「……小野さんだ……」
 画面を見て呟く零の横から藤谷が覗き込む。
「小野さんに電話番号教えたのか?」
「もうだいぶん前に…… 『KIRIE』のとき」
「社長がすぐ話したんだろうなあ。うーん……」
「とりあえず出ます。ややこしくなったら代わってください」
 零が言ったので藤谷はうなずいた。
 零は少し息を吸い込むと、スマホを耳に当てた。
「もしもし」
『零さんですか?キリエです……』
「はい」
『アルバムの件なんですけれど……』
「それは…… 藤谷を通してもらえますか」
 答えながら零は藤谷の顔を見やった。藤谷は少し眉をひそめている。
『あ、いえ、ミニアルバムで承知いたしました。賀州からもそちらにご連絡いたしました。それで…… 選曲の件は零さんには直接伝えたいなと思って……』
「……」
『順番は最終前後するかもしれませんが、《KIRIE》《AQUA》、それと今のデモの6曲目《Lightning 》7曲目の《Stella》9曲目の《eau du ciel(オウ・デ・スィエル)》……』
 やっぱり9曲目を入れたか、と零は心の中で思う。
『それでラストの曲なんですけど、ちょっと誰もが知っているような曲をオリジナルアレンジで入れてみたいな、と思っていて……』
「誰もが知っている曲?」
 思わず問い返した零の声に藤谷がさらに眉根を寄せる。
『《スカボローフェア》』
 一瞬息が詰まりそうになった。キリエの声と同時に
「藤谷! 神西君!」
 社長の声がしたので、藤谷はおれが行ってくる、とジェスチュアをしてそそくさと出て行った。
「どうして《スカボローフェア》を?」
 零は動揺が出ないよう注意を払いながら尋ねた。
「深い意味はないんですけれど、わたしは《eau du ciel(オウ・デ・スィエル)》をラストのほうに持ってきたくて、でもけっこう緩急のある曲なので、最後は聴く人にほっとしてもらえるのがいいかなって……《スカボローフェア》自体は民謡なので、サイモン&ガーファンクルの詠唱版ではなくてそれだけを、と……』
 零は何も言えなかった。なんでよりにもよってスカボローフェアを……
『いいと思いません? 妖精の騎士と少女の物語でしょう? 不思議な駆け引きですよね』
「駆け引き……」
 零は自分でも気づかず呟いていた。
『零さん、あの歌、エルフィン・ナイトが原型だってご存知ですか?』
「え…… ああ、うん…… まあ。あんまり詳しくは知らないけれど……」
『エルフィン・ナイトは死んだ騎士の亡霊です。伝承にはいろんなものがあるみたいでわたしも詳しくはないんですけれど、死者と生者の魂の駆け引きみたいなものかなって思ってるんです。歌の中に出てくるハーブはだいたいが体を回復させたりするような効果があるから、お守りの言葉になってるのかも』
「そうなんだ…… 調べたの?」
『ほんの少しだけですよ。深く調べればいろいろあるんだと思いますけど……』
 キリエはふふっと笑った。
『《グリーン・スリーブズ》とどっちにしようかなって考えたんですけど、わたしたちふたりの《スカボローフェア》も…… いいと思いません?』
 わたしたちふたりの《スカボローフェア》……
 彼女との会話に惑わされているのだろうか。単におれの考え過ぎだろうか。美也の顔が頭に浮かぶ。
「いただいたデモと歌詞だけでは把握が難しいので…‥ できれば詳細の譜面をください。おれ、あんまり読めないけど…… だいたいの音の位置や高低差の予想つきます」
『わかりました。《スカボローフェア》のアレンジも早いうちにお届けします。それでまたお会いしましょう』
「わかりました」
 電話を切ってから、どっと疲れた。
 タイミングが良すぎるのか悪すぎるのか…… 小野キリエと《スカボローフェア》なんて。
 眩暈がしそうだった。