ボイストレーナーの梶谷慎太は人懐こい笑顔を浮かべて藤谷と零を迎えた。
「お世話になります。すみません、お忙しいときに」
藤谷が言うと梶谷は笑みを崩さずふたりをテーブルに促した。
「大丈夫ですよ。今日はあと4時にひとつレッスンがあるだけですから」
「早速なんですけれど、これ、さっきいただいてきた楽譜です」
「あ、はい」
梶谷は渡された封筒をがさがさと開く。
最初からさらさらと目を走らせてめくっていき、最後の曲でかなり長い時間見つめていた。たぶん『eau du ciel』だろう。
梶谷にはデモテープは既に渡していたから彼もこの曲が難だと思ったのだ。
「ざくっと見ただけですけど、小野さんの曲はやっぱり難曲多いですね」
しばらくして顔をあげた梶谷は苦笑しながら零を見た。
「『KIRIE』や『AQUA』のようなわけにいかなさそうですね…… 特にこの『eau du ciel』」
やっぱり、と零は思う。藤谷の顔をちらりと見ると、彼も渋面をしていた。
「ここの……」
梶谷は譜面をテーブルに置いて零に見せる。
「~その 上に 吹く~ のところ、零を極限まで上げておいて、自分は下がってくるの。捧げものみたいな感じですね」
「捧げもの……」
思わずオウム返しに呟いてしまった零に梶谷は笑う。
「あ、いや、比喩ですよ、もちろん。でも、その前のブレスがすごく短いのに、自分が下がってくる間、伸ばさせてる。意地悪ですよね」
ははは、と笑う梶谷だったが零はとても笑う気になれなかった。
「小野さんはファルセット使ってもファルセットに聞こえないような声の出し方を駆使するんですけど、ここんところの神西さんの部分もたぶんそれを要求してるし、それが一瞬じゃなくて小野さんが降りて来るまでずっとでしょ。結構大変です」
零と藤谷はちらりと目を合わせた。
「ただ、この曲は最後小野さんを上に追いやって終わりますから。神西さんは小野さんをぶん投げてしまえばいいんです」
再び梶谷は、ははは、と笑ったが、零はやっぱり笑えない。
「他の曲はどうですか?」
藤谷が尋ねる。
「『Lightning 』にちょっと似たような雰囲気のところがありますけれど、バラードですし、メインは小野さんみたいですから大丈夫じゃないでしょうか。『Stella』は軽い雰囲気ですしね。で、『スカボロー・フェア』は神西さんは歌う分には全然大丈夫だと思いますけど、これ、歌詞が英語ですが発音は?」
梶谷の返事に零ははっとした。そうだ。『スカボロー・フェア』は英語だ。
「耳コピーなので、ちゃんとした人に最終チェックはしてもらったほうがいいかもしれないです」
「そのへんは事務所から誰かに頼めるよ」
藤谷は答えた。
「レコーディングのスケジュールはどうなりました?」
梶谷の問いに藤谷がさっきの打合せ内容を伝える。
「じゃあ、『eau du ciel』は1か月くらい時間とれそうですね。途中でイメージ掴むためにおふたりで声を合わせることもあるかもしれませんが、その時は無理に声を出し切らないようにお願いします。レコーディング前に喉潰しちゃまずいですしね。で、ぼくはいくらでも時間調整しますけれど、どうします? 明日からでもいいですよ。『Lightning 』と『Stella』も少し時間とったほうがいいですよね」
「明日はラジオとスタジオ収録が入ってますんで…… ええと、一度戻ってチェックして改めてこちらのスケジュール表をお送りします」
「承知しました。よし、頑張ろう」
梶谷がにこりと零に笑みを向けたので、零はかろうじてそれに応じて笑みを返すのが精一杯だった。
歌うことは楽しくてしようがなかったのに、今は不安まみれだ。
「お世話になります。すみません、お忙しいときに」
藤谷が言うと梶谷は笑みを崩さずふたりをテーブルに促した。
「大丈夫ですよ。今日はあと4時にひとつレッスンがあるだけですから」
「早速なんですけれど、これ、さっきいただいてきた楽譜です」
「あ、はい」
梶谷は渡された封筒をがさがさと開く。
最初からさらさらと目を走らせてめくっていき、最後の曲でかなり長い時間見つめていた。たぶん『eau du ciel』だろう。
梶谷にはデモテープは既に渡していたから彼もこの曲が難だと思ったのだ。
「ざくっと見ただけですけど、小野さんの曲はやっぱり難曲多いですね」
しばらくして顔をあげた梶谷は苦笑しながら零を見た。
「『KIRIE』や『AQUA』のようなわけにいかなさそうですね…… 特にこの『eau du ciel』」
やっぱり、と零は思う。藤谷の顔をちらりと見ると、彼も渋面をしていた。
「ここの……」
梶谷は譜面をテーブルに置いて零に見せる。
「~その 上に 吹く~ のところ、零を極限まで上げておいて、自分は下がってくるの。捧げものみたいな感じですね」
「捧げもの……」
思わずオウム返しに呟いてしまった零に梶谷は笑う。
「あ、いや、比喩ですよ、もちろん。でも、その前のブレスがすごく短いのに、自分が下がってくる間、伸ばさせてる。意地悪ですよね」
ははは、と笑う梶谷だったが零はとても笑う気になれなかった。
「小野さんはファルセット使ってもファルセットに聞こえないような声の出し方を駆使するんですけど、ここんところの神西さんの部分もたぶんそれを要求してるし、それが一瞬じゃなくて小野さんが降りて来るまでずっとでしょ。結構大変です」
零と藤谷はちらりと目を合わせた。
「ただ、この曲は最後小野さんを上に追いやって終わりますから。神西さんは小野さんをぶん投げてしまえばいいんです」
再び梶谷は、ははは、と笑ったが、零はやっぱり笑えない。
「他の曲はどうですか?」
藤谷が尋ねる。
「『Lightning 』にちょっと似たような雰囲気のところがありますけれど、バラードですし、メインは小野さんみたいですから大丈夫じゃないでしょうか。『Stella』は軽い雰囲気ですしね。で、『スカボロー・フェア』は神西さんは歌う分には全然大丈夫だと思いますけど、これ、歌詞が英語ですが発音は?」
梶谷の返事に零ははっとした。そうだ。『スカボロー・フェア』は英語だ。
「耳コピーなので、ちゃんとした人に最終チェックはしてもらったほうがいいかもしれないです」
「そのへんは事務所から誰かに頼めるよ」
藤谷は答えた。
「レコーディングのスケジュールはどうなりました?」
梶谷の問いに藤谷がさっきの打合せ内容を伝える。
「じゃあ、『eau du ciel』は1か月くらい時間とれそうですね。途中でイメージ掴むためにおふたりで声を合わせることもあるかもしれませんが、その時は無理に声を出し切らないようにお願いします。レコーディング前に喉潰しちゃまずいですしね。で、ぼくはいくらでも時間調整しますけれど、どうします? 明日からでもいいですよ。『Lightning 』と『Stella』も少し時間とったほうがいいですよね」
「明日はラジオとスタジオ収録が入ってますんで…… ええと、一度戻ってチェックして改めてこちらのスケジュール表をお送りします」
「承知しました。よし、頑張ろう」
梶谷がにこりと零に笑みを向けたので、零はかろうじてそれに応じて笑みを返すのが精一杯だった。
歌うことは楽しくてしようがなかったのに、今は不安まみれだ。