☆

 奈都の家族構成は予備校講師の母に、大学生の姉と中学生の妹がそれぞれ一人ずつだ。十四年前に別れた父について母は全く語ることはないが、日々懸命に仕事と子育てを両立させようと尽力する母を見て育った奈都は、家庭環境に何の不満もなかった。

 三姉妹は生まれたときから、人の手に触れれば相手の心を読むことができるという希少な能力を持っていた。
 なぜできるのか、どうやって能力をなくせるのかはわからない。

 ただ、能力のことを人に話せば嫌悪されるであろうことをわかっていた三姉妹は、自分たちの中で使用ルールを作り、むやみやたらに能力を使わずにこの能力を隠して生きていこうと決めていた。

 今日は里莉と麗を家に呼び姉妹に会わせる予定だが、不安だらけの奈都は玄関前で里莉に釘を刺した。

「……有栖川、私の姉妹に変なことを言わないでよ? 姉はいろいろとうるさいし、妹はまだ純粋な子どもなんだから」

 現在十八歳、大学一年生の姉・波留は社交的で人懐こく、昔から男女問わず人気があった。

 妹の亜希は今年十四歳になるが未だに反抗期の気配はなく、家族が大好きと公言するような子で奈都にとって可愛らしい存在だ。正直、里莉の想い人だとしても認めたくはない。

「麗が新条の姉妹に会いたい、あたしにもついて来てほしいというからわざわざ来てやったんだぞ? なぜそんな無礼なことを言われなくてはならないのだ?」

「申し訳ございません、マスター。どうか気分を害さずに、しばしわたしの我儘にお付き合いください」

 すっかり不機嫌になった里莉を麗が宥めつつ、三人は玄関の扉を開いた。
 奈都が伝えていた通りに、姉妹はリビングで待機していた。芸能人でも食べ物でも、波留は好き嫌いが非常にわかりやすいタイプだ。麗を見た瞬間目を輝かせて、彼女から視線を動かさなかった。さすが麗、外見で人を惹きつける力は最強だ。

「どうもー、奈都がいつもお世話になってます。コーヒーでいいですか?」

 波留はそう言って腰を上げた。対照的に、亜希はちょこんと座って会釈をした後、黒目がちな瞳を上下左右に少しだけ動かして客人を見ていた。

 コーヒーを運んできた波留は里莉と麗の前にカップを置いた。

「家に友達を呼んだことのない奈都が、まさかこんな綺麗な女性を二人も連れてくるなんてビックリしちゃった」

「わたしが奈都さんの家に遊びに行きたいって、我儘を言ったんです。突然お邪魔してしまいすみません」

 麗はそう言って、背筋をより美しく伸ばした。

「まず、自己紹介をさせてください。わたしは星澤麗、こちらは友人の有栖川里莉です。今日はお姉さんと妹さんを口説こうと思いまして、お伺いをさせていただきました」

「「え?」」

 姉妹の声が綺麗に重なると同時に、奈都はがっくりと肩を落とした。
 もっと上手い説明があるだろうに、初球からぶちかましてどうする。

「二人ともごめん! 星澤さんって私の高校の先輩なんだけど、最近イギリスから引っ越してきたからまだ日本語よくわかってないんだよね! 多分二人と友達になりたいって意味だと思うよ!」

 なんで私がフォローしないといけないんだ、と思っていると波留がにやけだした。あれはからかおうとしている目だ。嫌な予感しかしない。

「こちらこそ、ぜひお友達になりたいわ。ねね、普段はどんなことして遊んでるのー?」

 積極的に話しかけ、麗がどんな反応をするのか期待に胸を膨らませている波留に対して、麗はにっこりと微笑んだ。

「ねえ、こんな暑い日には海に行きたいよね。君と一緒ならどこまでも泳げる気がする」

「あはは、面白い冗談だね! こんな真冬に海で泳いだら死んじゃうよー?」

「ねえ、こんな暑い日には海に行きたいよね。君と一緒ならどこまでも泳げる気がする」

 麗を除く人間の四人は、異常さを感じて顔を見合わせた。
 大事なことだから二回言ったのではない。麗は単純に、自分が場面にそぐわない言葉を発していることを理解できていないようだった。

 今の麗は人間で言うなら変人。ロボットだったら、バグ発生だ。

 呆気に取られている姉妹に、また日本語がよくわかっていないからと無理やり誤魔化そうと奈都が口を開きかけたとき、横で何か硬い素材の物が倒れる音がした。

「ごめんなさい! お洋服、大丈夫ですか⁉」

 亜希が里莉のカップを倒してしまったようだ。幸いにも中身はほとんど飲みきっていたため、里莉の白衣の一部に小さなシミを作るだけにとどまった。奈都が同じことをしたら怒り狂うであろう里莉は、亜希には別段怒ることもなかった。

「……シミ、取れますかね……?」

 亜希は申し訳なさそうにコーヒーがついてしまった部分をハンカチで軽く叩き、少しでも薄くしようと頑張っていた。

「有栖川さん……本当に、ごめんなさい……」

 亜希が里莉の手をそっと握ると、里莉はわかりやすく照れていた。

「有栖川、うちの妹にデレデレするなよ」

「ふん、邪魔をするんじゃない。嫉妬でもしているのか?」

 里莉と睨み合っていると、台所でコーヒーを淹れ直している波留から「ちょっと来なさい」とスマホにメッセージが届いた。台所に行くと亜希も同様に呼び出されており、狭い台所で三姉妹の緊急集会が始まった。

「奈都、あんたすごい人たち連れて来たわね。面白いけど、麗さんも里莉さんもどっちも癖が強いわ」

「本当に申し訳ない。二人にはそろそろ帰ってもらうつもりだから」

「……奈都が家に人を連れてくるって初めてのことなんだから、あんたが嫌じゃないならこれからも関係は続けていくようにしなさいよ? あんたはわたしや亜希と違って、人付き合いが出来ない奴なんだから」

 波留の言葉に言い返すことができなかった。心が読めるという条件は同じはずなのに、姉妹は社交的で友達が多くて奈都とは全然違う。

 彼女たちはふいに誰かの心の汚い部分に触れてしまったとしても、その人と接することをやめず、次第に友好を深めていく。それはまさに奈都が怖くてできなくなったことだった。

 人とは違う環境に置かれても立ち向かって生きていける二人に比べて、自分はなんて弱いのだろう。奈都が俯いていると、亜希がおずおずと奈都と波留の間に割って入った。

「あ、あの……お姉ちゃんたち、ごめんね。わたし、有栖川さんの心を読んじゃった……」

 長い睫毛で守られている亜希の大きな瞳が、ちらりとコーヒーカップを見た。ちっとも気づかなかったが、亜希が里莉の手に触れていたあのときに能力を使ったのだろう。

「……有栖川さんね、嘘をついていたの」

「ああ、あいつはいつだって嘘つきだよ」

「ううん、違うの。……有栖川さんはね、嘘ついたことを、嘘ついたんだよ」

 亜希の言葉は簡単なようで難しい。どういうことなのか聞こうとしたが、

「やめなさい。社会で生きていくためには無闇に心を読まない、読んでしまっても決して口にしないって、家族皆で約束したでしょ?」

 波留の正論に口を噤んだ。