「稽古が終わったら、百人組手ならぬ魔物百匹狩るまで食事もとれません。ある日は、C級魔物の巣に崖から突き落とされて、見つからず脱出しろ。またある日は魔物の巣から卵を盗んでこい。最終的には、討伐サバイバル生活だ。魔物肉は食い飽きたし、草と泥水の味は忘れねぇ」
「あったなぁ、そんなことも。――解放条件である標的は、実力的には遙か格上だったな」
「そうだ。『何ヶ月かけてもいいからランクBの魔物を一人で狩れ。それまでサバイバル生活だ』とかぬかしやがっただろうが。魔域に子供一人、何度も色んな魔物に襲撃されて死にかけた。どこから見てるか知らんかったが、俺が死にかければ爺が回収。諦めて逃げ出そうとすると、どこからか爺が現れて半殺しにしてくる」
「はっはっは。あの時はワシも若かったのう」
「たかが数年前だろうが、ちゃんと爺だったよ。前門の怪物と後門の鬼畜爺。死ぬ自由すらなく、魔物の方が爺よりマシと悟るまでに至ったぜ」
「ほう。公爵家の甘ったれたお坊ちゃんが、いっちょ前に悟りを開いていたか」
「あの時は、死ぬ自由があるだけ奴隷のがいいと思ったもんだ。思えば、俺が自由を求めて旅する一因はあんたの虐待教育のせいかもな」
「かもしれんな。子供の性格は、環境や周囲の人間によって形成されていく。多感な思春期を戦場という籠に縛られ続ければ……愛する者と平和な自由を欲するようにも育つか」
「やっと魔域での鍛錬が終わって人が暮らす街に帰れると思えば、戦場だかんな。気がつけば俺は――生き残るために抵抗なく人を斬っていた。来る日も来る日も戦場へ送り込まれて、籠から出る事を考える暇すら与えられなかったな」
「……子供に、人を斬る事への抵抗を無くさせる。ワシはまさに、鬼だな」
「全くだ。よくグレずに成長したもんだと、自分を褒めてやりたいね」
「自画自賛も実態を伴わねば、惨めだぞ」
「自分で褒めないと誰も褒めてくれねぇから、仕方ねぇんだ。俺が悪いんじゃない、世間が悪い」
「それはクズと呼ばれる言動を行い、喧伝するクラウスも悪い」
「成長してもクズで済んでるだけまだマシだろ。普通は廃人か、この国を転覆してやろうとしてもおかしくねぇほどの虐待教育だったぞ」
「ふ……その結果、お前が生き残って文句が言えるならば、ワシは本望だ」
「『弱者は何も護れない、語る場もない。奪われるだけだ』……だろ」
「そうだ。……クラウス、奪われる側に回るなよ。正攻法に拘るな。どんなに汚い手を使ってでも、初志を貫徹しろ」

 そう言い残し、アウグストは馬の足を速めてクララの元へと寄っていく。
 隊列が乱れてきたから、指揮の仕方を教えにいったのだろう。

「……クラウス、お師匠さんと仲いいね」
「アナ……。まぁ、老い先短い爺さんのお喋りには、極力つきあってやらねぇとな」

 代わりにクラウスの横に来たのは、馬の乗り方を覚えて間もないアナだ。
 少し危なっかしいが、一生懸命に手綱を握っている姿が微笑ましい。

「そう。……クラウス、気がついてないんだね」
「あ? 何がだ?」
「――すっごく良い笑顔だったよ。私、さっきの顔が好き」
「……憎まれ口を叩いてただけなんだが?」
「それでも、頬が緩んでたね。アウグストさんが深い愛を持って、あえて鬼になってるのを分かってたんだろうね。そうじゃないと、そんな風には笑えない話だったもん」

 アナに指摘され、クズが片手で頬を触ると――まだ頬が緩んでいた。
 ぐにぐにと揉みほぐしてから、クズはキリッと表情を戻した。
 日中は行軍、夜間は疲れを残さないよう早めに野営を築いていく日々が続いた――。

 そうしてある日、魔域がより近くなってきて――アウグストはクズに問いかけた。

「クラウス。――お前は魔域や魔法、精霊についてはどの程度知っている?」
「……あ? ほとんど知らねぇよ。魔域は大量の怪物どもの住処で、どれだけ広いかもわからねぇ。魔法は天職で底上げされるが訓練次第で誰でも使える。……精霊術は完全に天職のみってことだな」
「一般的な知識だな」
「だからそう言っただろ」
「魔法自体は大体のものが訓練すれば使える。――だが、強力な魔法の使い手は先祖に貴族の血筋を濃く受け継ぐものばかりだ」
「へぇ……」
「理由は一つ。遥か昔、精霊王――今では神とも崇められる存在から、加護を受けたものが王侯貴族になったからだ。魔力というものは、魔域の魔物や魔族からでる漏れカスを分け与えているものと伝わっている。つまり魔域の魔族や魔獣が強くなりすぎず、人の住む領域を侵されないよう精霊が世界の調和を保つようにしていると考えられている」
「精霊王だぁ? 聞いた事もねぇぞ」
「精霊とは極めて不思議で、伝承で伝え聞くばかりの存在だ。無理も無い。お前のように精霊を実態化させ、会話までするヤツなど見た事もない」
「はぁん、そんなもんかねぇ。そんで、精霊王はどこにいっちまったんだ?」
「分からぬ。加護を与えた人々はやがて傲慢になり、人同士で争いを始めた。精霊はそんな人間に愛想を尽かしたのか、人界から姿を消したと言われている。『精霊の黄昏』と言われる事件だな。精霊そのものは姿を消し、分霊の力のみを希少な精霊術師がやっと召喚できる」
「そんな稀なもんかねぇ。俺にとっちゃあ精霊は身近な存在だからな。わかんねぇよ」
「そうだろうな。――常時会話が可能な大聖霊を顕現できるというのは、異常だ。ワシはな、世界に何か重大な変化が起きており、クラウスがその変化に巻き込まれると考えている」
「そういう重大な役割は、本物の英雄様を中心にやってくれ。俺みたいなクズを巻き込むな。――サラマンダー、ウンディーネ、今のアウグストの爺がした話は本当か? それとも、爺がボケてるだけか?」

 ――それに関して、俺たちからは何も言えん。
 ――すまないな、クラウス。妾たちにも契約があるのだ。

「成る程ね……お前らの反応でだいたい分かったわ」

 馬の横に突如として、実態を持つ精霊が現れ会話している。 
 それだけで、実力のある近衛兵達がざわつきだす。
 精霊たちは具体的な返答を控えたが、暗にアウグストの語る話は事実だと言っているようなものであった――。