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「――その日、春子(はるこ)は……」

 国語の教科担任である山下(やました)に指名された生徒が、それほど抑揚のない調子で、新しく学習する物語文を朗読していく。
 教科書をぼんやりと眺めているうちに、該当場所は見失っていた。

 昼食後の授業は、どうしても眠気に誘われる。おまけに、外は春先の心地よい陽気だ。重たい瞼を閉じないように必死に開けて、あくびを噛み殺す。腕をギュッとつまんでもみたが、霞がかった意識は晴れなかった。

 周囲の生徒も、似たようなものらしい。入学して間もないにもかかわらず、陽気な気候に緊張感は薄れ、完全に机に伏せている生徒すら見受けられる。

 なんとか顔を上げていたそのとき、扉をノックする音に急に現実へ引き戻された。

「すみません、山下先生」

 扉を開けて顔を覗かせたのは、副校長の米田(よねだ)だった。入室してくる様子はなく、少々慌てた様子で山下を廊下へ促す。
 なにか緊急の用件でもあったのだろうかと、教室内が小さくざわついた。
 
 すぐさま戻った山下は、ぐるりと室内を見回した。自分も含めた多くの生徒が、若干の好奇心をのぞかせながらその視線を追う。

三坂(みさか)さん」
「は、はい」

 まさか自分が呼ばれるとは思っておらず、返事の声が上擦ってしまう。

「話があるそうよ」

 いつも穏やかな山下のらしくない硬い口調に、瞬時に緊張が高まる。震える足を叱咤しながら廊下へ出る私を、興味津々な複数の視線が追うのを背中に感じるが、居心地が悪くて仕方がない。

「三坂、綾目(あやめ)さんだね」
「そうですけど」

 米田の張り詰めた雰囲気に、よい知らせではないのだろうと不安になる。

「さきほど連絡がありまして、ご両親が交通事故に遭われたそうです」
「え?」

 にわかに信じられず、首を傾げる。さらりと垂れたセミロングの黒髪が頬をくすぐったが、それを避ける余裕はすでにない。

「タクシーを呼んであるので、急いで荷物をまとめてきてください」
「は、はい」

 状況は掴めていないが、急かす米田に煽られて教室に戻る。事情を知っているだろう山下に小さな会釈で詫びながら、極力音を立てないように荷物をまとめていく。呑み込み切れない事態に、クラスメイトの視線など気にもしていられなかった。
 準備が整い、言われるまま小走り玄関へ向かう。校門付近にはすでにタクシーが到着しており、慌てて乗り込んだ。