──6day

こんなにも夜になるのを待ち焦がれた日があっただろうか。

「今日は満月なんだ……」

自室の窓から見上げれば、藍色の夜空には綺麗な真円が浮かんで私を優しく照らしてくれる。

「……蒼みたい」

私はずっと夜が嫌いだった。誰にも見つけてもらえず、ひとりぼっちで泣く夜は酷く孤独で生きている意味さえ見失いそうで、いつも涙ごと闇に飲み込まれてしまいそうで怖かった。そんな暗闇から私を蒼は見つけてくれた。ほんの少しだけど、自分のことが好きになれたから。

待ち合わせ一時間前になるのを確認すると私はダイニングテーブルに父宛のメモを残した。メモとはいえ父に手紙を書くのは初めてだ。

『蒼と星を見に行ってきます。心配しないで必ず帰るから。 月瀬』

そう短く書いて私は家を出た。

「もうっ……まだ一時間前だよ」

私の声に塀に体を預けていた蒼がふっと笑った。

「それ言うなら月瀬もじゃん」

「咳どう?熱は?」

蒼の声は昨日より少し良くなった気はするがまだやっぱり掠れている。

「熱なし、咳もほとんどない。葛根湯が効いた」 

ニッと笑った蒼に思わず私も笑い返した。

「あれ?蒼ギター持ってきたの?」 

「まあな、あとでのお楽しみ」

蒼がギターを肩から掛けたまま自転車のサドルに座る。

「落っこちんなよ」

当たり前のように蒼が自転車の後ろに乗せてくれるのが嬉しくて、私は蒼の背中を今までで一番強く握りしめた。


「着いたぞ、結構寒いな。月瀬大丈夫?」

「うん、大丈夫。蒼は?」

「俺はへーき」

二人並んで砂浜に座れば、蒼が嬉しそうに唇の端を引き上げた。

「月瀬、今日雲ほとんどない。星日和(ほしびより)だな」

「星日和?」

「そ。星日和の日はこうやって夜空にほとんど遮蔽物がないんだ。だから星も月も見放題、今日は俺たちしかしないから天然プラネタリウム貸切だな」

「うんっ」

蒼が私の首元のマフラーを巻き直した。

「えと……」

「本当に寒くない?月瀬に風邪ひかれたら俺めちゃくちゃ困るし」

「大丈夫だよ、私滅多に風邪引かないから」

「俺もだし」

蒼が少しだけ咳き込みながら、ニカッと笑ったのが可笑しかった。

「まだ流星群の時間に少し早いからさ、待ち時間に月瀬にプレゼント持ってきた」

「え?プレゼント?」

蒼がギターを抱えると左手でコードを押さえる。 

「あ!Emコード!」

「正解っ」

「蒼、もしかしてギター弾いてくれるの?」

この間は私に教えるだけで、蒼は恥ずかしがってギターを弾いてくれなかった。

「まあな、声調子悪いから歌詞なしだけど……昨日暇だったし……月瀬に聴いて欲しくてとりあえず最後まで音符並べてきたんだ」

「あ、この間図書館の帰りに聴かせてくれた曲?」

「まあな、ブルーレイン久々の新曲ってやつ?」

唇を持ち上げた蒼を見ながら私は拍手をした。

「嬉しい、蒼の曲聴かせて」

「うん……」

蒼は一呼吸するとピックで弦を(はじ)き始める。

低音から始まった曲は、少しずつテンポを上げながらも優しく穏やかに心ごと包むようなバラードだった。音の一つ一つが寄り添って夜空にぶら下がって笑いながら降り注いでくる。それはまるで心に向かって真っ直ぐにまるで星を堕とすように。

私は歌詞がないのに涙がとまらなくなった。蒼から大丈夫だよって、もう泣かなくてもいいからって言われてる気がした。

「……ひっく……ぐす……」

どうしたらいいんだろうか。蒼が好きで好きでどうしようもない。言葉にできない想いは溢れて零れ落ちて、目の前の海が私の涙にみえた。

「月瀬」

弾き終わると蒼がすぐに私を痛いほど抱きしめる。

「……蒼……」

呼吸ができないほどに強くぎゅっと抱きしめられて、夜空の星が涙の膜と共に流れて消えていく。

「……蒼……私……蒼の曲ね……」

「月瀬、明日感想聞かせて?」

蒼は私の言葉を遮ると額にキスを一つ落とした。驚いた私が言葉を吐き出せずにいると、蒼が首を大きく傾けて夜空を見上げた。

「ほら月瀬、降ってきた」

見上げれば、白銀の小さな星達が追いかけっこをするように夜空のキャンバスいっぱいに光線を描いていく。

「わぁ……綺麗……」

その光の線は弧を描きながら無数に水平線の彼方へと消えていく。

「俺達のいく方向と同じだな」 

蒼の髪が夜風に揺れて藍色の空に溶け込んでいくように見える。

「蒼は絶対行けるよ」

私は精一杯笑う。私は蒼と並んで水平線の向こうに行くことはできないから。でも蒼の夢が叶うことを心から願ってる。蒼の未来が蒼が納得できるモノであるよう、私は流星に強く願った。

「月瀬も行けるよ、月瀬は自分が思ってるよりずっと強いから」

「……そんなことないよ……弱いしすぐ泣くし……」

「他人の心に寄り添える強さがあるから泣くんだよ」

我慢していた涙はやっぱり転がった。 

「ま、確かに泣き虫だけどな」

蒼が意地悪く笑いながら、優しくそっと私の涙を指先で掬った。

「月瀬……空だけはどこにいても繋がってるから。俺も月瀬もどこかでいつも同じ空見てるから……だから一人で泣くなよ」

蒼が何故そんなことを言うのかもう分かっている。私と蒼が恋愛ごっこを始めて六日目だ。明日はお互いにサヨナラを告げる日だから。

「蒼、泣きそうになったら、私、空見上げるね……だから心配しないで」

蒼からの返事はなかった。ただ、蒼は流星が全て流れて消えても暫く私を抱きしめてくれていた。