本屋を出て、わたしは学校の最寄駅からふたつ離れた駅を降りて、さらに数分歩いたところにあるファミレスに向かった。この区間は定期圏内なので、電車は乗り放題だ。

店内に入ると、からんからん、とベルが鳴った。


「らしゃいませー……あ、」



わたしを迎えてくれたのは、いつも見かける男性スタッフ、兼クラスメイトの関くんだった。
軽く会釈をすると、「お好きな席どーぞ」と促される。


窓際の席が空いていたので、わたしはその席を利用することにした。密かにお気に入りの場所だ。日当たりが良くて、コンセントもある。

それから、店内全体を見渡せる、絶好の場所。



「ご注文は」
「あ……ホットコーヒーひとつで」
「かしこまりました」


呼び出しボタンを押さなくなったのは最近のことだ。関くんは、わたしがいつもホットコーヒーを頼むことを覚えてくれたようで、水を置きに来るついでに注文を聞いて戻るようになった。私はこの店の常連、なんだと思う。


特別仲が良いわけでもないクラスメイトが働いていることを知った上で利用するのは少々気まずさを感じるけれど、気まずさを感じてでも、わたしにはこのファミレスに来る理由があった。



店内を見渡し、〝彼〟を探す。

今日いるのは、関くんと、店長さんらしき男性と、時々見かけるパートのおばさんがふたり。
黒髪で色白で、特別柔らかな雰囲気を纏っていた〝彼〟の姿は、今日も見つけられなかった。


なんでいないの。そろそろ出勤してくれないと困るんですけど。


心の中で愚痴をこぼしながら、スマホを開く。

古乃のアカウントにログインし、届いているいいねやリプライの通知は開かないまま自分のメディア欄を遡った。


何度か画面をスクロールすると、ひとりの男の写真にたどり着いた。このファミレスの制服を着て、笑顔で仕事をする姿。写真越しでも、彼の持つ柔らかく爽やかな空気感が伝わって来てドキドキしてしまう。



古乃 @furuno**chan 20**/09/20

 彼氏くんかっこよすぎてこっそり写真撮っちゃった(,,> <,,)
 世界一かっこいいだいすき~~!!!!



写真は半年前、わたしがこの店でこっそり撮ったものだ。フォロワーに万が一同じ学校の人がいても身バレしないために顔が映らないような角度で収めている。



↳Haruka @ha**ru**20 20**/09/20
 顔見なくてもイケメンなのわかる


↳🌸メル🌸 @meruru*275 20**/09/20
 古乃さん彼氏いたの知らなかった、、、流石に勝ち組

↳満身創痍 @NHK*dont*come 20**/09/20
 生きる意味の具現化って感じする(???)



いいね四五九件、リプライ十七件。彼の写真を添えたその投稿には、いつもに比べてたくさんのコメントと反応がついていて、そのどれもが古乃を羨ましがるものだった。


なんとなく顔が好みだった。周りのお洒落な日常系アカウントはみんな恋人の顔を隠して写真を載せていて羨ましいと思っていた。

〝普通〟のふりをするには、恋人の存在を作らないとだめだと思った。そんな気持ちからほんのちょっと魔が指した、だけ。


カメラロールには、SNSには載せていない分の写真も何枚かあって、全部お気に入りにして保存していた。顔が映っているものも、名札が見えているものも、学校の制服姿のものも、わたしのスマホにコレクションされてある。


彼は「にしなくん」。
下の名前は一度も聞いたことがない。

名札にそう書いてあったので、名字だけ一方的に知っている。


この店のスタッフで、B校に通う高校生だ。たまたま彼が退勤する姿を見かけたこと時にB校の制服を着ていたことで、これもまた一方的に知った。


わたしが実際に「にしなくん」に会ったことがあるのは十二回。そして、「にしなくん」がわたしのSNSに出てきた回数もまた、十二回だった。



つまるところ、「にしなくん」の写真を撮るためにわたしはこの店に通っているといっても全く過言ではない、というわけだ。


勝手に彼氏にしてもバレない謎の自信があった。それは、わたしが通う高校と「にしなくん」が通う高校の偏差値には天と地ほどの差があったことと、広まるほどの繋がりをわたし自身が持っていなかったことからくるものだったのだと思う。


盗撮が悪いことだという自覚はあった。古乃の妄想がだんだん重いものになっていることもわかっていた。だけど、止められなかった。

有り余る承認欲求が満たされた時、わたしはとても安心するのだ。


それなのに、「にしなくん」が突然出勤しなくなってしまった。


最後に見かけたのはちょうど一か月前だ。文化祭準備の時期に入り、放課後の自由な時間が奪われてしまっていたので、わたしは一か月ほど店に来ていなかった。


SNS上では「文化祭超楽しみ♡」などと呟いていたものの、実際は心底面倒だと思っていた。あんなのは友達がたくさんいて明るい人間だけでやればいい。学校行事と名付けて楽しみ方を押し付けてこないでほしい、なんてそんなひねくれた思考は、誰にも共有されることなくわたしの中に潜んでいる。




「にしなくん」はどうしたんだろう。

出勤できない理由ができたのだろうか?
「にしなくん」には、できるだけ長くこの店のスタッフでいてもらわないといけないのに。



そうじゃないと、わたしはフォロワーにあなたを自慢できない。彼を介することでしか得られない安心感がある。そろそろ新しく「にしなくん」の写真を投稿しないと、別れたと思われてしまうかもしれない。恋愛も友情も、上手に匂わせておかないと。

そう、だから「にしなくん」に勝手にいなくなられたら困るのだ。