「どうぞ」
 アパートについてドアを開けると、三枝さんは靴を脱ぐのももどかしいというように、「おじゃまします!」と言い置いて部屋に上がった。ぐるりと部屋を見渡して、首をかしげて私の方に振り返る。
「あの、水槽はどこに?」
「これです」
 こたつに近づいてガラスポットを指さす。三枝さんは、しばらくいぶかし気にポットを見下ろしていたけど、金魚が目に入ったらしい。しゃがみ込んで、ポットを両手で握った。
「本当に、光ってる!」
 瞬きも忘れたようで、金魚を凝視している。金魚は三枝さんの側に寄っていって、見つめ合うかのようにひらひらとホバリングしている。私には近づいてこないのに。やっぱり、三枝さんみたいに金魚が好きだと、その気持ちも伝わるんだろう。
「あの、部屋、暗くしましょうか」
 真昼の日差しの中では、あまり光っているという感じが出ない。鱗が日の光を反射しているようにも見える。
「お願いします」
 目をそらすことなく、三枝さんが返事をした。遮光カーテンを閉めると、金魚の光は良く見えた。ポットが明るくなるほど、はっきりと光り輝いている。
「美しい」
 ぽつりと呟いて、三枝さんはやっと金魚から目を離した。カーテンを開けて光を入れても、やっぱり金魚は光ったままだ。
「……どこで手に入れたんですか」
 突然現れたことを話すべきか、少し迷った。だけど、もう金魚が変だということを見せたんだから、出会いがどうだろうと関係ないような気がする。
「朝起きたら、ガラスポットの中にいたんです。突然現れたっていうか……」
 どう説明したらいいものか、悩み悩み話していると、三枝さんが早口で尋ねる。
「買ったわけでも、もらったわけでも、捕まえてきたわけでもなく?」
「はい。勝手にポットの中に入っていました」
 三枝さんはまた金魚を見つめた。金魚があちらこちらと動き回るのを、じっくりと見守っている。
「考えをまとめるために時間をください」
 こっくりうなずいて、邪魔にならないように窓際に行って膝を抱えて座った。

 三枝さんは腕組みしたまま、金魚を眺めて動かなかった。その間、私はずっと三枝さんを眺めていた。きょろきょろ動く目は丸くて、子どものような愛嬌がある。難しいことを考え込んでいるだろうに、表情はなぜか微笑んでいるように見える。
 どうしてだろうと観察すると、口角が柔らかく上向きにカーブしているからのようだと目星がついた。
「最初から光っていましたか?」
 三枝さんが口を開いたのは、金魚を見つめて動かなくなってから二時間後のことだ。暇でウトウトしていたから、突然の質問が一瞬、理解できなかった。
「え?」
「金魚は現れたときから、ずっと光っていましたか?」
「いいえ、最初は普通の金魚でした」
 いや、どこからともなくガラスポットの中にやってくる金魚が普通なはずはない。
「最初から、普通じゃない金魚でした。光りはしていなかったですけど」
「普通じゃないって、どんなふうに?」
「レモン水の中で平気で泳いでます」
 三枝さんはポカンと口を開けた。
「レモン水?」
「はい。そのポットは私が飲むためのレモン水を入れているものだったんです。そこに知らないうちに金魚が入っていて」
 ポットの蓋を開けてにおいを嗅いだ三枝さんは眉を顰めた。
「ほんの少しだけど、レモンみたいなにおいがする。いや、でも、そんなバカな」
 なにか問題があるのだろうか。首をかしげてみると、三枝さんが説明してくれた。
「金魚が健康に暮らせるPH値は、中性から弱アルカリ性なんだ。レモン水のように強い酸性ではすぐに弱ってしまいかねない」
「じゃあ、これは金魚じゃないんでしょうか」
 じっと金魚と見つめ合う三枝さんの目の前で、金魚がフンをした。虹色だ。三枝さんは頭を抱えた。

 いいかげん、喉も乾いたし、お腹も空いた。また動かなくなった三枝さんをそのままに、コーヒーを淹れて、最近お気に入りのビスケットをお皿に入れてこたつに運ぶ。コーヒーの香りで顔を上げた三枝さんが、ぺこりと頭を下げて、マグカップに手を伸ばした。この部屋にマグカップは私の分しかないから、私のコーヒーは水筒に入れた。
「……エサのせいかもしれない」
 ぽつりと言うので、金魚にやっているエサのボトルをこたつに乗せた。三枝さんはボトルに書いてある英語を隅から隅まで読んで、深いため息を吐いた。
「そんなわけないか」
「研究所かどこかに連れて行ってみた方がいいでしょうか。新種かも」
「それはよしましょう」
 三枝さんが顔を上げた。みょうに思いつめたような表情だ。
「研究として、どんなことをされるかわからない。金魚を大切にしてくれるとは限りませんから」
 たしかに、研究するとなると、いろいろな負荷を金魚にかけることになるだろう。三枝さんには、それは辛いことみたいだ。
「金魚、好きなんですね」
「はい。出来れば世界中の金魚を幸せにしたいんです」
 そのセリフを聞くのは二度目だと思いだした。一度目は、夏祭りで聞いたのだ。