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 奈都は麗が女性を口説き落とす瞬間を見届けるため、里莉、麗と喫茶店でお茶をするという奇妙な体験をしている最中である。

「新条はモテたいという目的で麗を作ったあたしを馬鹿にしているように見えるが、あたしから言わせればお前の方が馬鹿だ。恋愛以上に人生を彩る要素はないんだぞ?」

 確かに奈都は、恋愛感情だけで行動する恋愛脳と呼ばれる人たちを苦手としていた。全く理解ができないからだ。

「……有栖川みたいな高校生が多いから、ただれた性事情がニュースになるんだろうね」

「モテない女の負け惜しみに聞こえるぞ。どれ、そろそろ麗の実力を披露しようか。おい麗。あの女性を落としてこい」

 里莉の視線の先を追うと、標準に比べるとかなりふくよかな女性が生クリームたっぷりのパンケーキを口に運んでいるところだった。

「はい、マスター。少々お待ちください」

 麗は命令されるとすぐに瀟洒な顔つきとなり、堂々と女性に近づいて優しく微笑みながら対面の椅子に座った。まるで元々待ち合わせをしていたように自然な流れで、奈都は正直、麗の立ち振る舞いの美しさに惚れ惚れしてしまった。

 それを里莉に悟られないよう、二人の会話に集中するふりをして聞き耳を立てる。

「あなたを見ていると、不思議。可愛すぎて食べたくなってしまうの」

「え……そ、そうかしら?」

 聞いている方は鳥肌ものの寒さ、歯が浮くような台詞だったが、女性は満更でもなさそうだった。性別も口説き文句の寒さも何もかもを顔でカバーしているのが、麗のすごいところだと思う。

 ロボットである麗には恋する喜びも痛みも知ることができないのだから、彼女に焦がれる人間は皆平等に永遠に片想いで、永遠の不公平を味わうことになる。そのことに気づいた奈都はどこか安堵していた。
 そんな自分に驚き戸惑っていると、

「ヒレ、モモ、ロース……どの部分も残さずイケる。わたし、豚肉が大好きだから」

 モテロボットが何やらとんでもないことを言っていた。
 ふくよかな女性は眉間に皺を寄せ、顔を真っ赤に染めていった。面と向かって豚と言われては怒るのも当然だ。女性が持っていたナイフを逆手に持ち変えたのを見て、

「あ! ここにいたんですか! 早く行かないと、映画間に合わなくなっちゃいますよ!」

 奈都は慌てて飛び出し、今にも襲い掛かって来そうな女性から麗の手を引き、逃げるように立ち去ったのだった。



「言葉には気をつけてくださいよ! なんでわざわざ喧嘩売るようなこと言うんですか!」

 喫茶店から少し離れたパーキングで、奈都は麗に説教をかましていた。だが怒られているのにもかかわらず、麗は穏やかな表情を崩さずに奈都を見つめていた。

「わたしのために必死になってくれたの? ありがとう」

 全然響いていないようだ。やっていられるかと心の中で匙をぶん投げかけたところで、里莉が口元に笑みを浮かべた。

「新条、今動揺しただろう? 麗は完璧なモテロボットだ。さっきの女性だって喜んでいたに違いない」

「ナイフで刺すくらいに?」

「あれは照れ隠しだろう。さて、次に行くぞ」

 聞く耳を持たない里莉に反論を試みようとしたが、体力を消耗するだけになる気がした奈都は黙って彼女の後を追った。
 ファーストフード店に入った里莉が次に選んだターゲットは見るからに裕福そうな、セレブという単語が似合うマダムだった。

「……どう考えても、若い女と遊ぶような女性じゃないと思うんだけど」

「新条は何もわかっちゃいない。こんな安っぽい店に不釣合いの女が一人でいるってことは、声を掛けられるのを待っているのさ。仕事にかまけてかまってくれない旦那の代わりに、遊んでくれる誰かをね」

 やけに自信たっぷりの里莉だったが、彼女の言葉に信憑性など皆無である。奈都は右から左へ受け流し、麗がまた変なことを言ったらすぐに対応できるよう慎重に二人の様子を観察した。

「ご一緒してよろしいでしょうか、マダム?」

 麗は優雅に声をかけ、女性の隣に腰掛けようとしたのだが……そのとき、悲劇が起こった。
 飲み物を持っていた麗の右手首が突然、音を立ててテーブルの上に落下したのだ。

「き……きゃあーーーーー!」

 瞬時に真っ青になった女性は、甲高い悲鳴を上げた。麗の外見は人間にしか見えないため、驚くのも無理はない。
 奈都は落ちた手首を拾い、「すみませんでしたー!」と謝りながら、またしても麗を連れてその場から逃げ去った。



 走って、走って、息が切れて立ち止まったとき、奈都は自分が笑っていることに気がついた。

「新条、何を笑っている?」

 一緒に逃げてきた麗と里莉は、笑う奈都を見て不思議そうに首を傾げた。

「だ、だってさ、て、手首落ちるってどういうこと? 普通じゃ見られない光景だよ……あはははは!」

「……そんなことで笑っているのか? お前の笑いのツボは、あたしにはよくわからん」

 里莉には口が裂けても言えないが、家族以外の誰かとこんな風に話したり何かをしたりすることが久しくなかった奈都は、二人との時間を楽しいと思ったのだった。