「とにかく、もう有栖川は何もしなくていいから」

 里莉はしばし逡巡していたようだが、やがてぽつりと口を開いた。

「……だがそれでは、あたしの気が済まない。あたしはこれからどうすればいい?」

「奈都ちゃんは大丈夫ですよ、マスター。支えてくれる人がいるんですから」

 これまで二人のやり取りを黙って聞いていた麗が、里莉の首の後ろを手刀で軽く叩いた。人間とは呆気ないもので、里莉は瞬時に気を失った。

 里莉をしっかりと受け止め、振り向いた麗と目が合った。
 彼女が何を切望しているのか、能力なんか使わなくとも簡単に察することができる。わかるからこそ、辛い。

 奈都は気が急いた。彼女が言葉を発する前に、何か言わなくてはと思った。

「私、同性愛者なんです」

 もっと言うべき言葉が、この場に相応しい言葉があったはずなのに、唇から零れたのは麗にとってどうでもいいであろう奈都の話だった。そんな馬鹿げた告白と前後の会話の整合性を考えてみれば、麗が首を傾げて対応を計算するのも当然の流れだった。その計算時間を逆手に取って、奈都は一人口を動かし続けた。

「でも麗さんもすでにご存じだと思いますけど、私には友達すらいないわけで。彼女を作るなんて夢のまた夢みたいな話なんですよね。あはは」

「作ろうと思えばすぐ作れるよ。君は素敵な女の子なんだから」

「……そんな女なので、優しくされたり、笑顔を見せられたり、嬉しい言葉を言われたりすると……すぐに好きになってしまうから、困るんですよ」

 初めはロボットだから安心して喋れるだけだと、そう思っていた。
 だけど奈都は麗に優しくされたことで、麗の不器用なギャップに惹かれたことで、あくまで普通の女の子を好きになるように、彼女に惚れてしまっていたのだった。

 ロボット、ロボットと繰り返し彼女をそう表現したのは、心に張った予防線だったのかもしれない。そのくせ麗が人ではないことを実感しては傷ついて、どうしようもない馬鹿である。

「……奈都ちゃん、あのね」

 ――だからこそ、最期くらいは麗のために役に立ちたいと、心から思った。

「安心してください。あなたは、私が壊します」

 声は震えていないだろうか。感情の機微を悟られるような、わかりやすい信号は送っていないだろうか。
 麗に対策を取られる前に会話の主導権を握り、彼女の口を塞いだ。

「そうしてくれると、嬉しい。マスターに嘘をつかせなくて済むもの」

 奈都の死刑宣告に麗は微笑み、里莉をそっと地面の上に降ろした。

「目の前に泣きそうな女がいるっていうのに、母親を優先しますか? 麗さんはモテロボットとして完璧とは呼べませんね」

 奈都が無理やり笑顔を作ると、麗もまた柔らかく笑って胸に手をあてた。

「……最期にお礼を言わせて。奈都ちゃんがわたしを通してマスターの心を読んでくれたことで、わたしは自分が作られた本当の目的を知ることができた。ありがとう。わたし、マスターと好きな人を結ぶことができなかった不良品だと思っていた。だから君に会えて、君のおかげで、存在意義を肯定されたようで嬉しかった」

「そう言ってもらえると、私も嬉しいです」

「でも、君たち三姉妹を見つけるというわたしの仕事は完遂されても、君たちの能力を無効化するというマスターの目的はまだ達成されていない。だからマスターはこれからもっと君の側にいて、支えようとするんだろうね。口下手で不器用な人だから、君の機嫌を損ねることもたくさんありそうだけど」

 確かに、あの里莉が奈都の説得くらいで身を引くとは思えない。手段を変えて、また何かを企んできそうである。

「……想像しただけで鬱陶しいですね」

 奈都が眉根を揉むと、麗は楽しそうな表情を見せた。

「……奈都ちゃん、わたしの左奥歯にある永久活動停止装置を、強く押して」

 自分の処刑方法をあっさりと告げる麗の白い頬を、おそるおそる掴んだ。
 麗はなんとも思っていないだろうが、仕草がキスみたいだと一人勝手に意識した奈都は、麗に気持ちを悟られないよう顔に出さないように必死だった。

「……ねえ。なんかさ、これってキスみたいだね?」

 麗が奈都の目を見て、少し照れたように笑った。

 一瞬心が通い合った喜びが、栓を抜いてしまったようだ。寂しいという感情が防波堤を突破するのを感じる。涙として奈都の頬を流れたそれを親指で掬う麗は、視界が滲んでいても至極美しかった。

 もう語る言葉を持たない奈都がそっと麗の口元に人差し指をあてがうと、麗は少しだけ屈んで奈都に小さく耳打ちをした。その言葉に少しだけ戸惑ったけれど、今は頭の隅に置いておくことにする。

 指先が麗の左の奥歯に触れたことを確認する。口内は悲しいことに、暖かくなかった。

「好きだよ、奈都ちゃん。ありがとう」

「……嘘つきなところまで、有栖川に似なくてもいいですよ」

 麗はとびきり美しい微笑みを見せてから停止した。

 二度と動くことのない彼女の姿を、奈都は里莉が目を覚ますまで見つめ続けた。