ペットショップが開く十時ちょうどに店の前に立った。昨日の女性でもいいから、とにかく金魚のフンの怪異について聞いて欲しかった。
水槽の壁をすり抜けていくと、レジ近くで段ボール箱を開けている店長さんを見つけた。
「すみません」
声をかけると、店長さんは振り返って、明るい笑顔を浮かべた。
「いらっしゃいませ。金魚はどうですか?」
「フンをしました」
「それは良かった。ちゃんと長さも色も大丈夫でしたか」
「大丈夫じゃなくて……」
虹色でしたと言おうとして、口を閉ざした。そんなバカなことを言って、信じてもらえるわけがない。
「なにか変なところでも?」
でも、この人ならもしかしたら。なぜか助けてくれるのではないかと思う。
「虹色でした」
店長さんの動きがピタリと止まった。なにを言っちゃったんだろう。私も動けなくなった。頭が真っ白で、口も開けない。
「虹色……ですか。それは、透明なフンが光を反射していたということでしょうか」
店長さんは笑いも呆れもせずに真面目に聞いてくれる。もしかして、たまにある現象なのかもしれない。
「電気を消したら、フンが光ってました」
また店長さんの動きが止まった。だけど、すぐに腕組みして、天井をあおいだ。
「水槽にライトを取り付けていますか?」
「いいえ」
「常夜灯をつけていたり」
「いいえ」
「カーテンの隙間から灯りが入ってきたり」
「遮光カーテンです」
腕を解いて、私の目を見て、力強くうなずく。
「新種が報告されていないか、調べます」
そう言って、段ボールを放置したままレジの奥に置いてあるノートパソコンに向き合った。
ものすごい勢いでキーボードをたたき、マウスを動かすしていくつもの写真や文献を見ている。
「いらっしゃいませ」
女性の声がして振り返ると、昨日の女性がいた。
「ご用は店長がうかがっていますか?」
「あ、はい」
女性はニコッと笑って会釈すると、段ボールから商品を取り出し始めた。中身は魚のエサみたいだ。
ふーと大きなため息が聞こえて、店長さんがレジ裏から出てきた。
「文献なんかは見つかりませんでした。どんな金魚なんですか?」
スマホの写真を見せると、店長さんは顔をしかめた。
「初めて見る形です。カズちゃん」
呼ばれた女性がエサを陳列していた手を止めてやって来た。
「こんな形の金魚、見たことある?」
「んー? 『キラキラ』に似てますかね」
「そうだね、でも鱗は反射しているようには見えない」
店長さんは私の顔を見て、口を開けかけて、一旦閉じた。
「すみません、お名前をうかがってもいいですか」
「青柳ですけど……」
「ありがとうございます。あ、僕は店長の三枝です」
三枝さん。なんだか昨夜、椎葉さんたちと連絡先を交換したときのような高揚した気分になった。
「青柳さんの金魚は、鱗が光を反射しますか?」
「いえ、金魚自体は赤いだけです」
三枝さんとカズさんは顔を見合わせて討論を再開した。
「型はそれほど大きくないみたいですよね。形も和金らしい素直な姿だし」
「気になるところと言えば、尾びれが大きいのが特徴的かな。だけど、それくらいは個性のうちかもしれない」
「『クイタフナキン』の可能性はないですかね」
「そうだね、亜種が産まれるとしたら、それはあり得るか」
なにを話しているのか、よくわからない。二人を観察することしか出来ない。
カズさんは長い髪を丁寧に編み込んで、複雑な模様みたいにしている。私にはとても出来ない。手先の器用さもないし、そもそも髪を飾ろうと思うこともない。きっと、私は女子力が低いというやつなんだろう。
カズさんには仕事に対する情熱がある。店長に相談されるほどの知識もある。昨日は一人で店を切り盛りしていた。私が勝てることは、なに一つない。
勝つ? 勝つって、なにに?
「青柳さん」
三枝さんに呼ばれてハッとした。相談に来たのに、ぼうっとしていた。
「一度、動画を撮ってもらえませんか。動いているところを見たら、もっとなにかわかるかもしれません」
「はい」
「それと、フンをしたなら、普通はエサをやってもいいところなんですが……。金魚のお腹がへこんでいたりしますか?」
昨夜も今朝も見ていたのに、お腹のサイズなんて気にもしなかった。
「……わかりません」
私は飼い主失格なのではないだろうか。三枝さんは不快に思わないだろうか。
「お腹がへこんでいないなら、もう少し絶食で様子を見てもいいかもしれません。水温は少し高めに」
「あ!」
そうだ、ヒーターを返そうと思っていたんだった。なのに混乱していて、持ってくるのを忘れてしまった。
そう話すと、三枝さんは「いつでもいいですよ」と優しく言ってくれたけど、新しい魚が入荷したら使う予定だと言っていた。お礼を言って店を出て、急いで家に帰ることにした。ヒーターを持ってもう一度来よう。
家に帰って水温計を取り外そうとポットの蓋を開けると、金魚は全身からピカピカと虹色の光を放っていた
水槽の壁をすり抜けていくと、レジ近くで段ボール箱を開けている店長さんを見つけた。
「すみません」
声をかけると、店長さんは振り返って、明るい笑顔を浮かべた。
「いらっしゃいませ。金魚はどうですか?」
「フンをしました」
「それは良かった。ちゃんと長さも色も大丈夫でしたか」
「大丈夫じゃなくて……」
虹色でしたと言おうとして、口を閉ざした。そんなバカなことを言って、信じてもらえるわけがない。
「なにか変なところでも?」
でも、この人ならもしかしたら。なぜか助けてくれるのではないかと思う。
「虹色でした」
店長さんの動きがピタリと止まった。なにを言っちゃったんだろう。私も動けなくなった。頭が真っ白で、口も開けない。
「虹色……ですか。それは、透明なフンが光を反射していたということでしょうか」
店長さんは笑いも呆れもせずに真面目に聞いてくれる。もしかして、たまにある現象なのかもしれない。
「電気を消したら、フンが光ってました」
また店長さんの動きが止まった。だけど、すぐに腕組みして、天井をあおいだ。
「水槽にライトを取り付けていますか?」
「いいえ」
「常夜灯をつけていたり」
「いいえ」
「カーテンの隙間から灯りが入ってきたり」
「遮光カーテンです」
腕を解いて、私の目を見て、力強くうなずく。
「新種が報告されていないか、調べます」
そう言って、段ボールを放置したままレジの奥に置いてあるノートパソコンに向き合った。
ものすごい勢いでキーボードをたたき、マウスを動かすしていくつもの写真や文献を見ている。
「いらっしゃいませ」
女性の声がして振り返ると、昨日の女性がいた。
「ご用は店長がうかがっていますか?」
「あ、はい」
女性はニコッと笑って会釈すると、段ボールから商品を取り出し始めた。中身は魚のエサみたいだ。
ふーと大きなため息が聞こえて、店長さんがレジ裏から出てきた。
「文献なんかは見つかりませんでした。どんな金魚なんですか?」
スマホの写真を見せると、店長さんは顔をしかめた。
「初めて見る形です。カズちゃん」
呼ばれた女性がエサを陳列していた手を止めてやって来た。
「こんな形の金魚、見たことある?」
「んー? 『キラキラ』に似てますかね」
「そうだね、でも鱗は反射しているようには見えない」
店長さんは私の顔を見て、口を開けかけて、一旦閉じた。
「すみません、お名前をうかがってもいいですか」
「青柳ですけど……」
「ありがとうございます。あ、僕は店長の三枝です」
三枝さん。なんだか昨夜、椎葉さんたちと連絡先を交換したときのような高揚した気分になった。
「青柳さんの金魚は、鱗が光を反射しますか?」
「いえ、金魚自体は赤いだけです」
三枝さんとカズさんは顔を見合わせて討論を再開した。
「型はそれほど大きくないみたいですよね。形も和金らしい素直な姿だし」
「気になるところと言えば、尾びれが大きいのが特徴的かな。だけど、それくらいは個性のうちかもしれない」
「『クイタフナキン』の可能性はないですかね」
「そうだね、亜種が産まれるとしたら、それはあり得るか」
なにを話しているのか、よくわからない。二人を観察することしか出来ない。
カズさんは長い髪を丁寧に編み込んで、複雑な模様みたいにしている。私にはとても出来ない。手先の器用さもないし、そもそも髪を飾ろうと思うこともない。きっと、私は女子力が低いというやつなんだろう。
カズさんには仕事に対する情熱がある。店長に相談されるほどの知識もある。昨日は一人で店を切り盛りしていた。私が勝てることは、なに一つない。
勝つ? 勝つって、なにに?
「青柳さん」
三枝さんに呼ばれてハッとした。相談に来たのに、ぼうっとしていた。
「一度、動画を撮ってもらえませんか。動いているところを見たら、もっとなにかわかるかもしれません」
「はい」
「それと、フンをしたなら、普通はエサをやってもいいところなんですが……。金魚のお腹がへこんでいたりしますか?」
昨夜も今朝も見ていたのに、お腹のサイズなんて気にもしなかった。
「……わかりません」
私は飼い主失格なのではないだろうか。三枝さんは不快に思わないだろうか。
「お腹がへこんでいないなら、もう少し絶食で様子を見てもいいかもしれません。水温は少し高めに」
「あ!」
そうだ、ヒーターを返そうと思っていたんだった。なのに混乱していて、持ってくるのを忘れてしまった。
そう話すと、三枝さんは「いつでもいいですよ」と優しく言ってくれたけど、新しい魚が入荷したら使う予定だと言っていた。お礼を言って店を出て、急いで家に帰ることにした。ヒーターを持ってもう一度来よう。
家に帰って水温計を取り外そうとポットの蓋を開けると、金魚は全身からピカピカと虹色の光を放っていた