ライブハウスを出るころには雨はすっかり上がっていた。水たまりに夕日が反射し街全体がキラキラと輝いていた。私は雨上がりの澄んだ空気を吸い込み、小さな銀色のトロフィーを抱えて歩き出す。

「まぁ、また次の大会で優勝しようよ」

 私は決勝で負けた。緊張したとか、大きなミスをしたとか、こちらの問題では一切なく、ただ圧倒的に相手のスキルの方が上だった。きっとリカと一緒でも負けたと思う。それくらい清々しい敗北だった。

「ね? リカ」

 振り返ると、リカの身体はほんのりと光っていた。そんなことは初めてだったが、なんとなくリカがもうすぐ成仏してしまうとわかった。

「え、なんで……」

 戸惑う私に、リカは微笑む。

「わかるでしょ、さっきのラップ。どう考えてもナンバーワンだったじゃん!」
「結局ナンバーワンの定義がわからないんだけど」

 満足そうなリカの顔を見て、これ以上私が言うことはなにもなかった。
 その代わりに、と私はスマートフォンを取り出し動画サイトを開く。

「ねぇ、最後にラップバトルしようよ」

 検索欄に『ラップ ビート』と入れリカを見ると、すでにリカはマイクを握っていた。音楽が鳴り出し、私たちは身体を揺らす。
 先攻はリカから。それが私たちの決まりだ。


 Hey Yo!
 初めて見たとき同じと感じた 私と同じ幽霊だって
 幸が薄いし 生気はないし 私の方が可愛いし
 あんたと話して理由がわかった 紬のマインドまるで解体新書
 本音をごまかし 笑顔はまやかし そんなこんなの子供騙し
 生きていながら死んでいたから死んでる私が見えたんじゃね?


「めっちゃ失礼なんですけど」
「言いたいことあるならラップで返しな」
「言われなくても」
 
 私は拳をマイクに見立て、短く息を吸う。


 Hey Yo!
 私も初めて会った時やばいと感じた どう見てもただの不審者じゃん
 くるりんぱ みたいにド定番 頭の三角に 足なし幽体
 あんたと話して私もわかった リカのマインド まるでガキンチョ
 話は聞かない 勝手に身体乗っ取る 勢い任せ
 だけど実年齢はアラフォー 私の方こそ真の若者!

「言ってくれるじゃん」
 リカは楽しそうに笑い、静かにマイクを構える。

 Hey Yo!
 やっぱり紬にはラップの才能があった
 私の目に狂いはなかった マジで最高のラッパー
 初めて見た時同じと感じた あの直感は本物だった
 優勝には手が届かなかった だけどこの手に確かにあるぜ友情
 この感動まさにガガーリン 地球は青かった 
 みたいな感じで 私は 紬に出会えて本当に良かった 
 

「……」
「さぁ、紬の番だよ」

 私は涙で滲んだ世界の中で、リカとの思い出を思い浮かべる。

 Hey Yo!
 私とリカが同じ? なにいってんの? もともと真逆 まさにリバース
 リカがいなくちゃ変われなかった リカがいたからここまでこれた
 いつかまた絶対会おうぜ それまで待ってて雲の上

 袖で涙をぬぐい、今にも消えそうなリカに向かって言葉を紡ぐ。
 初めてあった時、リカが放ったラップのアンサーを。

 私のハート リカのテクニック
 合わせて二人でナンバーワン!
 

 音楽は止まり、私たちの呼吸だけが世界を満たしていた。
 イエーイ、と手をあげるリカ。私も手をあげるが、私たちはやっぱり手を合わせることができなかった。空振ったわけじゃない。
 自分の手を見つめ、顔を上げるとリカはいなくなっていた。


 目を覚まし、顔を洗って半袖の制服に袖を通す。

「おはよう」
「うん」

 私が朝ごはんを食べるとき、お母さんはいつもキッチンで洗い物をしている。晩ご飯の時は洗濯をしている。それ以外は私がリビングにいればお母さんは自分の部屋にいて、お母さんがリビングにいれば私は自分の部屋にいる。 
 そうやって私たちはもう何ヶ月も同じ机に座っていない。
 朝ごはんを食べ終わる頃、妹の唯が階段を降りてくる音が聞こえる。唯はリビングにはいつものように顔を出さずにそのまま玄関に向かう。私は席を立ち、廊下に出る。

「唯」

 名前を呼ばれ、唯は動きを止めて振り向く。驚いた表情だ。だって私が唯を呼ぶなんていつものことじゃないから。

「いってきますは?」
「……は?」

 唯は不快そうに眉間にしわを寄せるが、私は唯から目を逸らさず、ただじっとこれまで見ていなかった分を取り戻すように見つめた。
 すると唯は観念した様子で目をそらし、つぶやく。

「……いってきます」
「いってらっしゃい!」

 唯は大きなため息をついて玄関を飛び出す。でもじっと見つめていたおかげで見過ごさなかった。玄関を出る直前、唯の口角が少しだけ上がっていたことを。
 時間を見ると私も出る時間だった。慌てて荷物を担いで玄関で靴を履く。

「紬」

 振り返るとお母さんが立っていた。お母さんは申し訳なさそうな表情を一瞬浮かべ、それを今にも崩れそうな笑顔で隠し、私を見つめる。

「いってらっしゃい」

 私も、お母さんも、唯も、私たち家族はきっと戻りたいと願っていた。昔のように同じ机でご飯を食べていた頃に。でも、きっかけがつかめなくてずるずると思いだけがすれ違っていた。
 でも、きっかけなんていつまで待っていてもあるはずがなかった。だってきっかけは自分で作るものだから。ほんの少しの勇気と思い込みで。

「うん。いってきます!」

 私はお母さんに手を挙げ、玄関を飛び出した。


 学校に着き、私はいつものように教室に入る。いつものように友達にあいさつをして、そして初めて堀田くんにあいさつをした。

「堀田くん、おはよう」
「お前……」

 堀田くんは驚いているが、呆れたように鼻で笑う。

「おはよう」

 うん、と頷き私は自分の席へ座る。
 するとすかさず、美穂たちがやってくる。

「紬、やっぱり堀田みたいな不良と仲良くしてんの?」

 せせら笑う美穂たちに私は本音で答える。

「堀田くんは不良じゃないよ」
「は?」

 美穂の低い声に心臓がキュッと縮まるが、私はみんなに見えないように親指と人差し指と中指をピンと突き立てる。

『YO! って感じでイケてるぜ感を出しとけば、なんかいい感じだから』

 今なら、なんとなくわかるよ、リカ。本当になんとなくだけど。
 妥協と諦めの人生はもう卒業だ。
 これからは本音を偽らないためにほんの少しの勇気と、自分がイケていると想う気持ちを持って生きていくよ。
 私はリカのように心から笑って答える。

「あと、頭がいいっていうのあんまり好きじゃないんだ。だからやめて」

 今の私は最高に心が騒がしい。

 終わり。