ライヒハート伯爵はカートの上の木箱を開けると、中に収納されていた物を持ち――下座のギルバートの元まで歩み寄った。

「君には、これを贈ろう」

「……これは?」

「万年筆という筆記具だ。珍しいだろう? 非常に精巧に作られた貴重な品だ」

「ありがとう、ございます」

 稀少な品だということは理解できたが、何故傭兵団の団長である自分に筆記具を贈呈したのだろうか。

 ライヒハート伯爵の意図を考えるも答えは出ない。

 答えの出ない思考をぐるぐる巡らせているうちに、ライヒハート伯爵は玉座へ戻り腰掛けた。

「――君たちの成したことは、とても偉大なことだ。我が軍でも野盗団の討伐は可能であっただろう。だが、同時に優秀な兵士を損耗する危険があった。一人の優秀な兵士を育成にするのに、国家は多大な金と労力を要する」

 その言葉は傭兵団に対する言葉であると同時に、居並ぶ諸侯や宮廷の文武官に対して説明しているようにも思えた。

 クズはそのように理解し――次の瞬間には裏切られた。

「――そこで、だ。それだけの働きをした傭兵団の団長であるギルバート君。君に提案があるんだが――クレイベルグ帝国の騎士にならないかね?」

「――……はあ?」

 無礼とか関係なく、思わず眉間を寄せたクズの口から声が漏れ出てしまった。

 どこからもお咎めがなかったのは、その場に居並ぶ全員が似た感情を抱いたからだろう。

「登用だよ。帝国は度重なる戦で優秀な軍人を失いすぎた。だから常に優秀な軍人を欲している」

「…………」

 ライヒハート伯爵には悪意がない。
 そんな事クズは理解している。

 ――だが、それでも。それでもだ。自分の大切な者を奪った帝国が、かつて自分の仕えていた主の座っている玉座から自分に仕えろと言ってくる。

 それはクズにとって腹が立って仕方が無い事であった。

 クズが感情のままに口を開こうとした時、クズの怒気を察したのかエドが先に口を開いた。

「ラ、ライヒハート伯爵! それは一傭兵にはあまりに褒美と過大評価が過ぎるかと……っ!」

「エドガー・べーレンドルフ騎士爵。私は過大評価をしているつもりはない。四十名の手勢で五倍の数の野盗団を一人の死者も出さず捕縛する。これが如何に難しいか、軍人の君なら理解できるのではないかね?」

「そ、それは……っ」

 二の句が継げないエド。

 エドが自分を庇ってくれている事を理解したクズは大きく深呼吸をして――気持ちを静め答えた。

「――せっかくですが、断らせていただきますわ。俺は見ての通り無骨な無礼者ですから。俺なんかが城にいたら、気が気でない方々も沢山居るでしょうからね」

 横に控えながら鋭い眼光を飛ばしてきている諸侯や宮廷の重臣、有力者に向けて棘のある言葉を放つ。

 薄氷を踏むようなクズの物言いに、傭兵団とエドは固唾を呑んで見守っている。

 ライヒハート伯爵も居並ぶ自身の部下の様相を見て「ふむ」と唸った。

「――それに、燕は一所に留まらない。自由を求め続ける俺には、流浪の傭兵団程度が相応しいでしょう」

「……そうか、残念だ。実に、残念だよ」

 心底残念そうに、ライヒハート伯爵は言った。

 やっと解放されるとクズが安堵したのも束の間。

「では、せめて晩餐会を開かせてくれ。今晩はそなたらの偉業を讃えて饗宴を開こう。――実は、もうそなたらの部屋も用意させてある」

 子供のように無邪気な笑みでライヒハート伯爵は得意げに語る。

 ――こいつ、次から次へと勝手なことを。下民は逆らってこないと高を括りやがって。もう有無を言わさず報酬だけ奪って帰るか……。