「いい話じゃん。青春の一ページって感じ」
「どこがだよ。あたしの生涯独身決まっただけの話じゃん」


笑ってそう言ったシロに本日二度目の舌打ちをかます。
こんな思い出、持っていたところで何の利益にもならない。まともなふりをして普通に歩幅を合わせていかないと、多数派が正義とされる世界には溶け込めないから。



「で? そのニュースと、モモの好きな子が遠のいていくのってなんで関係してるってわかんの?」
「わかんない。……でも、なんかわかるっていうか」
「はあ?」


意味が分からないと言いたげな表情でシロが聞き返す。

真相はわからない。思い込みかもしれない。それでも、仁科くんのニュースを聞いてからというもの、絢莉は少し変なのだ。


彼女は嘘がとても下手だ。新くんが絢莉を訪ねてきたことも含め、やはり仁科くんと絢莉の間には何かがあったのだと思う。けれどそれは、彼が消えたというニュースのように共有されることはなくて、毎日少しずつ雰囲気が変わっていく彼女を、私は何も言わず見つめることしかできない。

前に進んでいるように感じるのはどうか気のせいであってほしい。私を置いていかないで。そんな情けない思いだけが、あたしにまとわりついている。


「……絢莉は仁科くんのことが好きだったんだと思うの」
「根拠は?」
「仁科くんの日記に絢莉の名前があったっていうし、弟が直接訪ねてくるくらいだもん、深いかかわりがあったんだよ」
「じゃあそれは仁科って奴からその子に向けた気持ちなんじゃね?」
「それもあるかもだけど、それだけじゃなかった。見てたらなんとなくわかる」
「会話しないとわかんないこともあるだろ……」
「ちがうんだよ、シロ」
「ちがうって何が」
「女だから、わかるの。男女でわかりあえないことも同じ性別だから共感できる。恋って感情、いちばんわかりやすいよ」


ずっと見ていた。好きだった。彼女と、同じ温度で恋をしたかった。
けれどそう思う以前に、あたしたちは女の子同士で、幼なじみで、友達だ。


「生理痛がどんだけしんどいかわかる? すっぴんも化粧もそう変わんないって言われるのがどんだけムカつくか知ってる? 男が鈍感って、ホントそうだと思う。性別違ったら女心がわかんなくてもしょうがないんだろうけど」
「あー……」
「詳しいことは何もわかんないけどさ。絢莉が仁科くんのニュースをきっかけに少しずつ前向きになっているのだけは感じるの……すごい寂しいよ」


好きな人と同じ性別に生まれたことを後悔してるわけじゃない。
好きな人の、友達の、力になれなかったことが寂しくて悔しいのだ。


「あたしのほうがずっと絢莉と一緒にいたのに。変わろうとしてる瞬間、隣にいるのがあたしじゃないって悲しいじゃん。しかも生きてるか死んでるかもわかんない人じゃ、踏み込むこともできない」
「うん」
「でもさぁ、わかるんだよね。───仁科くんのこと気になっちゃう絢莉の気持ちも」


一度だけ、仁科くんとふたりで話をしたことがある。

中学三年生、卒業式が迫る冬の日のことだった。


「待つの飽きたら先行ってて」
「ううん。待ってるよ」
「あんた良い女すぎ」
「あーうんうん、よく言われる。百々子に」
「ちなみにあたし本気で言ってるけどね?」


その日、あたしたちはユウナの付き添いでバンドのライブに行く予定があった。

あたしは委員会の集まりで急遽呼ばれてしまったので、物販に並びたいというユウナを優先し、「遅れていく」と伝えたところ、絢莉が「あたし待ってる」と言い出した。
絢莉は、自分がされて嫌なことを人には絶対にしない。だからきっと、絢莉があたしの立場になった時に置いて行かれるのが嫌だからそう提案してくれたんだろうなということはなんとなく察した。

絢莉の優しさは、絢莉のためのもの。彼女に限ったことじゃない。自分がされてうれしいことを他人にするのは一種の見返りだから。

わかった上で、あたしは彼女の優しさに触れるのが好きだった。

委員会を終えて教室に戻ると、絢莉は机に突っ伏して眠っていた。彼女は授業中もよく寝る人だから、待っている間に襲いかかってきた睡魔に勝てなかったのだろう。
静かな教室に、絢莉の寝息とあたしの心臓の音が響いている。愛おしさがこみあげて、泣きそうになった。


好きだ、一緒にいたい、もっと近くで触れ合いたい。

すやすやと眠る彼女の髪に手を伸ばし、触れる。
───そのタイミングでのことだった。


「……あ」


教室のドアが開き、あたしはハッとしたように腕をひっこめる。視線を向けるとそこには仁科くんがいて、彼は気まずそうに目を逸らすわけでも、揶揄うわけでもなく、表情を変えずに「邪魔してごめんね」とだけ言った。

邪魔してごめんね。その言葉に、あたしの全部が露呈したような気がした。

絢莉に触れようとしているところを見られてしまった。友達になにしてんの。同性なのに気持ち悪い。表情に出していないだけで、そう思われてたのかもしれない。
違うって言わなきゃ。髪にゴミがついていたとか、言い訳なんて簡単に思いつくのに、喉の奥でつっかえて、否定の言葉はひとつも出てこなかった。
仁科くんは自分の席に向かうと、机の中から忘れたであろう本を取り出し、「じゃ、また明日ね」と何事もなかったかのようにそう言った。


「ま、待って、仁科くん」


仁科くんはきっと、言いふらすような人じゃない。そんな子供じみたことはしない人だとことくらいわかっているのに、どうしても不安は消えてくれなくて、あたしは彼を呼び止めた。掠れた、弱弱しい声だった。


「……あたしだけだから」
「あたしだけ?」
「おかしいの、あたしだけだから。絢莉は普通なの。だから……、だから」


絶対に誰かに言わないでほしい。あたしと絢莉をひとつに括らないでほしい。
普通じゃないのはあたしだけだ。同性の友達に恋してしまうのはおかしなことで、気持ち悪いことで、それで。


「それ、『他の人と違うあたしは可哀想です』っていうマウント?」


上手に言葉に起こせずにいたあたしに被せるように仁科くんが言う。


「……は?」
「本当はそんな自分に甘えてるだけじゃない? 普通とか普通じゃないとか、そうやって線引きするのってさ、結局誰が得するんだろって俺は思うけど」


彼はあたしを気持ち悪いとは言わなかった。けれど、甘えていると言った。


「あんまり自惚れないほういいんじゃない? いちばん自分を可哀そうにしてるのは自分自身だったりするだろうし。知らないけど」
「……なにそれ、急に説教?」
「や、べつに。知らないけどって言ったじゃん、俺に関係ないことだし。でもまあ、自分だけがおかしいとか自惚れすぎかなっては思ったけど」


意味がわからなかった、というより、その瞬間のあたしは怒りが勝っていて、仁科くんの言葉をわかりたくもなかったのだと思う。「うざい」と言うと、「可哀想ぶってる永田さんもうざいよ」と言われる。こんな小競り合いしたって何の意味もないのに、どうにも腹が立って舌打ちがこぼれる。


「これ、永田さんにあげるよ」


唐突に、仁科くんは先程机の中から取り出した本をあたしに差し出した。意味がわからず「はあ?」と眉を顰めると、「中古嫌な人?」と聞かれた。中古か新品かなんてどうでもよかった。重要なのはそこじゃない。今の流れで突然本をすすめてきた仁科くんの心理が気になって仕方ない。


「いや、ほら。秘密を共有してもらったからさ。なにかひとつ俺も共有しないと対等にならないなって」
「秘密っていうか一方的に知られただけだし。……ていうかべつに大したことじゃないじゃん、仁科くんにとっては」
「俺にとってはね。でも永田さんにとっては大したことだったでしょ?」
仁科くんにとっては大したことじゃなかった。けれど、あたしにとっては大したことだった。あたりまえのように言われたそれに、どうしてか泣きそうになった。
「この本、誰にもおすすめしたことないんだけど、俺は結構気に入ってるんだよね。気が向いたら読んでみて」
「……仁科くん、イメージしてた人と違うんだけど」
「そう? 永田さんもじゃない?」
「はあ? どこが。てかどんなイメージ持ってたわけ?」
「なんか思ってたよりめんどくさそうっていうか。もっとさばさばしてるのかと思ってたから」
「……さっきからなんなの? 悪口ばっかりじゃん」
「そのまま返すよ」
「うっざぁ……」
「本の感想、いつか教えてね」


仁科くんは不思議な人だった。そして、彼の発言ひとつひとつが鼻に付いた。けれど、クラスで全員に笑いかけている彼よりずっと身近に感じたのも確かだった。


「んー……」

仁科くんが帰ってから数分後、絢莉が目を覚ました。ごしごしと目を擦る仕草がかわいかった。

「……絢莉、おはよ」
「……どした? 顔怖いよ」
「や、べつに。ちょっとむかついただけ」
「むかついた?」
「そーそ。絢莉がぐっすり寝てるから」
「えぇえごめん……」
「ふは、冗談。はやく帰ろ」


困った顔をする絢莉に笑いかけて、あたしは鞄を持った。仁科くんに言われた、「思ったよりめんどくさそう」というところは、悔しいけどちょっとだけ自覚があった。



仁科くんに成り行きでもらった本は数日で読み終えた。しかしながら、なにがどう面白いのかわからず、無駄な時間を割いてしまったとすら思った。


仁科くんはこれの何を面白いと感じたのだろうか? 素直に面白くないと言えたらよかったのに、「これが面白くないなんてまだまだだね」とバカにされそうな気がして、言えなかった。人気者である彼の感性に追いつけないことが、ただ悔しかった。

結局感想は言えないまま卒業式を迎え、彼とはそれっきり会わなくなった。