「零と小野さんが…… アルバム……?」
 店が終わって帰宅すると、巧也が音楽船を録画したよ、と美也に伝えた。
 零と小野キリエがアルバムを制作中だと言っていたと聞いて美也は僅かに眉根を寄せてしまう。
「零にぃと小野キリエって本格的に共演するんかな」
 巧也は風呂上がりのアイスクリームを食べながらテレビのスイッチを入れて再生ボタンを押す。
「零は乗り気じゃないって……」
 美也は呟いた。
「零にぃの出るとこだけ見ればいいよな?」
 巧也が早送りをした。
『それでそれで、すごい情報をゲットしちゃいましたよ?今、おふたりでアルバムを製作だとかー?』
 MCの声がした直後、美也には零の口元が強張ったように見えた。
『お互い忙しい間を縫っての製作になるので、まだだいぶん時間はかかりそうなんですけれど、良いものをみなさんにお届けできるよう頑張ってます』
 この子……
 美也は口を引き結んだ。
 零はまだアルバムを了承していない。それを彼女は強引に公にしたんだわ……
 なんでそんなことするの?
『わたし、零さんと歌いたいんです。歌わなくちゃいけなくて』
 『ペンギン』に来たときに彼女はそう言った。
 なんで? どうしてそんなに零に固執するの?
『やめて、やめて、やめて……』
 美也がぶんぶんと頭を振ったので、巧也が怪訝な顔をした。

 零はマンションで持ち帰ったCDを再生した。
 どれもいい曲だと思う。
 『KIRIE』や『AQUA』よりも更に難解な部分もあったが、歌詞を追いながら聴いていくと自分が歌えない、ということはないと思えた。
 唯一、9曲目の曲以外では。
 なんだろう、この曲。作為的に難しくしているようにも感じられる。特に自分に。
 零の声域でもぎりぎりのところまで出さざるを得ない部分もあった。
 ファルセット使っても途中で息切れ起こすんじゃないか……
 ボイトレと並行して挑まないと喉を傷めそうだ。
 さて、どうしようか…… 零は考え込んだ。
『じゃあ、新たに作った10曲、全部お蔵入りですか?』
 キリエの声が蘇る。
 脅迫じゃん…… おれの返事ひとつでこのCDまるまる葬られるっていうのか?
 ソファに寄りかかって天井を仰ぎ見たとき、インターホンが鳴った。
 藤谷かもしれない。ちょうどいい。ふたりで相談しよう……
 玄関に向かったとき、壁のモニターが目に入った。
「あれ…… 下のオートロックか……」
 そう呟いて画面を見て、
「美也?」
 思わず声が出た。
 急いでロックを解除する。
 玄関の扉を薄く開いて、美也がエレベーターであがってくるのを待った。
 エレベーターから飛び出してきた美也は大きなボストンバックを下げ、小走りにやってきて
「零ちゃん!」
 と息をきらしながら言った。
 零は美也を中に入れると玄関のカギを締めた。
 どうしたの、と尋ねる前に美也はがばっと頭を下げた。
「零ちゃん、お願いします、わたしをここに置いてください! お料理、洗濯、お掃除なんでもします! お仕事の邪魔はいたしません! お店はアルバイト見つかるまで行かなきゃだけど、バイト見つかったらここの近くでアルバイト探してお家賃やら食費やら……」
「美也、ちょっと中入ろう?」
 零は美也の下げてきたボストンバックを持ち上げた。ずっしり重い。
「零ちゃん、わたし、あのね……」
 促されながらも一生懸命訴えようとする美也を零はソファんにぽすんと座らせた。
「零ちゃん、あのね…… むぐ……」
 零はバックを床に置くと、まくしたてようとする美也の口を手で塞ぎ、「とりあえずコーヒー飲もう」と言ってキッチンに立った。
 少し前に淹れたコーヒーをカップに入れて戻ってくると、美也は叱られた子供のように口を尖らせてうつむいていた。
「おれは全然かまわないんだけど…… けんかでもしたの?」
 零が美也の前にカップを置いて尋ねると、美也は首を振った。
「零ちゃんところに行くって言ってきた」
「でも……」
 零はちらりとぱんぱんに膨らんでいるボストンバックを見やる。
  とてもちょっと遊びに行く、という準備ではない。
「だめかなあ? わたし、ちゃんとお家賃も食費も払うよ」
「いや、そういうんじゃなくて…… おじさんとおばさんにちゃんと許可もらってきたの?」
「もらったよ。だいたいわたし、もう子供じゃないよ」
 美也はぷくっと頬を膨らませる。
「そりゃそうだけど‥… なんていうか……」
 戸惑い気味に言う零に美也はまた口を尖らせた。
「お父さんはちょっと反対っぽかった。でもお母さんはちゃんと結婚するまで子供は作っちゃだめだよって……」
 コーヒーを口に運びかけていた零はむせた。
「零ちゃんの負担にもなるからって……」
「はー……」
 零は息を吐いた。
 美也んちって、ほんとオープンだなあ……
「まかないにょうぼうみたいかな? ダサい?」
 顔を覗き込んで心配そうに言う美也を零はきょとんとして見つめた。
「まかないにょうぼう?」
「あ、違う…… 間違えた…… 押し…… 押しかけ女房だ」
 笑えた。
「腹減ってんの? カップ麺ならあるよ?」
「間違えたんだってば!」
 美也は顔を真っ赤にして憤慨した。