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 出る杭は打たれるという諺は正しく、そして今の奈都にとって最も身近な諺である。

「調子に乗らないでくれる? あんたみたいな陰キャに、星澤さんが本気になるわけないじゃん? 珍しいからちょっかいかけられてるだけでそのうち捨てられるんだからさ、恥をかく前に距離を置いた方がいいと思うよ?」

「ヤバ! 香織、ちょー優しーじゃん!」

 薄ら嗤いを含んだ不快な声が校舎裏で奈都を囲んだ。下校しようとしていたところ、奈都が麗にプロポーズされたことが面白くない女子生徒三人に絡まれているのだった。

 麗と里莉と出会ってから三日。不覚にも楽しかったために油断していたが、こうして人の心の汚さに触れてしまうと、過去のトラウマが蘇り嫌悪感が込み上げてくる。

 ほっといてよ。私があんたたちに何をしたっていうの?

 不快な気持ちはやがて黒い欲望に変わった。
 心を読み取って彼女たちが互いに隠している何かを暴いて、友情を終わらせてやろうか。それとも麗にあることないこと吹き込んで、彼女たちに罵詈雑言を浴びせてほしいと頼もうか。こいつらの動揺する姿を想像すると、実に清々する。

 口元を吊り上げ自分でも自覚できるほど意地の悪い笑みを浮かべたとき、真っ赤なバイクが轟音を立てて奈都の元に近づき、砂埃を舞わせ急停止した。

 砂埃の中で奈都が視認したのは、400CCの機械を颯爽と操る、金色の髪がヘルメットからはみ出している女だった。
 こんな奇天烈な奴、奈都は一人しか心当たりがいない。
 奈都を囲っていた少女たちは、怪訝そうな顔で里莉に詰め寄った。

「誰あんた? ここの生徒じゃなくない?」

 里莉は香織と呼ばれていたリーダー格の女子を汚物のように見てから、

「キモ」

 たった一言、冷たく言い放った。香織は感情が顔に出やすいようで、激怒している様子が奈都にも伝わってきた。

「な……っ……お………………が!」

 香織は絶句しているわけではない。おそらく大声で反論しているに違いないのだが、里莉がバイクを爆音でふかすために奈都には聞き取れなかったのだ。口で駄目なら力づくでと考えたのか、里莉を引っ張ろうと腕を掴んだ香織を見て、

「やめろ! そいつに手を出すな!」

 反射的に止めようとした奈都だったが、奈都の心配をよそに里莉は掴まれた腕をそのままに香織を睨みつけた。

「あたしの体に触るなカス。汚らわしい」



 里莉の口の悪さと喧嘩の腕は見事だった、の一言に尽きる。

 あの後、体力的にも精神的にも完全にやり返す気力を失った彼女たちを置いて、里莉は奈都をバイクの後ろに乗せて走り出した。突然学校にバイクで乗り込んで来たり、文字通り暴走してみたり、里莉の派手な動きに惑わされて気がつかなかったが、一連の流れを振り返ると奈都は彼女に救われたことになる。

 家まで送ってくれた里莉に、奈都は「えーと……」と前置きしてから、

「……有栖川の後ろに乗って、事故らなかったのが奇跡だよ」

 本当はお礼を述べるべき場面であることはわかっているくせに、口から出た言葉はいつも通りの憎まれ口だった。後悔しても後の祭りで、言い直す度胸もなかった奈都は引け目を感じて里莉の目を見ることができなかった。

「新条はビビッているだけだな。どうせ人なんて信じられない、そう思っているから捻くれるんだ」

 エンジンを切ってヘルメットを取った里莉は、普段より一層鋭利さを増した雰囲気を纏わせながら、その鋭い双眸を奈都に向けた。

「……有栖川に、何がわかるんだよ」

 ふいに突かれた真実に、ついふてくされたような口調になってしまった。

「わかるわけがないだろう。だが新条がそんな人間になってしまった原因は、あたしにもある」

「は? 何言ってんだよ。ただの元クラスメイトだった有栖川が、私の人間性に関わっているわけないじゃん」

 半笑いの奈都に対して、里莉はいたって真剣な目をしていた。

「いや、関係ある。お前の父親が、有栖川賢斗だからだ」

「……え?」

 言葉の意味を正しく咀嚼できなかった奈都は、動けず、話せず、ただ困惑しながら里莉の表情を見つめた。

「……義父さんはずっと、超能力について研究していた。義父さんは変人だったが、科学者として考えれば最高の才能と最高の環境の中で、最高の結果を出してきたすごい人なんだ」

 人のこと言えるか、お前だって変人だ。なんて言い返す余裕はなかった。

「……新条があの人の娘だってことは、あたしも直接聞いたわけじゃない。今でも信じられないくらいの話だ。……研究に熱中しすぎて人間関係を煩わしく思う傾向にある人だから、友人なんか見たことなかった。血の繋がった人間を世に残したくないと公言していた人に、恋人がいるなんて思わなかった。……そう、まさか恋人で実験するとは思わなかったんだ」

 里莉が淡々と話しているようで辛そうに見えるのは、そうであってほしいと思う気持ちからの思い込みだろうか。里莉から発せられる単語を直に受け止めていては正気を保てそうにないのに、ショックが大きかった奈都は否定の言葉を振り絞る気力すら湧いてこなかった。

「もうわかるだろ? 義父さんは『超能力者の発明』の実験をするために、恋人……つまり新条の母親を利用したんだよ。そしてその結果が、お前たち三姉妹だ。人体実験の結果は義父さんからしてみれば失敗だ。義父さんが望んだ『万能な超能力者』は生まれなかったからな。義父さんは亜希ちゃんが生まれたとき実験に見切りをつけて新条の母親と縁を切ったらしいから、お前たちの今の生活については全く知らないと思う。母親が騙されていたのを知っているのかどうかは、あたしにはわからんが」

 いつも笑顔でいる母が、そんな非道な男と一緒にいたなんて。そんなに男を見る目がなかったなんて。脳はその事実を否定しようと尽力し、体は小刻みに震えて爆発しそうな感情を抑え込むのに必死だった。

 例えようのない様々な感情を一つにしてくくるのであれば、母を利用し捨てた有栖川賢斗が許せない。憎い。殺してしまいたい。

「……なんで私にそんな話を聞かせたの? 知ったって腹が立つだけ。殺したくなるほど、憎いと思うだけだ」

「伝えた方がいいと判断したからに決まっている。自分のことで知らないことがあるのは気持ち悪いだろう?」

「……あ、そう……」

 目の前のメッセンジャーは憐憫の情を持ち合わせていないようだ。別に優しい言葉を期待していたわけではなかったが、どこか落胆している自分がいた。

 結局のところ、有栖川父娘は似た者同士なのだ。女心どころか人の心さえもわかってなさそうな里莉に、人の気持ちを考慮して発言することを求めるのは無理だったのだ。

 諦めにも似た、八つ当たりとも呼べる感情を抱き始めたときだった。里莉の視線がふいに泳ぎ、唇を少し開いてはまた閉じる動きを繰り返した。奈都が怪訝な顔をする中、里莉はやっと言葉を発した。

「……だが、その……あれだ。お前たち家族はすごいな。ド変態男に騙されても、変な能力を持たされ人と違う生き方を強いられても、ちゃんと生きて、普通に生活している。まあ偶然、偶然なんだがお前を見つけて、このことを伝えられて……あたしは良かったと思ってる」

 それはまるで予想していなかった、なんとも下手な慰めであった。

「だからな、あたしの技術と情熱のすべてを集結させて作り上げた最高傑作である麗がお前に拘るのも、エラーだとしても納得してやろう。まあ、少しだけだけどな!」

 ――なんてことだ。心を読んでいないのに、里莉が麗に組み込んだ本当のプログラムが、遺伝子に反応するロボットを作った彼女の本当の目的が、わかってしまった。

「有栖川は……私たち三姉妹を見つけて、励ましたかったの?」

 ただ、それだけのためにこんなに手間も時間もかけて。

「まあ、あらゆる女にモテるロボットを作りたいあたしの野望のついでだけどな……というか、新条が群を抜いて根暗なだけで、波留さんや亜希ちゃんには不要だったみたいだがな!」

 里莉は奈都の目を見ずに、不自然なくらい早口で言った。

 よく考えてみれば、好きな女の子の名前すら知らない里莉が、好きな子の遺伝子情報だけ持っているのはおかしな話だ。それに比べて、義父の髪の毛や爪を使用できる分、血の繋がりがある人間を探すことは実に容易である。

 こんな単純なことにも気づかなかった奈都は、自分の馬鹿さ加減に頭を掻いて、大きく溜息を吐いた。

 里莉の言う野望とやらは嘘。
 麗が言っていた「里莉は想い人を探すために麗を作った」というのも嘘。

 自分の本心を知られたくないとはいえ、麗を騙すために嘘の企画書とやらまで作る里莉の用意周到さや、その変人ぶりに目眩がする。しかしそれでも、ただそれだけのために麗を作る里莉の執念に奈都は泣きそうになってしまった。

「……ありがと、有栖川」

「気持ち悪いぞ。礼を言われる筋合いはない」

「でも、私のことは後回しにした方がいいんじゃない? 本当は有栖川も、わかってるんでしょ? ……麗さんがもう、長くないってことは」

「……うるさい、何度も言わせるな。麗は壊れない」

 話は終わりだと言わんばかりに、里莉はバイクのエンジンをふかして風のように去っていった。

 里莉は麗が壊れるとは思っていないのだろうか。認めていないだけだろうか。それとも全部が杞憂で、本当は壊れないのだろうか。

 だけど、里莉の言葉はどうしても信じることができない。

 彼女はいつだって嘘をつくから。