「佳月様。ここからも私が話してよいでしょうかねぇ」
「……ああ」

 佳月様は、ひらりと手を振ってイチさんに託した。彼はまだどこか苦しげで、再び湯呑に手を伸ばして喉を潤している。 

「先ほど、佳月様が目にした下沢村は、綾目様が生贄にされた翌朝でした」
「え?」

 ここへ来てもうずいぶん時間が経つというのに、もとの世界ではわずかひと晩しか経過していないらしい。予想外の話に、とっさに意味が理解できなかった。

「ええ、ええ。驚かれるのも無理ありませんね。時間のずれは常に変化してるんですよ」

 つまり、ここでまた同じだけの時間を過ごしたとしても、現世で進む時間は必ずしもひと晩程度とは限らないらしい。

「ここは、佳月様の心に、時間の流れが左右されますからねぇ」

 なんでもないように話すイチさんに、言葉をなくす。

「翌朝になって、村人たちは再び神社に集まっておりました。ええ、ええ。私も先ほどその様子を見せてもらいましたからね、間違いありませんよ」

 お茶を用意しているわずかな間に、やりとりをしたのだろう。どうやって見るのか気になるが、私の踏み込んでよい領域ではなさそうだ。

「社殿の中に、綾目様がいないと気づいた彼らは、なにがあったのかと訝しんでましたねぇ。それから、梶原家の人間が……ああ、こちらはご夫妻だけおられましたよ」

 当然、昭人や公佳が来るとは思わない。

「おふたりが、綾目様は帰ってきていないと言えば、『それでは、あの娘は逃げたのか』とその場が騒然としました」

 そう思われても仕方のない状況かもしれないが、ほんの数カ月前に来たばかりのよそ者になにを期待しているというのだろうか。自分たちの村の話なのに、抵抗もできない私にすべてを背負わせ過ぎだ。

 無責任な彼らの行いや、心配のひとつもされないのかというやるせなさに、手をぎゅっと握りしめる。どうして私は、あの人たちのために命を脅かされなければならなかったのか。当時は心が麻痺して少しの反抗もなく受け入れていたが、今はその理不尽な扱いに憤りを覚える。

 あのとき、もしイチさんが助けてくれなかったら、私は佳月様に会うこともなかっただろう。

「ええ、ええ。綾目様の苦しみは、私もよぉくわかります」

 労わるようなイチさんの声音に、うつむいていた顔を上げた。さっきまで厳しい表情をしていた佳月様だったが、今は私に探るような視線を向けてくる。