零のスマホが鳴ったのは日付が変わろうとしているときだった。
 着信名を見ると巧也だったので、零は少しびっくりした。
「もしもし? どうした? めずらしいな」
「零にぃ、疲れてるとこ、ごめん、姉貴、そっちに行ってる?」
「え? 美也? 来てないけど……」
「うーん……」
「どうした」
 不安を覚えながら尋ねると、巧也は困惑したように話した。
「10時前くらいにさ、ちょっと出てくるってスマホと財布持って出てったんだよね。おやじとおふくろはコンビニかなんかに行くつもりかなって思ってたみたいでさ。でも2時間たっても帰って来ないし、電話しても出ないし、おやじが零にぃに電話しようとしてたんだけど、おふくろが止めちゃって。んで、おれが今こっそりかけてるとこ」
 心臓がばくばくと音を立て始めた。
「あともうちょっと待って帰って来なかったら警察に連絡してみようって言ってるけど、未成年じゃないから数時間家を空けたくらいじゃ警察も相手にしてくれないだろうっておふくろが」
「出て行く前に何かあった?」
「えと…… これはおやじとおふくろには言ってないんだけど…… 姉ちゃん、CD持って帰ったんだよね。店で小野キリエからもらったっていうCD」
「え……」
 すっと目の前が白くなるような気がした。
「それにね、『スカボロー・フェア』が入ってて、一緒に聴いたんだ。おれ、いいなって思ったんだけど、姉ちゃんちょっと怒ったような顔してて…… なんか、それが原因なんかなって思っちゃって……」
 ……なんでキリエが『ペンギン』に。
 そうか…… おれが…… おれが教えたんだ……
 途方もない後悔が襲った。
「ごめん、零にぃ、姉ちゃんに電話かけてみてくれる? 零にぃなら出るかもしんない」
「うん。わかった。見つけたら連絡するよ」
 巧也との電話を切って、零はすぐに美也にスマホにかけた。だが何度コールを待っても出ない。
 部屋着のスゥエットの上から上着をはおりながら、何度もかけた。
 やはり出ない。
 とりあえずマンションを飛び出して、道路に出てからまたかけた。
「……はぁい」
 間延びした美也の声が聞こえた。
「美也、いまどこにいんの? おばさんたちが心配してる」
「今? えーっとねー……」
 のんびりした様子で美也の声が少し遠ざかる。周囲を見回しているのだろう。
「わかんない」
「美也!」
 零は思わず声を荒げた。
「家出てどこに行くつもりだったんだよ」
「どこって…… 零ちゃんのとこ」
「……タクシー乗っても30分だぞ」
「実はなんとなんと、お財布の中にお金があんまり入ってなかったんでーす」
 のんびりした美也の声に思わずイラっとする。
「カードは。スマホでも払えるだろ?」
「え? スマホでも払えるんだ?」
 ああ、そうか。美也は最近スマホを持ったばかりだった……
「カード持ってないのか?」
「カードが入ってるお財布じゃないんだよね。だからコンビニで缶チューハイ買って、ちびちびしながら歩いたら着くかなーって。でも、迷っちゃったかなあ?」
「美也、いいか、タクシー拾える場所に行ってこっちに向かえ。タクシー代はおれが払うから」
「えー、悪いよ……」
「いまさら何言ってんだよ! 言う通りにしろ! タクシー乗ったら電話かけろ。いいな!」
「はぁい」
 電話がそこでぷつりと切れた。
 そのあとにすぐ巧也に電話をかける。
「美也と連絡とれた。今、タクシーでこっちに向かわせてる」
「あ、ほんとに?良かった。おふくろに伝えて来る。今までどこにいたって?」
「歩いてこっちに来るつもりだったみたいだ」
「ばかだろ……」
 巧也は呆れたような声を出した。
「まあ、いいや。適当に伝えとく。んじゃ、ごめん、姉貴をよろしくお願いします」
「うん」
 巧也は動揺しているときは家と同じ姉ちゃん呼びになるが、落ち着くと姉貴になるからわかりやすい。
 それでも美也と巧也だと高校生の巧也のほうが年上のように感じることがある。
 そのあと10分待ったが美也から連絡がないので、零は再度電話をかけた。
「美也、タクシー乗ったか?」
「うん、乗ったよ。あとどれくらいで着きます?……もう着くって」
 それを聞いたあと、零は慌てた。着の身着のままで自分が財布を持っていない。
 唸り声をあげて猛ダッシュでエレベーターに突進し、部屋に着くなり財布を引っ掴んで再び階下に降りた。
 そこでちょうどタクシーがエントランスの前に着いたところだった。