翌週金曜日。

待ちに待った華金の夜。浮き足立つ私を止めたのは、課長の鶴の一声だった。

「月見、22時から営業2課の飲み会やるぞ。
お前も仕事切り上げて来い!」

直属の上司である松岡課長の言葉に、私は愕然とした。

職場の飲み会。気の進まない飲み会に駆り出されるのは、なんと今週2回目。

若手はお酌要員兼、上司先輩方のご機嫌取り要員だ。
注げと言われれば注ぐ。飲めと言われれば飲む。
常に笑顔で「ありがとうございます」「ご馳走様です」と言うのが定型だ。
まるで昭和の体育会系。でもこの令和の時代にも、そんな古い形態は実在してしまっている。


駅近の繁華街の中にあるチェーンの肉バルで、私含め営業10名での飲み会が始まった。
私は、若手の中では一番お酒が飲めるから、いつも松岡課長の隣に座らされるのがお約束だった。

「月見はもっと周りを見習って、自分の頭で考えたほうがいいな!」

早くも呂律を怪しくさせながら、課長はいつものお説教を言い出した。
私はニコニコしながら、それを聞く。

「先輩方には本当お世話になりっぱなしです!
自分で考えられるよう努力してるつもりなんですけど、まだまだですね、あはは。」

「ハッハ、最近の若者は打たれ弱いから、こっちも気を遣うんだぞ。
んーまぁ、先週土曜の社内プレゼン、あれはまあ良かったな。」

社内プレゼンという単語に、私の心臓が嫌な鼓動を始める。

「え!?あれ個人的にも力作だったんです!
課長のご意見お聞かせいただけますか!?」

でもそんなことは表面には出さず、お酒の力を借りて笑顔を作った。


「あれ、辞めた進藤(しんどう)の企画をブラッシュアップしたんだろ?
文体とか構成とか、まんまだもんなぁ。
だから、よく出来てたよ!」


「え?」

なんでここで、私の新卒の頃の指導担当である、進藤先輩の名前が出てくるんだ。

「…イ、イヤイヤ!
確かに進藤先輩のことは尊敬してましたし、考え方の影響は受けたかもしれないですけど、きちんとイチから作ったんですよ!」

「とぼけても無駄だぞ、月見。
お前だいぶ進藤に可愛がられてたからなぁ。お蔵入りになった企画なんかも貰ってたんだろ?」

「は、初耳です…。」

「仲良かったよなぁ。当時営業部の中じゃ、あの二人はデキてるって噂だったくらいだ!」

「そんな、ナイですよ…。」

心臓が再びドクンと跳ねた。
課長の悪ふざけに同調し、他の先輩達が加勢する。皆一様に、既に酒に飲まれている。

「いや、月見、あれは無理ないって!
進藤イケメンだったし、優しかったしな!
いくら妻子持ちでも、好きになる気持ち分かる!」

先輩に背中を叩かれながら、頭の中でひたすら「違う、違う」と連呼する。
でも、表面上の私はずっと笑ったままなのだ。

「イヤ、ハハ…ひどいなぁ、私残業して頑張って企画考えたんですよ。それがたまたま似ちゃって。」

「大丈夫、大丈夫!
どうせお客もそこまで気づかない!」
「内輪だけの秘密にしといてやるから!
反省して次から頑張ればいいんだ!」
「お前だけじゃないぞーしんどいのは!」

誰も私の話を聞いてないんだ。私を見てくれない。
皆が見てるのは「社会人2年目の若手女子社員」だ。

「月見、全然減ってないじゃないか!
もっと飲め!そんで来週からバリバリ頼むぞ!進藤センパイはもういないんだからな!」

課長が瓶ビールを掴み、私のグラスに注ぎ足す。元々半分も減っていなかったグラスからは、当然ビールが溢れてしまう。

その光景を見た周りからは、

「あーホラ!早く受け止めろ!」
「課長にお酌させちゃダメだろー!」
「今更飲めないフリとかいいから、ホラいけ!」

酒に飲まれた、タチの悪い野次が飛ぶ。

「……あは……。」

でも、私一人は違った。
だって、私は全然酔えてない。
料理も、お酒も美味しいと思えない。場のお喋りも何一つ楽しくない。

グラスから溢れたビールは、そっくりそのまま私の心を表しているよう。

ーーーあ、もうダメだ。

私は笑えなくなった。
唇が震えて、視界がぼやけて、頭の芯が痛いような熱いような感覚に陥る。
上司や先輩方が見ている目の前で、23歳の私はとうとう我慢出来ず、泣き出してしまったのだ。

「………ぅあっ……。」