「その、たいしたことはできませんが、お礼をさせていただきたくて」
「そんなお気遣いは無用ですよ。ですがね、綾目様がここにいてくださる理由になるというのなら、ええ、ええ、そう考えていただいて、まったくかまわないんですよ」

 思わず彼女の手を握ってしまったが、綾目様の反応を見るに、もうひと押しといったところだろう。

「そうですねぇ。綾目様がここにいてくださるだけで、恩返しのようなものなんですけどね」

 下沢村にわずかにでもかかわった綾目がここに滞在すれば、佳月様はどうしたって現世を気にかけるだろう。それはそれで、よい傾向だ。

「ただいさせていただくだけでは申し訳ないので、なにか、イチさんや佳月様のお手伝いをさせていただければと」
「まあ! 綾目様はやはりお優しい方ですね。ええ、ええ。そのお心遣いはしっかり伝わっておりますとも。ですがね、まずは体調を万全にしていただいて、お手伝いについてはおいおい考えていきましょうか」

 ようやく体の力を抜いた綾目様にほっとして、次の行動に移る。

「とりあえず、簡単なものですが食事をご用意しておりますので、すぐにお持ちいたしますね」

 返事を待てば、彼女は極端に遠慮をするはずだ。そうさせないためにすぐさま立ち上がり、台所に向かった。

「あら、佳月様」

 佳月様が廊下にいるのは、気配で察していた。おそらく、綾目様が気になっているのだろうが、素直に認められないのがこのお方だ。

「イチか」
「ええ、ええ。あなた様の眷属のイチでございます」

 この場には私と佳月様以外はいないのなどわかり切っているのに、わざわざそう問いかけるところがいじらしい。つい、満面に笑みが広がった。

「龍神の私も、本来は眷属の立場だ」

〝神〟の名がつくとはいえ、龍神も眷属に違いない。ただ、その力が比べ物にならないほど膨大なため、同列には扱われない。

 しかしこの素直でない龍神様は、眷属である自分に眷属がつくのはおかしくと、屁理屈をこねているのだ。こんなやりとりは、もう何万回と繰り返しており、私になにを言っても無駄だと佳月様だってわかっているはず。だが、ここはあえて指摘しない。

「綾目様が目覚められたので、これからお食事を運ぼうと思いましてね。ええ、ええ。佳月様も必要でしたら、お部屋の方へお持ちしましょうか」
「私はいらぬ」
「そうでしたか、そうでしたか」

 本当は、綾目様が無事か気になっていたのだろう。
 人間たちの裏切りとも言える態度を悲しみつつ、それでも突き放しきれないこのお方は、わかりづらいだけで本当に心優しい龍神なのだ。

「それでは、失礼しますね」
「ああ」

 背中になにか言いたげな佳月様の気配をひしひしと感じながら、振り返ることなく廊下を進んだ。