幸いにして雪は積もっていないが、体温を奪い去るような寒さが身にしみる。
 宮城県の車通りの少ない国道をバイクで走っている里莉を、奈都と麗は道路横の茂みの中で待ち構えていた。

 何か思惑があったのか単純に金欠だったのかはわからないが、里莉が飛行機も新幹線も高速道路も使わずにバイクで移動していることは、奈都たちにとって幸運だった。

 こうして里莉が目的地に着いてしまう前に手が打てるのも、すべては麗の功績だ。
 麗は里莉が辿るであろうルートを彼女の性格や行動パターンを元に計算し、里莉と接触可能な場所を叩き出したのだった。

「見えた! 奈都ちゃん、集中して」

 そして今、半径二キロメートル以内であれば対象を確認できる彼女の視界の中に里莉を捉えた。段々と近づいてくる里莉を待機するだけの状況下の中、奈都と麗の間に刻一刻と緊張感が高まっていく。

「あと三十秒でここを通過するよ。……あと二十秒……あと十秒……」

 麗が立てた作戦は、里莉が通り過ぎる瞬間に体を使ってバイクを止めるといった、とても人間には不可能なものだった。「危ないですよ」と口に出してはみたものの、それ以外の方法を思いつかなかった奈都は結局彼女にその案を押し切られてしまった。

「五、四、三、二、一!」

 麗が道路に飛び出した直後に大きな音が耳を劈き、進行方向に白い煙が作られていくのを見た。道路とタイヤが摩擦して、ゴムが焼けた臭さが鼻を突く。

 奈都がその一瞬の出来事を映画を見るかのように客観的に視界に収めたのは、あまりにも現実離れした光景だったである。

 有言実行、麗は本当にその身一つで里莉の乗ったバイクを受け止めた。制動距離はおよそ三十メートル。麗のブーツは磨り減って、底には穴が空いているだろう。それでも血は出ず、彼女が痛がる素振りはない。

 現実味のない現実の中で、奈都は一つの現実を実感する。
 麗はロボットであり、人間ではないのだ。

「何してんだよお前らは!」

 何が起こったのか理解するのに時間がかかっていた里莉が、ようやく言葉を発した。感情を露にしながらバイクを降り、金髪を片手で掻き毟って麗を怒鳴りつけた。

「麗! あたしの邪魔をするなんて何を考えている⁉ お前にそんなプログラムを入れた覚えはない! それに、人に危害を与えるような行動をするなんてロボットとして恥だと思え!」

 里莉の怒声に麗は何一つ反論しなかった。いや、反論できないのだろう。そういう風にプログラムされているし、里莉の言っていることは正論に等しいからだ。

「……怒鳴るよりも先に、体を張って守ってくれた女の子を労わってあげるべきだと思わない? こういうところがわかっていない有栖川に、モテロボットなんか作れないよ」

 だから麗の代わりに、里莉の間違いは奈都が指摘する。
 奈都を見た里莉は、不快そうに顔を顰めた。

「……守った? 自分から飛び出しておいて何を言う。それに新条、お前には関係ないだろう」

「いや、麗さんは守ったよ。……有栖川を拘束しようとする未来からね」

 捻くれた回答を寄越す里莉に、奈都は至って冷静に返す余裕があった。

「確かに、私には有栖川のすれた態度を注意する義理も、麗さんの扱い方に口を出す権利もないよ。でも有栖川がこれからしようとしていることに関しては、私が関係ないなんて言わせない」

 奈都の言葉は、里莉の表情をわかりやすく狼狽させた。里莉は上擦った声で、呟くように訊いた。

「お前、なんで……?」

「さあ? でも冬の青森にバイクで行くなんて、馬鹿な真似はやめた方がいいんじゃない?」

 里莉がどれだけ愛情込めて麗を作ったのか、里莉にどんな過去があり、何を思っているのかも知ってしまった奈都には、何もしないでいるなんて選択肢はなかった。

 里莉は苦虫を噛み潰したような顔をして、小さく舌打ちをした。こんなときにこそ嘘をつけないとは、里莉もまだまだ爪が甘い。

「私は能力を言い訳にして人間関係を構築することを恐れているだけで、こんな能力があろうがなかろうが根暗な私の性格とは関係ない。だから有栖川が心配するようなことは何一つない。それでも気になるなら……これから私が、少しずつ変われるように頑張るから」

「……新条……」

「姉ちゃんと亜希は私と違って優秀だから心配ないけど……有栖川が義理のお父さんに拘束されることで未来が閉ざされることを知ったら、絶対悲しむから」

 吐き出す息は白く、東北の厳しい寒さを視覚でも確認できる。

 里莉の泣きそうな顔も、震える肩も見なくて済むように、吐息が煙幕のように視界をぼやけさせてくれればいいのにと思った。

「……新条、いろいろ言ってやりたいことがあるが、一つだけ聞かせろ。麗には……心があったのか……?」

 振り絞るように出した里莉の期待と不安を併せた問いには、沈黙で答えた。
 肯定も否定もしない奈都の真意を里莉が悟れるとは思えないが、深くは聞いてこないだろうという強い確信はあった。

 里莉は視線を逸らし、大きく息を吐いた。

「……ふん、臆病な奴め」

「そう? 麗さんにも心があればいいなんて、子どもじみた願望を否定されずに内心安堵している臆病者は、有栖川の方でしょ?」

 そう返して笑う奈都に、里莉は何も言わなかった。
 今は里莉の卑怯な逃げ方をこれ以上からかうつもりはない。彼女にはこれから、身を切られるような別れが待っているのだから。