「大丈夫です。大丈夫ですからね。佳月様のせいではございませんよ」

 なにかを堪えるように、佳月様が瞼を伏せて両手をぎゅっと握り合わせた。幾分か落ち着いた様子に、イチさんはもう大丈夫そうだと判断したらしい。彼女の意識が、ようやく私に向けられる。

「綾目様。温かいお茶をお願いします」
「は、はい」

 いつになく真剣な彼女に、不安感を煽られる。こくりとうなずいて、急いで台所に引き返した。

 素早く用意を済ませて佳月様の部屋にもどると、彼はもうすっかり平常心を取り戻したようだった。いつもの場所に座る佳月様の隣にひとり分間を開けてイチさんも座っており、彼女は私と目が合うと小さくうなずいた。

 緊迫した室内に、勇気を出してそろりと足を踏み入れる。私がここにいていいのか不安だが、さっきのイチさんの反応は入っていいということだろう。佳月様も咎めてくる様子はなく、慎重に彼の前まで進んでいく。

「ど、どうぞ」

 少々強張った表情の佳月様に、怯む心を必死に隠しながらそっとお茶を差し出す。

「綾目様、ありがとうございます。そちらにどうぞ」

 イチさんに促されるまま、ふたりに向き合うように用意されていた座布団に座った。
 湯呑を手にした佳月様は、いつもより緩慢な動作で熱いお茶を口に含む。目を閉じてゆっくりとそれを飲み下し、湯のみを机に戻した。

「すまない。見苦しいところを見せた」

 少し掠れた声音が、彼の疲労を表しているようだ。

「私が怖いだろ」

 わずかに表情を歪めた佳月様に、胸がしめつけられる。

「……え、えっと」

 緊張と混乱ですぐに反応できなかった私に、佳月様の眉間に寄ったしわが一層深くなる。 イチさんは変らず笑みを浮かべているが、言葉を発するつもりはないようだ。

「その、驚きはしましたが、怖いとは思いません」

 私の返事に、佳月様が訝しげな顔になる。おそらく、私の言葉を疑っているのだろう。

「佳月様が龍神様だと知っていますし、それに、あなたはこうして私をここにいさせてくれる、優しい方ですから」

 通常ではない様子に驚いただけで、怖かったわけではないとわかってくれるだろうか。なにも言わない佳月様に焦れて、さらに口を開いた。

「それよりも、心配しました。どこか、調子の悪いところがあるんじゃないですか?」

 イチさんが口走っていた『見てしまわれたんですね』や『佳月様のせいではございません』という言葉もどうにも気になる。
 けれど、人間である私に明かす話でもないのかもしれない。

「あ、あの。大丈夫のようでしたら、私は部屋の方に……」

 気心の知れたイチさんとふたりでいた方が佳月様のためになるだろうと、早々に立ち去ることに決めた。