でもない冬至さんだ。
吊り目をさらに鋭くさせて、虎ノ門さんを牽制している。気を遣って止めてくれたんだ…。
「え!?オレ迷惑だった!?
ごめんて!ただ笹団子の肴にお喋りしたかっただけなんだって!」
虎ノ門さんはその場でシュンと大人しくなり、お団子の残りを頬張り始めた。
私もこれまでの居酒屋経験から、居合わせたお客さんと喋るのはそんなに抵抗無い。
まだほんの少し残っているビールのジョッキを持って、ちょっと勇気を出して話しかけた。
「私、月見と申します!常連2日目の新人です。虎ノ門さん、どうぞヨロシク!」
「え……。」
一瞬、虎ノ門さんが固まる。
そしてひとつ瞬きをした次の瞬間には、彼の体は2倍以上に膨れ上がっていた。
「!?」
スーツのジャケットをはち切れさせて現れたのは、白いふかふかの体毛と、黒い縞模様。
2mはありそうな長い尻尾と、私を見下ろす大きなふたつの黄色い目玉。
人間の姿だったはずの虎ノ門さんは、一瞬でホワイトタイガーに姿を変えたのである。
「………!!!!」
私はビビって言葉を失う。
当然だ。ホワイトタイガーなんて那須の動物園でしか見たことない。それがまさか人の姿からいきなり変身するだなんて。
私の胸中を察してか、厨房の冬至さんがブチ切れ5秒前の形相を見せる。
ーーーダメ!ダメよ美郷!先輩に教わったでしょ!
例え得意先のお客様の鼻から一本毛が出ていたとしても、顔色ひとつ変えちゃダメ!
相手様を不快にさせない!それが鉄則!営業職の誇りを冬至さんに見せなくちゃ!
「…え、えへ。へぇぇ。
き、綺麗な毛並みですね…?」
私の鋼のメンタルは、結果的に正解だった。
虎ノ門さんは虎の姿のまま、顔をパッと明るくしたのだ。
「嬉しいなぁ〜月見ちゃん!!
この姿見たら大抵の奴はドン引きするのに!」
大きな肉まんみたいな肉球にふかふかと握手をされるのは、嫌な気はしなかった。いやむしろ、これはこれで良い…。
でも問題なのはこの後だ。
虎ノ門さんは私の手から、ほんの少し残ったビールのジョッキを掬い上げると、
「今夜は祝杯じゃ〜!!
大江山に新しい常連客が誕生したお祝いじゃ!!」
そう高らかに宣言し、少量のビールを一気に煽った。
「…虎ノ門さん、本当やめてもらっていいですか?」
そんな冬至さんの忠告も間に合わず、ビールを飲み干した虎ノ門さんがどうなったかというと…
「ヴッッブプ…!!!」
突然口元を押さえて、真っ直ぐ店奥のお手洗いへと駆け込んでしまったのである。
ドアが強く閉められ、微かに漏れ聞こえてくる凄惨な物音から、私は察してしまった。
「……お酒苦手だったんですね。
ごめんなさい。私悪いことしちゃった……。」
「いや。月見さんはマジで何一つ悪くないから、気にしないで。」
空いたグラスを下げながら、冬至さんは私に言った。
「今の虎ノ門さんがそう。白虎だ。
テッペン横丁に来られるのは基本、あやしいひとだけ。」
そんな場所になぜか来てしまった…いや、迷い込んでしまった者が一人。
「月見さんは、人間だよな?」
冬至さんの笑顔の奥に、私の思惑を見通すような鋭さを感じてしまう。
…ううん。思惑なんてあるもんか。
私はただ美味しいご飯とお酒が好きで、ここにいる。
冬至さんの笑顔に癒されたくて、ここにいるのだ。
「…に、人間だったら、私のこと…出禁にしますか…?」
今の私はひどく不安げな顔をしていると思う。
「いや。そんなことしないよ。
むしろ、料理が人間の口にも合うことが分かって、ラッキーって感じ。」
「へっ?」
冬至さんは少し身を乗り出して、やや高めの位置から、カウンター席に座る私の顔を覗き込む。
その目はとても穏やかで、まるですべてを肯定してくれるかのよう…。
「腹が減ってやって来たんなら、人間も人外も関係ない。俺のお客だ。
だから、たくさん食べて元気出しな。月見さん。」
「………。」
私はこのテッペン横丁を見つけたことを、心の底から良かったと思えた。
疲弊してガチガチに凝り固まった心が、どんどん柔らかく解きほぐされていく。
美味しいご飯と、よく冷えたお酒と、
「…わたし、…好き、です……。
…冬至さん………」
“冬至さん”に出会えて、本当に嬉しい。
「………の、ごはん…。」
「そうかい、ありがとう。」