「いいの、ですか?」

 確かめるようにつぶやくと、佳月様はわずかに眉間にしわを寄せた。

「いいと言っている。お前のことはイチにまかせる」

 手放しで歓迎されているわけではないのだろう。それでも佳月様は、私の滞在を許可してくれた。

「おまかせください、佳月様。ええ、ええ。佳月様はお優しい方ですから、そうお答えになると、私もわかっていましたよ」

 ようやく口を開いたイチさんに、佳月様は苦々しい顔を向ける。けれど、彼女を咎めたりはしないようだ。

「あ、ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」

 ようやく安心して、涙が滲む。それに気づいた佳月様は虚を突かれたような顔をしたが、すぐに無表情に戻った。

「それでですね、佳月様。綾目様のお得意なのが、家事だそうでして。ええ、ええ。私たちは食事もなにも必要ないのは、綾目様も知っておいでなんですよ」
「それがどうした」
「必要ないとはいえ、単調な毎日では佳月様も退屈でしょう?」

 イチさんが、ぐいっと佳月様に近づく。

「私はべつに、変化など望まない」
「はいはい。そうでございましょうね」

 あきれたように返したイチさんは、身を引いて姿勢を正した。

「とにかくですね、なにも求められないまま世話になり続けるのは、それはもう恐怖と言っていいほど不安なものなんですよ」

 わずかに驚いた顔をした佳月様は、イチさんをじっと見つめた。もしかしたら、彼女を助けた当時を思い出しているのかもしれない。イチさんによれば、そのときも佳月様は『好きにしていい』と言い放ったという。

「いいじゃないですか、刺激になって。ええ、ええ。本当は佳月様が微塵も迷惑に思っていないことぐらい、このイチめはわかっておりますからね」
「イチ、口が過ぎるぞ」

 少々わざとらしい口調のイチさんに、佳月様が苦々しい表情になる。

「はいはい。それでですね、綾目様には気が向いたときに、お料理やお菓子作りをしてもらおうかと考えていますから、楽しみにしていてくださいね」

「私は、べつに……」
「それからですね」

 佳月様の反応など意に介さない勢いで、イチさんが続ける。

「ここの暮らしに慣れましたら、少しずつやりたいことを見つけてもらおうと思っていますからね」
「……イチにまかせる」

「はい。おまかせされました。ああ、そうでした、そうでした。こちら、庭のみかんを取ってきましたよ。佳月様もどうぞ。さあさあ。綾目様も、そろそろお部屋に戻りましょうかね」

 佳月様も口を挟めない流れで、イチさんがすべてを取り仕切る。少々強引な彼女に対して、佳月はあきらめの表情でやり過ごした。

 イチさんに伴われて、部屋に引き返す。複雑に入り組んだこの回廊も、ここで過ごすからには早く覚える必要がありそうだ。

「はい、綾目様。お茶ですよ。さっきのみかんも、一緒にどうぞ」
「ありがとうございます」

 まだ手をつけずにいたみかんを手に、ようやく体の力が抜ける。

「佳月様もああ言ってくださいましたし、今日から綾目様は、正式にここの住人ですからね。ええ、ええ。あなた様が大変控えめなお方だとわかっていますが、遠慮もなにもいりませんよ」

 後から来たよそ者を、寛容に受け入れてくれるとは思っておらず、ありがたさに笑みが広がる。

「はい。少しでもお役に立てるよう、がんばりますね」

 イチさんは満足そうにうなずいて、部屋を後にした。