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冬の夜の澄んだ空気の中で、三日月の青白い光が麗の美しい横顔を照らしている。そんな彼女の横顔を見ることができるのは、奈都が麗と二人きりで帰途についているからだ。
あの後、麗の手首がもげたこともあり解散する流れになったのだが、麗は今日の失態を挽回しようと必死だったのか、あるいはプログラムに沿っただけなのかは知らないが、
「マスターお願いします。わたし、少しでも奈都ちゃんと一緒にいたいんです」
そう言って左手で強引に奈都の手を取ったのだ。
里莉は渋い顔をしていたが、しつこい麗に根負けして「一時間だけだぞ」と言って先に帰宅した。
そうして作られた麗との二人きりの時間の中で、奈都は心臓が早鐘を打っていることを自覚している。冷たい風が体温を下げることに役立ってくれればいいのだが。
「どうだった? わたしのマスター、優しくて面白いでしょう?」
ゆっくりと歩く麗が、更に歩を緩めて口を開いた。
「それはあなたが有栖川に作られたから、そう思い込まされているだけですよ」
頬を膨らませて反論してくる麗を見ながら、奈都は彼女に普通以上の好意を抱いていることを実感していた。
誰かと親しくなりたいと思ったとき、人は相手のことを知りたい気持ちを持って、相手の見えない心と誠実に向き合いながら気持ちをぶつけ合うことで親交を深めていく。人が人と親密な関係を作り上げるときには、そんな法則があると思っている。
でも、奈都にはそれが難しかった。相手のことをもっと知りたいと欲が出たら、“能力”を使ってしまうかもしれない。知りたくもない汚い感情を知ってしまうかもしれない。だから臆病な奈都は、誰とも親しくなることができずにいたのだ。
だがロボットの麗と接するときは、能力が効かないから安心だ。
彼女に抱く好意はきっと、そういう類のものなのだろうと推測していた。
「マスターがわたしを管理下に置いていないこの隙に、奈都ちゃんに話しておきたいことがあるの。そしてこれは、君にしか言えないことなの」
麗は奈都の手を強く握り直した。驚いて咄嗟に振り払ってしまったが、悲しそうな顔を見せた麗への罪悪感から、慌てて会話を続けようと声を出す。
「わ、私でいいんですか?」
「君がいいんだよ」
助詞が一つ変わるだけで、こんなにも意味合いが変わってくるとは思いもしなかった。
油断も隙もなく口説いてくる麗の言葉に、奈都は少しの期待を胸に抱いて頷いた。
「マスターは原因不明のエラーだと言ったけれど、結婚という単語を使わないようにプログラミングされているわたしが、君にはプロポーズした理由はちゃんとあるの」
「え……星澤さんは本当の理由を知っているのですか?」
「ええ。マスターは本当のことを口にしたがらないけれど、わたしは自分が作られる経緯が記載してある企画書を見てしまったから」
作られたものであるとはいえその美しい大きな瞳から、奈都は目を離せずにいた。
「対女性用モテ理論も勿論搭載されているけれど、わたしが作られた本当の理由は、マスターが恋した名も知らないとある女性を探し出すため。そして君の遺伝子は、マスターが恋焦がれる女性と99.7%一致している。つまり、わたしが君だけに拘って結ばれようとするのは、君の遺伝子に反応して行動しているからみたいなの」
麗の告白に胸が痛んだ。彼女がプログラミングによって女性を口説いていることはわかっていたけれど、「私」だけにプロポーズするのはエラーではない特別な理由があるものだと、本当は心のどこかで期待していたようだ。
――何を勘違いしていたんだ。麗はロボットだ。感情なんて持ち合わせているはずがないじゃないか。
「……有栖川の奴、とんだ嘘つきですね。星澤さんを騙すなんて最低だ」
胸の奥から込み上げてくる猛烈な恥ずかしさを隠すために暴言を吐くと、麗は悲しそうな顔をした。
「そんなこと言わないで? わたしにとっては、大好きなご主人様だから。……わたしは、マスターの想いを叶えてあげたい。そのために作られたんだもん。お願い、奈都ちゃん。わたしに協力してほしい」
彼女は人の気持ちなんて全然わからないロボットだ。落胆も失望も矛先を向けるだけ無駄である。奈都はそう自分に言い聞かせてからようやく、麗の顔を見ることができた。
「……それで、私は何を協力すればいいんですか?」
こうなったら乗りかかった船だ。里莉が惚れた女がどんな奴か、見てやろうじゃないか。
「ありがとう、奈都ちゃん。大好き!」
可愛らしい笑顔を見せられても、プログラムに沿っているだけと構えていれば心にバリアを張れるというものだ。
「それでね、マスターの想い人なんだけど……奈都ちゃんの遺伝子と酷似しているということは、一番考えられるのは姉妹なの。奈都ちゃんはお姉さんか妹さんはいる?」
「ああ、そっか……はい、姉も妹もいますが……有栖川には会わせたくないですね……」
どうして思いつかなかったのだろう。遺伝子が酷似しているということは、血縁者である可能性が高いに決まっている。しかし家族にあの有栖川を会わせるのはどうにも、気が引ける。
早速頭を抱える奈都の視界に、美しい彼女が映りこんできた。
「ねえ奈都ちゃん。これからはさ、わたしのことは麗って呼んでほしいな?」
「……遠慮しておきます。周りから誤解されるとややこしいんで」
頑なに拒否をし続けてみたものの、麗は強引な説得と甘い言葉で解散するまで名前呼びを乞い続け、ついに奈都の方が根を上げた。
妥協の結果、奈都は麗を「麗さん」と呼ぶことが決定したのだった。
冬の夜の澄んだ空気の中で、三日月の青白い光が麗の美しい横顔を照らしている。そんな彼女の横顔を見ることができるのは、奈都が麗と二人きりで帰途についているからだ。
あの後、麗の手首がもげたこともあり解散する流れになったのだが、麗は今日の失態を挽回しようと必死だったのか、あるいはプログラムに沿っただけなのかは知らないが、
「マスターお願いします。わたし、少しでも奈都ちゃんと一緒にいたいんです」
そう言って左手で強引に奈都の手を取ったのだ。
里莉は渋い顔をしていたが、しつこい麗に根負けして「一時間だけだぞ」と言って先に帰宅した。
そうして作られた麗との二人きりの時間の中で、奈都は心臓が早鐘を打っていることを自覚している。冷たい風が体温を下げることに役立ってくれればいいのだが。
「どうだった? わたしのマスター、優しくて面白いでしょう?」
ゆっくりと歩く麗が、更に歩を緩めて口を開いた。
「それはあなたが有栖川に作られたから、そう思い込まされているだけですよ」
頬を膨らませて反論してくる麗を見ながら、奈都は彼女に普通以上の好意を抱いていることを実感していた。
誰かと親しくなりたいと思ったとき、人は相手のことを知りたい気持ちを持って、相手の見えない心と誠実に向き合いながら気持ちをぶつけ合うことで親交を深めていく。人が人と親密な関係を作り上げるときには、そんな法則があると思っている。
でも、奈都にはそれが難しかった。相手のことをもっと知りたいと欲が出たら、“能力”を使ってしまうかもしれない。知りたくもない汚い感情を知ってしまうかもしれない。だから臆病な奈都は、誰とも親しくなることができずにいたのだ。
だがロボットの麗と接するときは、能力が効かないから安心だ。
彼女に抱く好意はきっと、そういう類のものなのだろうと推測していた。
「マスターがわたしを管理下に置いていないこの隙に、奈都ちゃんに話しておきたいことがあるの。そしてこれは、君にしか言えないことなの」
麗は奈都の手を強く握り直した。驚いて咄嗟に振り払ってしまったが、悲しそうな顔を見せた麗への罪悪感から、慌てて会話を続けようと声を出す。
「わ、私でいいんですか?」
「君がいいんだよ」
助詞が一つ変わるだけで、こんなにも意味合いが変わってくるとは思いもしなかった。
油断も隙もなく口説いてくる麗の言葉に、奈都は少しの期待を胸に抱いて頷いた。
「マスターは原因不明のエラーだと言ったけれど、結婚という単語を使わないようにプログラミングされているわたしが、君にはプロポーズした理由はちゃんとあるの」
「え……星澤さんは本当の理由を知っているのですか?」
「ええ。マスターは本当のことを口にしたがらないけれど、わたしは自分が作られる経緯が記載してある企画書を見てしまったから」
作られたものであるとはいえその美しい大きな瞳から、奈都は目を離せずにいた。
「対女性用モテ理論も勿論搭載されているけれど、わたしが作られた本当の理由は、マスターが恋した名も知らないとある女性を探し出すため。そして君の遺伝子は、マスターが恋焦がれる女性と99.7%一致している。つまり、わたしが君だけに拘って結ばれようとするのは、君の遺伝子に反応して行動しているからみたいなの」
麗の告白に胸が痛んだ。彼女がプログラミングによって女性を口説いていることはわかっていたけれど、「私」だけにプロポーズするのはエラーではない特別な理由があるものだと、本当は心のどこかで期待していたようだ。
――何を勘違いしていたんだ。麗はロボットだ。感情なんて持ち合わせているはずがないじゃないか。
「……有栖川の奴、とんだ嘘つきですね。星澤さんを騙すなんて最低だ」
胸の奥から込み上げてくる猛烈な恥ずかしさを隠すために暴言を吐くと、麗は悲しそうな顔をした。
「そんなこと言わないで? わたしにとっては、大好きなご主人様だから。……わたしは、マスターの想いを叶えてあげたい。そのために作られたんだもん。お願い、奈都ちゃん。わたしに協力してほしい」
彼女は人の気持ちなんて全然わからないロボットだ。落胆も失望も矛先を向けるだけ無駄である。奈都はそう自分に言い聞かせてからようやく、麗の顔を見ることができた。
「……それで、私は何を協力すればいいんですか?」
こうなったら乗りかかった船だ。里莉が惚れた女がどんな奴か、見てやろうじゃないか。
「ありがとう、奈都ちゃん。大好き!」
可愛らしい笑顔を見せられても、プログラムに沿っているだけと構えていれば心にバリアを張れるというものだ。
「それでね、マスターの想い人なんだけど……奈都ちゃんの遺伝子と酷似しているということは、一番考えられるのは姉妹なの。奈都ちゃんはお姉さんか妹さんはいる?」
「ああ、そっか……はい、姉も妹もいますが……有栖川には会わせたくないですね……」
どうして思いつかなかったのだろう。遺伝子が酷似しているということは、血縁者である可能性が高いに決まっている。しかし家族にあの有栖川を会わせるのはどうにも、気が引ける。
早速頭を抱える奈都の視界に、美しい彼女が映りこんできた。
「ねえ奈都ちゃん。これからはさ、わたしのことは麗って呼んでほしいな?」
「……遠慮しておきます。周りから誤解されるとややこしいんで」
頑なに拒否をし続けてみたものの、麗は強引な説得と甘い言葉で解散するまで名前呼びを乞い続け、ついに奈都の方が根を上げた。
妥協の結果、奈都は麗を「麗さん」と呼ぶことが決定したのだった。