「綾目様、お待たせしました」

 食事を持って部屋に戻り、小さな座卓を用意する。そこに、分厚い座布団を置いた。

「こちらに来られますか?」
「はい」

 ゆっくりと立ち上がる彼女に手を貸してやれば、「ありがとうございます」と礼が返ってくる。確かめるように恐る恐る動かしたその足取りは、存外しっかりしていた。

「いただきます」

 きちんと手を合わせる礼儀正しさも好ましい。今時の若者は、下沢村のような田舎であっても、なかなかこうまっすぐには育たたない。
 まして綾目様は、数年前までずっと都会暮らしをしてきたはずだ。身近には擦れた性格の者もいただろう。それにもかかわらず、綾目様が気遣いのできる優しい人柄に成長したのは、よほどご両親の躾がしっかりしていたに違いない。ますますここに居続けてほしい、得難い女性だと確信する。

「美味しい」

 噛みしめるようにつぶやく彼女に、にっこりとほほ笑みかける。

「それはようございました」
「これは、イチさんが作られたんですか?」

「ええ、ええ。私たち常世の住人は、食事をする必要はないんですがね。現世の風習を知るのもなかなかに楽しくて、時折こうして真似ているんですよ。もちろん、食べることはできますし、味も感じるのである意味楽しみになっています」

 どうやら〝食事の必要はない〟ことに驚いたようで、目を瞬かせる様子がかわいらしい。

「それでは、料理なんかは手伝いにならないですね」

 回復したばかりだというのに、もうそんなことを考えていたのかと内心驚いた。わずかに肩を落とす彼女に、しまったと慌てて追加する。

「いえいえ。綾目様が食事の用意をしてくださるなんて、嬉しい限りでございます。私の作れるものは数種類ですし。ええ、ええ。食べる必要ないと言っても、食べる時間は楽しいもので、好きなんですよ」

 気まぐれに食事を作り、佳月様にも提供している。ときには一緒に食卓を囲むが、会話があろうとなかろうと、その穏やかな時間は気に入っている。

「期待されるほど、たいしたものは作れないんですが。作るのは好きなので」
「ここは変化のない毎日ですからねぇ。ええ、ええ。綾目様のなさることは、きっと私たちの癒しになることでしょう」

 きょとんと見つめ返す綾目様に、微笑みながら続ける。

「佳月様もお喜びになられるでしょうねぇ。綾目様は、家事は全般にお得意なんでしょうか?」
「得意ってほどではないですが、お世話になるからにはお手伝いをしようと思ってやってきたので。掃除、洗濯、料理は人並みにできます。あと、生前の母はお菓子作りが好きで、少しですが教えてもらったものなら作れます」
「まあ!」

 手をぱちりと合わせて、綾目様にずいと近づく。

「お菓子も作られるなんて、なんて素敵なんでしょう。いえね。現世のお菓子は知ってるんですよ。味はもちろん、こう、見た目も素晴らしくて。いくつか食べたこともございますが、お気に入りはプリンです!」
「プリンなら、私も作れますよ」

 ほっとした笑みを浮かべる綾目様の言葉に、気分が高揚する。

「本当ですか!」

戸惑う彼女にかまわず、そのほっそりとした手をさっと取る。

「それでしたら、綾目様には料理やお菓子作りをお願いいたしますね。ええ、ええ。もちろん、私もお手伝いさせていただきますし、ご無理のない範囲でかまいませんから。ああ、これから楽しくなりそうです」

 勢いよく彼女の手を上下に振り回しているうちに、ようやく肩の力が抜けたのか、ふふふと小さく笑う。頬にできたえくぼが、本当にかわいらしい。

「はい、よろしくお願いします」

 丁寧に頭を下げる彼女に満足して、ようやくその手を解放した。

「ですが、まずは体調を整えるのが先ですよ。ええ、ええ。平気そうに見えましても、ずいぶん衰弱していましたからね。ほらほら。片づけは私がやりますから、もうしばらく横になっておいでくださいね」
「ありがとうございます」

 素直に横たわった彼女に、そっと布団をかけてやる。瞼を閉じた綾目様を見届けると、音を立てないように気遣いながら部屋を後にした。