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 麗によって案内された発明者の自宅は、市内どころか日本でも有名な科学者である有栖川賢斗の研究所だった。そこら中で発生する謎の光と謎の煙、無意味にも思える多数のコンセントを見ながら地下に降りると、薬品や煙の不快な臭いが鼻を突いた。

 有栖川賢斗は一体なぜ麗を作り、なぜ私にプロポーズさせたのだろうか。

 それを追及するためにわざわざここまで来たのだが、あまりに臭いので奈都は一刻も早く帰りたい衝動に駆られていた。
 顔を顰め続けていると、横を歩いている麗は足を止めて告げた。

「わたしのマスターはね、とても繊細で優しい人なんだ。きっと君も好きになるよ」

「そうですか? 今のところ、印象は最悪ですけど……」

「話してみれば好きになるって。ほら、あそこに座っている人がマスターだよ」

 麗の視線の先を追うと、麗の生みの親――発明者は、理科室にあるような黒いテーブルが連なるその中の一つに胡坐をかいて、こちらを見ていた。

 一目見て、奈都はその人が有栖川里莉だとわかった。

 彼女とは小、中学校の同級生だが、里莉は中学一年の後半から学校に来なくなり、その後は高校に進学したかも不明だったため、およそ四年ぶりの再会であった。

 里莉は白衣を身に纏い、金色に染め上げた髪の毛を煌かせていた。
 意思の強さを主張するような少しきつめの双眸に、人を挑発するに相応しい形の唇を持っていた。里莉は元々綺麗な顔立ちをした少女だったが、その容姿の美しさは月日を経て更に磨きがかかったように見えた。

「お待たせして申し訳ございませんマスター。新条奈都ちゃんをお連れしました」

 麗が頭を下げると、里莉は白衣のポケットに両手を突っ込んだままテーブルを降り、不敵な笑みを口元に浮かべながら奈都に近づいてきた。

「久しいな新条。あたしが学校に行かなくなってからだから、およそ四年ぶりか」

「……っていうか、星澤さんを作ったのは君なの? 有栖川賢斗じゃなくて?」

「ああ。有栖川賢斗はあたしの義父だが、遺伝子を引き継がなくても幼少の頃より同じ環境の下で生活していれば、少なからず影響は受ける」

 珍しい苗字だとは思っていたが、あの有栖川賢斗と里莉が義理の親子関係だということは、初めて知った事実だった。

「いや、驚いた……十六歳でこんなに人間に近いロボットを作れるなんて、有栖川ってすごいんだね」

「まあな。お前たちのような一般人とは脳の作りが違うのだよ。ゆえに、通学する必要性を感じなかった。言わば高貴なる引きこもりなのだ」

「……じゃあさ、凡人にもわかるように、星澤さんが学校まで来て私にプロポーズをしてきた理由を教えてくれる?」

「……だが、学校に行かないことの最大の落とし穴、実に単純で大事なことにあたしは気づいてしまった……そう、それは青春である!」

「……人の話、聞いてる?」

 話が全く噛み合っていない気がするのは、気のせいではないだろう。

「家に篭るということは、外部との接触を絶つこと! 勿論、女の子と接することなんて一切ない! わかるか? どうやって話せばいいのか……どうやったら好きになってもらえるのかなんて、さっぱりわからんのだ!」

「え、どういうこと? 友達が欲しいってこと?」

「前置きしておくと、あたしは女の子が好きだ。男なんて汚らわしくて話したくもない」

 さらりとカミングアウトされた。

「あ……そ、そうなんだ。び、びっくりした……けど、別に偏見とかは、ないから。その……」

 里莉が同性愛者だということに、驚いたわけではない。
 自分と同じ性的嗜好をしている女の子を、初めて目の当たりにしたからだ。

 どう続けようか躊躇った一瞬の間に、里莉は横にいる麗の背中を自慢気に叩いた。

「あたしはもう諦めたんだよ、モテ人生という奴を! だからあたしの夢は、すべてこの子に託したのだ!」

「……さっきから何を言っているのか、わからなすぎて頭が痛い」

 並んでいる二人を交互に見比べ、奈都は眉間を押さえた。

「ふん、頭の悪い奴だ。お前レベルに合わせて説明すると、とにかくモテる女を作りたかったあたしは、ありとあらゆるタイプの女を口説けるロボット、つまりこの麗を作ったのだ! この子はあたしの発明技術の最高傑作であり、あたしの夢そのものなんだよ!」

 力説されても、やはり意味がわからない。

「……ん? 女の子にモテたいのに、女のロボットを作ったの?」

「男の姿で女にモテても意味がない。あたしはあくまで、女の子同士がイチャつくのを見るのが好きなんだよ。もちろん、麗は女にモテるが……難点を一つ上げるなら、あまりに美女すぎて男も寄って来てしまうということだけだ」

 里莉は自分の発明に酔っているように、恍惚とした表情で麗の髪を撫でた。

「……わかった。嗜好は人それぞれだしとやかく言わないよ。だけどさ、もう一度聞くよ。星澤さんが私にプロポーズして来たのはなんで? 女なら手当たり次第なの?」

「……それが、まるでわからん。あらゆる女の子を口説くようにプログラミングはされているが、トラブルの元になりそうだから結婚という単語は入れていないはずなんだが……まあ、何かしらのエラーが発生したんだろう。今後の改善の参考にさせてもらう」

 他人事のようにそう言って、麗と微笑み合う里莉を見て唖然とした。

 奈都は人と仲良くなることが得意ではない人間だが、里莉は自分の上を行くように思えた。人付き合いを絶って生活してきた彼女の代償は大きく、そして罪深い。

「奈都ちゃん、マスターと仲良くしてくれてありがと。やっぱりすごく優しいんだね。だからわたし、初めて結婚したいって思っちゃったのかなあ?」

「……仲良さそうに見えます? 星澤さんの目って節穴ですね」

 奈都に対して麗が所構わず口説きにかかるのは、それがエラーだとしても自身の存在意義を証明するためなのだ。だからいくら美人だからといって彼女に胸が高鳴ってしまうなんて、愚かでしかない。そう自分に言い聞かせ、奈都は手を繋ごうとしてくる麗の手を静かに払った。

 その一連の流れを興味深そうに見ていた里莉の視線が癪に触った。

「なに? 私は有栖川の実験台にはならないから」

「いや……お前があたしの過去を知っているということは、あたしもまたお前の過去を知っているということだ。……新条、まだあの“能力”を使えるのか?」

「あー……まあね。でも年をとった分、人と距離を置くことが上手くなったと思うよ」

 里莉が同じクラスにいたときに起きた、奈都の人生を決定的に変えた一つの事件。
 きっかけは本当にくだらないことだった。いつも一緒に遊んでいた友達二人が、流行っていて入手困難だった文房具を盗んだか否かで喧嘩をした。奈都は真実を暴いて二人を仲直りさせようと思って、容易に能力を使ってしまったのだ。

 結果、むやみに能力を使うなと口を酸っぱくして言っていた家族の教えは正しかったのだと実感することとなった。
 たかが十六年の人生だが、あのとき程後悔したことはない。あの瞬間こそが奈都の人格を変え、運命を変え、人生を変えてしまったのだ。

「ふうん……まあ、あたしには関係ないな。あたしはムカつくことがあればすぐに顔に出るし口に出す、裏表のない正直な女だ。残念だな新条、お前の力など無意味だ」

「……たとえ頼まれても、有栖川には使わないって」

 確かに里莉の性格を考えれば、気を遣う必要はないだろう。憎まれ口を叩きつつも、里莉が気にしないと言ってくれることは素直にありがたいと思えた。

「そうだ! 麗があたしの夢を叶える力を持ったいかに優秀な相棒かを、新条にも見せてやろうじゃないか! さあ、行くぞ!」

「え。行かないよ、帰る」

 里莉から後ずさりで離れようとする奈都を、麗が逃がさないように押さえこんだ。

「奈都ちゃんにも見ていてほしいな。わたしの頑張る姿」

「い、いや、私はあんまり興味がないというか疲れたというか帰りたいというか……か、帰してくださいー!」
 奈都の懇願は誰に届くこともなく、強制連行が決定した。