「え? あれ?」

 イチさんが庭を指さしていたから、てっきり歩いて外に出ていくものだと思い込んでいた。けれど希道様は、唐突にふっと消えてしまった。

「ええ、ええ。綾目様が驚かれるのも当然ですね。性格はどうであれ、希道様も龍神ですので、お力があるんですよ」

 あの人に対する物言いが辛辣になるのは、さっきまでのやりとりを見ていたら仕方がないのだろう。イチさんはよほど希道様を嫌いなようだが、私も好感を持てなかった。

「そう、ですか」

 呆然とつぶやく私を、イチさんが心配そうに覗き込む。
 彼女と視線が合い、ハッとする。

「そ、それより、佳月様の存在が、なくなるって……」

 つい、悲痛な声音になる。そんな私とは対照的に、当人である佳月様は無表情でいる。ここのところ、ずいぶん打ち解け合えたと喜んでいたのに、ここにきて心を閉ざされてしまったようで苦しくなる。

「それは……」

 言い淀むイチさんに、事実なのだと確信が深まった。

「言葉通りだ」

 意外にも、答えたのは佳月様本人だ。

「そんな」
「私たちはそういう存在なのだ」

 すべての感情を消した淡々とした声音に、どうして受け入れてしまえるのと悔しくなる。

 佳月様は、今となっては少しの抵抗もなくその運命を受け入れてしまっているようだ。すべてをあきらめたようなその振舞が、たまらなく寂しかった。

「私は嫌です。心優しい佳月様がいなくなるなんて、そんなの、受け入れられません」

 取り乱すのは私ばかりで、イチさんはうつむいたまま沈黙を貫いている。

「綾目がどう思おうと、変わらない」

 どうして平然としていられるのか。声を荒げても八つ当たりにすぎないというのに、自分の感情がコントロールできなくなる。

「わ、私が、あなたを見届けます。だから、いなくならないでください」

 震える声で、けれどきっぱりと言い切った。
 信仰心は、他人に強制できるものではない、それならば、せめて私だけはその心を失わない。

 佳月様が龍神として存在し続けられるのなら、私はなんだってする。そう覚悟を決めると、手をぐっとにぎりしめてしっかりと彼を見据えた。

「私、下沢村に戻ります。それで、佳月様の神社へ毎日お参りに行きます。私ひとりでは佳月様の力を取り戻すまではいかないでしょうが、それでも……」

 たったひとりでも佳月様を信仰する者がいれば、彼は存在していられる。

 村の人たちは、いなくなった私に恨みすら抱いているかもしれない。彼らになにをされるかはわからないが、そんなのは私が我慢していればいいことだ。
姿を消していたのだって、記憶がないとか気づいたら社殿にいたとか、なんとでもごまかせるかもしれない。

 梶原家に戻るのは、正直に言えば怖い。今度こそ、勝吾や昭人にひどい目に遭わされる可能性もある。想像するだけでおぞましいが、もしかしたらそれで梶原家の納屋ぐらいには置いてもらえるかもしれない。佳月様の存在が守られるというのなら、私が犠牲になるくらい些末なことだ。

 そんな醜い考えを見透かされないように、決して彼から視線を外さなかった。