──4day
お昼に一人でラーメンを啜ると、私はクローゼットの前で首を捻る。
「昨日はワンピースだったけど、今日はギター教えてもらうし座るのに……ズボンの方がいいよね」
私は黒の細身のデニムにオーバーサイズの白いパーカーを羽織ると姿見の前で両手を広げた。
「あんまり可愛くないかな……」
ふと独り言を呟いてから、私は一人で真っ赤になった。洋服なんてあまり気にせず出かけていた私が蒼に可愛いと思って貰いたくて、姿見の前で悩む姿なんて全然想像もつかなかった。
蒼と出会ってから、私は気づかないうちに少しずつ私の心は蒼につくりかえられているのかも知れない。恋を知る為の恋愛ごっこはもう私にとってはごっこじゃないように思う。
「……ダメだよ、ごっこなんだから」
ふいにスマホが鳴る。見れば自室の時計はまだ待ち合わせ一時間前だ。
──『月瀬に会いたくて早く着きすぎた。出てこれる?』
「嘘でしょっ……」
私は慌てて蒼のギターを持つと玄関扉へ向かって階段を駆け降りた。
「蒼っ、お待たせっ」
「ぷっ、お待たせって俺が急かしたんじゃん」
そしてすぐに蒼の視線が私の頭からつま先まで一周した。
「えと……蒼?」
「昨日のワンピースも可愛かったけど、カジュアルなのも可愛い……月瀬に似合ってる」
蒼はよく何でもストレートに言葉にしてくれるが、流石の蒼も恥ずかしかったのかもしれない。左耳のピアスを揺らすと蒼がそっぽを向いた。
「あ、それ貰う」
「うん」
蒼は私が両手で抱えていたギターを受け取ると、ギターストラップを肩から下げて当たり前のように自転車の後ろを視線だけで合図した。私はとくとく駆け足になる鼓動を蒼に気づかれないように、蒼の身体に両手をそっと回した。
「うーん、こう?」
海辺に着くと二人で前後になって砂浜に座る。慣れない手つきで辿々しく弦を弾けばポロンと間抜けな音が鳴った。
「月瀬、もうちょい強めかな、あと左手しっかりEmコード押さえて」
「手攣りそう……えと、こう?」
「ぷっ、全然違うな」
「ひどい……そんなハッキリ言わなくても」
蒼が意地悪く笑いながらも私の後ろから両腕を伸ばす。蒼の鼓動が背中越しに伝わってきて私の鼓動は2倍速になっている。
「俺が左手で月瀬の指の上からコード押さえとくから、月瀬はピックで弦弾いてみて」
「うん……」
左手が蒼の左手で覆われて、体温がじんわり伝わってくる。私は右手のピックを持つ指先に力を込めると一弦から六弦までを一気に弾く。
「あっ」
「おっ」
ようやくギターらしい音が鳴って私と蒼の声が重なった。
「蒼っ!できた!音鳴ったねっ」
「だなっ!上出来」
何度か右手で弦を弾いては蒼を見上げる。蒼が嬉しそうに笑うのを見れば幸せな気持ちになった。
二人で拙い音を空と海に向けて響かせながら笑い合っているうちに、今日も夕陽がゆっくり傾いていく。
「今日は波が穏やかだな、夕陽に照らされて水平線がくっきり見える」
蒼が片手で日陰を作りながら切長の瞳を細めた。
「うん。ねぇ、蒼……水平線の向こう側ってどうなってるんだろうね」
私は両手で日陰を作りながら蒼を見上げた。
「……未来」
「え?」
「俺たちにとって納得できる未来が待ってるといいよな」
蒼が砂浜に向かって歩いていくと、落ちていた楕円型の石を海面に平行に投げた。
パシャ、パシャ、ポトンッと音がして、蒼がケラケラ笑った。蒼の投げた小石が海面を弾けていく様が私には未来への希望の足跡に見えた。
「3歩か、水平線の向こう側までまだまだかかるな」
私は蒼の隣に並んだ。
「蒼の夢……も私の夢も何万歩か何億万歩かわかんないけど……いつか水平線の向こう側までいけるといいね」
「そだな……って俺まだ月瀬の夢預かったままだけどな。あと3日後に……持ってくるから」
あと3日。蒼との日々は毎日が新しいことの連続で毎日知らなかった自分を知っていることに気づく。蒼のあと3日の言葉に胸の奥底が膿んだようにズキンと痛んだ。
夕陽が水平線に綺麗に隠れるのを待ってから、私は蒼の自転車の後ろに乗って家へと向かう。真っ直ぐ前を向いたまま黙って自転車を漕いでいた蒼が、私の家の前の坂道で足を止めた。
「さすがにこの坂は、月瀬乗っけて登れないな。ごめん、筋トレ不足」
「あはは、筋トレの問題じゃないでしょ」
「だな」
ポツンポツンと立っている街灯の明かりで伸びた二人の影を見つめながら、私は蒼のトレーナーの裾を引っ張った。
「……今日はギター教えてくれてありがとう」
ちゃんとお礼を伝えておきたかった。もう二度と蒼にギターを教えて貰うことはないと分かっていたから。
「……忘れんなよ」
蒼は私を見ずにボソリと呟いた。玄関前まで辿り着くと私は蒼を真正面から見上げた。
「送ってくれてありがとう」
「どういたしまして。月瀬、また明日な」
「うん、蒼また明日ね」
蒼が手を上げるのを見て、私も手を振り返した、その時だった。
──「月瀬、何してるんだっ!」
聞き慣れたその低い声の方を見れば出張帰りのスーツ姿の父が立っていた。
「あ、お父さん……」
「お父さん?」
すぐに蒼が聞き返した。父は私達のところにやってくるとすぐに私の手首を掴み上げた。
「こんな時間まで、どこで何してたんだっ!」
「痛いっ、お父さん離してよっ!」
今まで門限のことなんて言われたこともなければ、いつ帰ってくるのもどこへ行くのかも聞かれた事など一度もない。
「月瀬っ!言いなさい!よりによってこんな奴と!」
(こんな奴……?)
父が蒼を冷たい眼差しで睨むのが分かった。
「そんな言い方やめてよっ!蒼はわざわざ私を家まで送ってくれたんだよっ」
「どうだかな、世間知らずのお前には分からないかも知れないが、こんな奴がお前に優しくするなんて、やましい気持ちがあるに決まってるだろうっ!」
「見た目で蒼のこと判断しないでよっ!私の事だって……男作って出て行ったお母さんに重ねて、いつもほったらかしじゃない!私のことなんて見えてないくせに、見ようともしないくせにっ!お父さんなんて大っ嫌いっ!」
「月瀬っ!」
父が掌を振り上げるのが見えた。
(殴られるっ……)
パシッという乾いた音に、瞑った目を開ければ父が驚いた顔をしている。蒼が血の滲んだ唇の端を手の甲で雑に拭った。
「あ、お……」
「……月瀬さんとお付き合いさせて頂いている星宮蒼と言います……大事なお嬢さんを遅くまで連れ回して申し訳ありませんでした」
蒼は長身を折り曲げ頭を深く下げた。
「蒼やめてっ!蒼がお父さんに謝ることなんてないよっ!私のことなんてどうでもいいんだから!」
父が蒼の胸ぐらを掴み上げた。
「随分と娘を手名づけているんだな……」
「お父さんいい加減にしてっ、蒼は何にも悪くないじゃないっ……!こんな時だけ親みたいな態度しないで」
蒼の視線が私へと移される。
「月瀬、お父さんは間違いなく月瀬の親だよ。親なら子供の心配して当然だから。分かんない?お父さんは月瀬を本当に心配してるんだ」
「ふんっ、お前のような髪をそんなワケの分からない色に染めた、ろくでもない奴が分かったようなこと言うな!娘を思うならさっさと別れてくれ!」
「お父さんっ!」
蒼が目を伏せると静かに頷いた。
「……わかりました、近日娘さんとは必ず別れます。その代わり……僕からも一つお願いさせてください」
「なんだと?生意気なっ……」
「本当にすみません……僕なんかが立ち入っていい話じゃないのも十分理解してるつもりです……ただ、ほんの少しでいいから、お父さんも月瀬さん自身を見てあげてもらえませんか?寂しさに寄り添ってあげてもらえませんか?」
私の目の前の景色も蒼も全部が滲んで膜が張る。何一つ確かに見えない。それでも蒼の声だけはハッキリと心に響く。
「……月瀬さんの心を守ってあげられるのは……お父さんだけだと思うので」
父が蒼から乱暴に手を離した。
「……もう帰ってくれ!月瀬、家に入りなさい!」
「嫌だっ、蒼っ!」
蒼は家の中へと引き摺られるように連れていかれる私をただ黙って見ていた。扉が閉まる瞬間、蒼を見れば蒼が泣いているように見えた。
お昼に一人でラーメンを啜ると、私はクローゼットの前で首を捻る。
「昨日はワンピースだったけど、今日はギター教えてもらうし座るのに……ズボンの方がいいよね」
私は黒の細身のデニムにオーバーサイズの白いパーカーを羽織ると姿見の前で両手を広げた。
「あんまり可愛くないかな……」
ふと独り言を呟いてから、私は一人で真っ赤になった。洋服なんてあまり気にせず出かけていた私が蒼に可愛いと思って貰いたくて、姿見の前で悩む姿なんて全然想像もつかなかった。
蒼と出会ってから、私は気づかないうちに少しずつ私の心は蒼につくりかえられているのかも知れない。恋を知る為の恋愛ごっこはもう私にとってはごっこじゃないように思う。
「……ダメだよ、ごっこなんだから」
ふいにスマホが鳴る。見れば自室の時計はまだ待ち合わせ一時間前だ。
──『月瀬に会いたくて早く着きすぎた。出てこれる?』
「嘘でしょっ……」
私は慌てて蒼のギターを持つと玄関扉へ向かって階段を駆け降りた。
「蒼っ、お待たせっ」
「ぷっ、お待たせって俺が急かしたんじゃん」
そしてすぐに蒼の視線が私の頭からつま先まで一周した。
「えと……蒼?」
「昨日のワンピースも可愛かったけど、カジュアルなのも可愛い……月瀬に似合ってる」
蒼はよく何でもストレートに言葉にしてくれるが、流石の蒼も恥ずかしかったのかもしれない。左耳のピアスを揺らすと蒼がそっぽを向いた。
「あ、それ貰う」
「うん」
蒼は私が両手で抱えていたギターを受け取ると、ギターストラップを肩から下げて当たり前のように自転車の後ろを視線だけで合図した。私はとくとく駆け足になる鼓動を蒼に気づかれないように、蒼の身体に両手をそっと回した。
「うーん、こう?」
海辺に着くと二人で前後になって砂浜に座る。慣れない手つきで辿々しく弦を弾けばポロンと間抜けな音が鳴った。
「月瀬、もうちょい強めかな、あと左手しっかりEmコード押さえて」
「手攣りそう……えと、こう?」
「ぷっ、全然違うな」
「ひどい……そんなハッキリ言わなくても」
蒼が意地悪く笑いながらも私の後ろから両腕を伸ばす。蒼の鼓動が背中越しに伝わってきて私の鼓動は2倍速になっている。
「俺が左手で月瀬の指の上からコード押さえとくから、月瀬はピックで弦弾いてみて」
「うん……」
左手が蒼の左手で覆われて、体温がじんわり伝わってくる。私は右手のピックを持つ指先に力を込めると一弦から六弦までを一気に弾く。
「あっ」
「おっ」
ようやくギターらしい音が鳴って私と蒼の声が重なった。
「蒼っ!できた!音鳴ったねっ」
「だなっ!上出来」
何度か右手で弦を弾いては蒼を見上げる。蒼が嬉しそうに笑うのを見れば幸せな気持ちになった。
二人で拙い音を空と海に向けて響かせながら笑い合っているうちに、今日も夕陽がゆっくり傾いていく。
「今日は波が穏やかだな、夕陽に照らされて水平線がくっきり見える」
蒼が片手で日陰を作りながら切長の瞳を細めた。
「うん。ねぇ、蒼……水平線の向こう側ってどうなってるんだろうね」
私は両手で日陰を作りながら蒼を見上げた。
「……未来」
「え?」
「俺たちにとって納得できる未来が待ってるといいよな」
蒼が砂浜に向かって歩いていくと、落ちていた楕円型の石を海面に平行に投げた。
パシャ、パシャ、ポトンッと音がして、蒼がケラケラ笑った。蒼の投げた小石が海面を弾けていく様が私には未来への希望の足跡に見えた。
「3歩か、水平線の向こう側までまだまだかかるな」
私は蒼の隣に並んだ。
「蒼の夢……も私の夢も何万歩か何億万歩かわかんないけど……いつか水平線の向こう側までいけるといいね」
「そだな……って俺まだ月瀬の夢預かったままだけどな。あと3日後に……持ってくるから」
あと3日。蒼との日々は毎日が新しいことの連続で毎日知らなかった自分を知っていることに気づく。蒼のあと3日の言葉に胸の奥底が膿んだようにズキンと痛んだ。
夕陽が水平線に綺麗に隠れるのを待ってから、私は蒼の自転車の後ろに乗って家へと向かう。真っ直ぐ前を向いたまま黙って自転車を漕いでいた蒼が、私の家の前の坂道で足を止めた。
「さすがにこの坂は、月瀬乗っけて登れないな。ごめん、筋トレ不足」
「あはは、筋トレの問題じゃないでしょ」
「だな」
ポツンポツンと立っている街灯の明かりで伸びた二人の影を見つめながら、私は蒼のトレーナーの裾を引っ張った。
「……今日はギター教えてくれてありがとう」
ちゃんとお礼を伝えておきたかった。もう二度と蒼にギターを教えて貰うことはないと分かっていたから。
「……忘れんなよ」
蒼は私を見ずにボソリと呟いた。玄関前まで辿り着くと私は蒼を真正面から見上げた。
「送ってくれてありがとう」
「どういたしまして。月瀬、また明日な」
「うん、蒼また明日ね」
蒼が手を上げるのを見て、私も手を振り返した、その時だった。
──「月瀬、何してるんだっ!」
聞き慣れたその低い声の方を見れば出張帰りのスーツ姿の父が立っていた。
「あ、お父さん……」
「お父さん?」
すぐに蒼が聞き返した。父は私達のところにやってくるとすぐに私の手首を掴み上げた。
「こんな時間まで、どこで何してたんだっ!」
「痛いっ、お父さん離してよっ!」
今まで門限のことなんて言われたこともなければ、いつ帰ってくるのもどこへ行くのかも聞かれた事など一度もない。
「月瀬っ!言いなさい!よりによってこんな奴と!」
(こんな奴……?)
父が蒼を冷たい眼差しで睨むのが分かった。
「そんな言い方やめてよっ!蒼はわざわざ私を家まで送ってくれたんだよっ」
「どうだかな、世間知らずのお前には分からないかも知れないが、こんな奴がお前に優しくするなんて、やましい気持ちがあるに決まってるだろうっ!」
「見た目で蒼のこと判断しないでよっ!私の事だって……男作って出て行ったお母さんに重ねて、いつもほったらかしじゃない!私のことなんて見えてないくせに、見ようともしないくせにっ!お父さんなんて大っ嫌いっ!」
「月瀬っ!」
父が掌を振り上げるのが見えた。
(殴られるっ……)
パシッという乾いた音に、瞑った目を開ければ父が驚いた顔をしている。蒼が血の滲んだ唇の端を手の甲で雑に拭った。
「あ、お……」
「……月瀬さんとお付き合いさせて頂いている星宮蒼と言います……大事なお嬢さんを遅くまで連れ回して申し訳ありませんでした」
蒼は長身を折り曲げ頭を深く下げた。
「蒼やめてっ!蒼がお父さんに謝ることなんてないよっ!私のことなんてどうでもいいんだから!」
父が蒼の胸ぐらを掴み上げた。
「随分と娘を手名づけているんだな……」
「お父さんいい加減にしてっ、蒼は何にも悪くないじゃないっ……!こんな時だけ親みたいな態度しないで」
蒼の視線が私へと移される。
「月瀬、お父さんは間違いなく月瀬の親だよ。親なら子供の心配して当然だから。分かんない?お父さんは月瀬を本当に心配してるんだ」
「ふんっ、お前のような髪をそんなワケの分からない色に染めた、ろくでもない奴が分かったようなこと言うな!娘を思うならさっさと別れてくれ!」
「お父さんっ!」
蒼が目を伏せると静かに頷いた。
「……わかりました、近日娘さんとは必ず別れます。その代わり……僕からも一つお願いさせてください」
「なんだと?生意気なっ……」
「本当にすみません……僕なんかが立ち入っていい話じゃないのも十分理解してるつもりです……ただ、ほんの少しでいいから、お父さんも月瀬さん自身を見てあげてもらえませんか?寂しさに寄り添ってあげてもらえませんか?」
私の目の前の景色も蒼も全部が滲んで膜が張る。何一つ確かに見えない。それでも蒼の声だけはハッキリと心に響く。
「……月瀬さんの心を守ってあげられるのは……お父さんだけだと思うので」
父が蒼から乱暴に手を離した。
「……もう帰ってくれ!月瀬、家に入りなさい!」
「嫌だっ、蒼っ!」
蒼は家の中へと引き摺られるように連れていかれる私をただ黙って見ていた。扉が閉まる瞬間、蒼を見れば蒼が泣いているように見えた。