「マジか!? 私が見えるのあんたが初めてだよ! やっば! 激アツ!」
「げ、激アツ?」

 幽霊はなんどもガッツポーズを繰り返す。なに、なんなのこの状況……。少しするとぽつんと立ったままの私に気づいた幽霊は気を取り直すようにこほん、と咳をした。

「私はリカ! よろしくね!」
「ど、どうも……」

 イエーイ、と手をあげる幽霊のリカさん。ハイタッチをしたいのかと気づいて、慌てて私も手をあげるが、私たちは手を合わせることができなかった。空振ったわけじゃない。私の手がリカさんの手をすり抜けてしまったのだ。
 互いに自分の手を見つめ、呆然としているとリカさんは突然吹き出した。

「そうだった! 私やべー、死んでる自覚なさすぎ」

 一人でゲラゲラと笑っているリカさんに私はもう一回尋ねる。

「あの、リカさんはその、お化け的な……」
「そうだよ。がっつり幽霊。まぁこの世に未練があって成仏できなくてさ」

 なんて後ろ頭を掻きながらリカさんはまた笑う。
 幽霊はもっと静かで暗いイメージだが、リカさんは底抜けに明るい。リカさんは悩みとか不安とか、そういうネガティブなものとは無縁そうなのにどうして成仏できていないのだろう。

「あの、リカさんの未練って……」
「ってかさ、さっきのどうだった?」
「さっきの?」
「ラップだよ! どうだった?」

 なんだこの人、全然話聞いてないな。
 それに、どうだったと聞かれても私自身、歌番組や動画アプリでなんとなく聞いたことがある程度でラップについてはなにも知らない。でもなにか言って欲しそうだなぁ、と期待に胸と鼻の穴を膨らませているリカさんをみて私はなんとか言葉をひねり出そうと考える。

「なんか、リズミカルで……」
「うん!」
「テンポが良くて……」
「うんうん!」
「それで……」

 私はそれ以上、なにも言えなくなってしまった。本当はもっと言いたいことがあるはずなのに。
 リカさんの前で立ち止まったのは、ただラップに驚いたからじゃない。
 リカさんの発する自信に満ちた言葉たちに、なぜか勇気をもらった気がしたからだ。だけどこの胸のざわめきをなんと表現すればいいのかわからない。共感、感動……? どれも当てはまりそうでなにかが違う気がする。うーん……。

「なんか、すごかった……」

 ぽかんと口を開くリカさん。自分の語彙力の無さに絶望しているとリカさんはとびきり嬉しそうに飛び跳ねた。

「だよね?! やっぱ最高だ、ラップって!」
「う、うん。そうですね……?」

 伝わったような、伝わってないような……。するとリカさんは象の形をした滑り台へと登り、人差し指を空へと突き立てる。

「私の未練。それはラップでナンバーワンになることなんだ!」
「な、ナンバーワン?」
「ラップバトルっていって、ラップでお互いの魂をぶつけあって最強のラッパーを決めるイカした大会があったんだけど、会場に向かってる途中に死んじゃったもんだからさ。マジで最悪」

 それが未練ってことは、要するに。

「その大会に出て優勝したいってこと?」
「優勝っていうか、とにかくナンバーワンだよ!」
「えぇ?」

 優勝すればナンバーワンってことじゃないの? リカさんのいうナンバーワンの定義がいまいちわからないでいると、いつのまにかリカさんは私の目の前に立っていた。

「だからお願い! 私があんたにラップを教えるから、私の代わりにラップのナンバーワンになって!」

 ラップを教える? 私の代わりに? 気になることはたくさんあるけど、とにかく。

「だからナンバーワンってなに?!」

 私が叫んだ瞬間、ポケットの中でスマートフォンが震えた。画面にはお母さんからの着信を知らせる通知がびっしりと埋まっていた。

「やばっ!」

 私は慌てて走り出す。

「ちょっと! まだ話の途中! おーい!」

 私は振り向きもせず、ひたすらに走った。


 玄関の前にたどり着き、私は息を切らしながら時刻を確認。走りすぎて感じる肺の痛みとは違う、緊張からくる胸の痛みを感じながら玄関の扉を開く。

「ただい……」
「あんた何時だと思ってんの?!」
「ご、ごめんなさいっ……」

 金切り声で叫ぶお母さんに私はすぐに頭をさげる。

「え? まだ八時すぎでしょ? 厳しくね?」
「わっ?!」

 突然背後から声が聞こえ、振り返るとリカさんが立っていた。

「なんでついてきてるんですか?!」
「だって、話の途中って言ったでしょ?」
「だからって……」
「なに独り言言ってんの? 頭おかしいんじゃないの?」

 お母さんは冷たく言い放つ。お母さんにはリカさんのことが見えていないらしい。どうして私にだけリカさんが見えているのだろう。

「なにぼーっとしてんのよ!」

 お母さんの汚いものを見るような冷めた視線に私は再び頭をさげる。

「ごめんなさい……」
「門限は八時だって言ってるでしょ? どうしてお母さんの言うことを守れないの? そんなにお母さんのこと困らせたいの?」
「言い方きついね、あんたのママ」

 リカさんは引いた様子でお母さんのことを見ている。確かに、お母さんの言葉はきつい。だけど最近は、お母さんからなにを言われてもなにも感じなくなっていた。今はただ謝って、お母さんの怒りが静まるまで時が過ぎるのを待つしかない。
 すると玄関が開き、妹の唯が帰ってきた。

「姉ちゃん、邪魔」
「ごめん」
「唯、帰ったらただいまぐらい言いなさい」

 唯は靴を脱ぐとお母さんを無視して階段を上がっていった。しかし、お母さんはそれ以上なにも言わなかった。

「え、妹とあんたで扱い違いすぎない?」

 唯は私の一つ下の妹で去年、高校受験を失敗してからずっとあの調子だ。お母さんも唯のことが怖いのか強く言えず、その反動も私にきている。要するに八つ当たりだ。

「なにその目? なんか文句でもあるの?」

 お母さんと目があうと、内臓が冷えるような低い声で私を問い詰める。

「あるでしょ? 言ってやりなよ!」

 けしかけるリカさんを無視して私はいつものように頭をさげる。

「……ないです。ごめんなさい」

 すると、お母さんはため息を吐いた。

「そうやって謝れば済むと思ってるんでしょ。あんたと話してると本当に腹がたつ。いい? 自分の意思がないあんたみたいな子は黙って親の言うことを聞いてればいいの! わかった?」
「は……」

 あれ? 声が出ない。身体も思うように動かせない。早く返事をしないと、またお母さんが怒ってしまう。なのに、私の意思に反し、私は頭を上げる。

「返事は?! 無視してんじゃないわよ!」

 お母さんが私の肩をつかもうと伸ばした腕をはたき、お母さんを突き放す。
 なに、どうなってるの?!

「あんた、親に向かって手を出すなんて……」

 よろけるお母さんを無視して、私の身体は勝手にスマートフォンで『ラップ、ビート』で検索。音量を最大にしたスマートフォンから内臓が揺れるような音楽が流れ出し、カバンの中からペンケースを取り出すとマイクのように口の前に持ってくる。

「いくぜ」

 私の口から言葉が溢れ、身体がリズムに合わせて勝手に動き出す。

 Hey Yo!
 うるせえなババア! 話長えわ! 老害特有 Like a 校長!
 絶好調な私のラップ! 耳かっぽじってよく聞いとけよ!
 門限過ぎた? たかが数分! そもそも無理めな帰宅時間!
 私は厳しめ、妹緩め? そんなダブスタはありえんっすわ!
 私が頭下げてるのは謝罪じゃねえよ! お前の話、聞く価値なし!
 返事が欲しい? なら答えてやる! これが私のアンサーだ!
 黙って言うこと聞いてりゃ良いって私はあんたの人形じゃねえ!

 音楽が終わると、私の身体は自由に動かせるようになった。
 なにが、どうなってるの……?

「あ、あんた……」

 呆然と立ち尽くすお母さんを置いて、私は靴を脱ぎ捨て階段をかけあがる。
 自分の部屋に入り、扉を勢いよくしめると私の体からリカさんが飛び出してきた。

「ぎゃあっ?!」

 えぇ?! 今、私の身体から出てきた?!

「ちょっと! なにしてるんですか!?」
「え、なんていうかー、取り憑いたというか、身体を乗っ取ったというかー」

 そう言ってリカさんは「てへ」と舌を出す。
 なんか、リアクション古いな……。

「もういいから、早く出ていってください!」
「そんなことより、私とラップやろうよ。一緒にナンバーワン目指そう!」
「そんなことって……」

 この人、やっぱり全然話聞いてない。一緒に目指すと言われても……。さっきは私にラップを教えるといっていたけど。

「私にラップを教えなくても今みたいに誰かを乗っ取ればいいじゃないですか」
「やろうとしたんだけどさ、乗っ取りって結構体力使うんだよね。今も正直結構しんどい」
「やろうとはしたんだ……」

 もしかしてこの人、幽霊の中でも悪霊なんじゃ……?
 私の疑いの目に気づかず、リカさんはどこからかマイクを取り出し自身の口へ近づける。

「あとあんた、ラップの才能あるよ」
「ラップの才能? 私が?」

 身に覚えがなさすぎて戸惑っていると、リカさんは自分の胸を拳で叩きながら話す。

「ラップってのは自分の本音をぶちまける手段なんだよ。乗っ取った時、あんたの心の中見たけどさ、本音溜め込みすぎだよ?」
「私の心の中?」
「さっきのラップはあんたのヘドロみたいに溜まった本音を私が歌っただけだから」

 ヘドロみたいって……。
 ていうか、あのラップが、私の本音……?

「つまり、本音を溜め込んだあんたがラップをできるようになれば、あんたは魂がこもった最高のラップができるってわけ!」
「そんなこと言われても、私には無理ですよ……」

 それにさ、とリカさんは笑う。

「できる、できないは置いといて。ぶっちゃけラップ楽しかったっしょ?」
「そ、それは……」

 さっきのラップ中、リカさんに乗っ取られて身体のコントロールはできなかったが、感覚だけはあった。
 流れるリズムに合わせて身体を自由に揺らすのは心地よさ。つらつらと口から湧き出る語感のいい言葉たち。それに。
『私はあんたの人形じゃねえ!』
 リカさんが放った言葉だが、あれは確かに私の言葉だった。
 私はお母さんにきつい言葉をかけられてなにも感じなかったわけじゃない。ただ辛いことに慣れすぎて、鈍感になっていただけだと知った。
 ラップは本音をぶちまける手段。
 私も自分の本音をぶちまけることができたら……。それはとても清々しく、最高に気持ちが良いだろう。

「あれ? なんか笑ってない?」

 やっぱり楽しかったんでしょ? とニヤニヤと顔を近づけるリカさん。
 確かにラップは楽しかった。その通りだが、このままリカさんの勢いに流されるまま、言うことを聞くのはなんだか悔しい気がする。

「別に楽しくなんかなかったし……」
「え……?」

 しゅんと縮こまるリカさん。なんて素直な人なのだろう。リカさんの八の字に下がった眉を見て、私は笑ってしまった。

「でも、このまましつこくされたら困るから……」
「困るから?」
「まぁ、しょうがない。ラップ、教えてください」

 すると、リカさんはまたもニヤニヤと笑う。

「なに笑ってるんですか」
「素直じゃないなぁと思って。あとさ、呼び捨てでいいよ。タメ語で」
「でも、リカさんっておいくつですか?」

 見た目は私と同い年くらいだけど、相手は幽霊だ。実際は見た目よりも年上な可能性だってある。

「えー、それは企業秘密♪」

 そういってリカさんは口に人差し指をつける。うん、やっぱりリアクションが古いな。まぁ、本人がいいって言うなら。

「わかった。じゃあリカで」
「よし! あんた名前は?」
「高瀬紬」

 紬ね、と呟いてリカはマイクを握り、身体をリズムよく揺らす。

 Hey Yo!
 紬と紡ぐ ハイセンスなリリック
 紬のハート 私のテクニック
 合わせて二人でナンバーワン!

「Yeah!」 

 リカに促されるままハイタッチをしようとしたが、やはりすり抜けてしまった。私たちは顔をみあい、どちらからともなく笑いあった。
 なんだか久しぶりに笑った気がする。
 それにこれからのことを考えて、こんなにも心が騒がしくなるのは生まれて初めてだった。