「どうしたの? 今、台湾に行ってるんじゃなかったっけ?」
『おととい戻って来たんです。それで、あの…… 藤谷さんからお聞きになりました?』
「何を? おれ、今日と明日オフなんだ」
ソファからずるずる落ちて床に座り込んで話す零を美也は複雑な思いで見た。
(小野キリエ…… 零のスマホの番号知ってるんだ……)
そのことが妙にショックだった。
『KIRIEのビデオ見た会社が自社のCMであそこまで暗くないけどムービー作りたいって言ってきたらしくて、それに零さんと私で出て欲しいって……』
「へえ…… そうなんだ。藤谷さんに確認してみるよ」
『あの…… 零さん、受けますか?』
「んー、そのへんは事務所の方針で…… おれはCMとか出たことないけど。事務所が出ろってんなら別に拒む理由もないし……」
『そうなんですね…… 私、ちょっと迷ってて。でも、零さんがOKなら頑張ってみようかな……』
「なんか気になることとかあるの?」
『あ、いえ、私の個人的なことだけなんですけど…… あの…… 私、あんまり顔とかおおっぴらに出したくないんです……。コンサートとかそれのメディアとかはいいんですけど……』
「そうなの? なんで?」
『なんでって…… だって……』
キリエは口ごもった。
『私、そんなきれいな雰囲気じゃないし……』
「そんなの気にすることないんじゃない? KIRIEのビデオでも小野さん、独特の雰囲気あったよ? あれくらいのカット割りなら小野さんの良さを出してもらえるんじゃない?」
零の声を聞きながら、美也の脳裏にMVを見た記憶が蘇った。
アーカーのピアス、白いドレス、零、その子の手を取らないで……
美也はコーヒーを取りにキッチンに立った。
その後ろ姿を見ながら零は小さく息を吐いた。
「あの、また、おれも詳しい話を聞いてみるから。たぶんほんとにこれからだろうし、絵コンテもしできてても、気に入らなかったら変更してもらえるかもしれないし。そのへんは賀州さんとちゃんと話、しときなよ」
『そうですね…… そうします……』
キリエはまだ決心がつきかねているような口調だった。
『あの…… ありがとうございます。雰囲気あるって言ってくださったの零さんが初めてでした。嬉しいです』
「あ、そう……? 自信持ちなよ。小野さん、曲作りも声もすごいんだから」
美也がコーヒーの入ったカップをふたつ持って戻って来たのを見ながら零は言った。
『あれは…… ほんとの私じゃないです……』
「え?」
カップを取り上げかけて零は手を止めた。
『私の中に私じゃないものがいるんです。それが私を歌わせるんです。ほんとの私は単に歌うことが好きなだけの普通の人間なんです。だから辛いんです。だから、それを消してしまいたいんです。零さんなら……』
「あの」
零はキリエの声を遮った。
「悪いけど、お客が来てるから長話できないんだ。次に会ったときにゆっくり話そう?」
『あ、はい…… ごめんなさい…… それじゃ……』
電話を切って、零はため息をついた。
「小野キリエさん?」
美也がこくんとコーヒーを飲んで尋ねた。
「うん…… なんか…… この人、ちょっと変わってるというか…… 時々、理解できないこと言う。普通の女の子っぽい時もあるんだけどなあ……」
零は困惑したようにコーヒーを口に運んだ。
「ああ、美也の淹れたコーヒー、うまーい」
「淹れたのはコーヒーメーカーだよ」
美也は笑った。
「私、KIRIEのMV見たよ。巧也が見つけたから一緒に見た」
「ああ、あれ、小野さんとは別々に撮ってんだよ」
「え? そうなの?」
美也が目を丸くしたので零は少し笑った。
「スケジュール合わなくて、最初にあっちが撮って、それからおれが動き合わせて、あとでCGでがっちゃんこ」
「へー…… そんなことできるんだ……」
じゃあ、小野キリエと零が顔を合わせたんじゃないんだ。
何となくほっとしている部分に美也は自分で気づいた。
もともとあの手は零が取れる場所になかったんだ。
「で、今日は泊まるよね?」
零が悪戯っぽく美也の顔を覗き込む。
「今日、そんな準備してないよ。明日の朝の仕込みあるし……」
「何の準備がいるんだよ。パンツとか? 歯ブラシはあるよ」
「もー! 女にはいろいろ必要なものがあるんだよー!」
「おれんちに来るのに泊まる準備してこないなんて、どうかしてる」
「私はスケベなこと考えてないからね」
「おれはそういうことばっかり考えてたんだけど」
強引に美也をソファに押し倒した。
「やだー! 困るー!」
騒ぐ美也の頬を零は両手で挟んだ。
「美也、冗談抜きにして」
真顔になった零の顔を美也は見つめた。
「結婚しような。すぐすぐは無理だけど、絶対おれと結婚して」
すぐは無理だけど。
美也は心の中で反芻した。
「ペンギンは我慢強いの。私はずうっと待ってる」
待ってるよ、零。私はずっと待ってる。
美也は温かい零の唇の感触を感じながら思った。
『おととい戻って来たんです。それで、あの…… 藤谷さんからお聞きになりました?』
「何を? おれ、今日と明日オフなんだ」
ソファからずるずる落ちて床に座り込んで話す零を美也は複雑な思いで見た。
(小野キリエ…… 零のスマホの番号知ってるんだ……)
そのことが妙にショックだった。
『KIRIEのビデオ見た会社が自社のCMであそこまで暗くないけどムービー作りたいって言ってきたらしくて、それに零さんと私で出て欲しいって……』
「へえ…… そうなんだ。藤谷さんに確認してみるよ」
『あの…… 零さん、受けますか?』
「んー、そのへんは事務所の方針で…… おれはCMとか出たことないけど。事務所が出ろってんなら別に拒む理由もないし……」
『そうなんですね…… 私、ちょっと迷ってて。でも、零さんがOKなら頑張ってみようかな……』
「なんか気になることとかあるの?」
『あ、いえ、私の個人的なことだけなんですけど…… あの…… 私、あんまり顔とかおおっぴらに出したくないんです……。コンサートとかそれのメディアとかはいいんですけど……』
「そうなの? なんで?」
『なんでって…… だって……』
キリエは口ごもった。
『私、そんなきれいな雰囲気じゃないし……』
「そんなの気にすることないんじゃない? KIRIEのビデオでも小野さん、独特の雰囲気あったよ? あれくらいのカット割りなら小野さんの良さを出してもらえるんじゃない?」
零の声を聞きながら、美也の脳裏にMVを見た記憶が蘇った。
アーカーのピアス、白いドレス、零、その子の手を取らないで……
美也はコーヒーを取りにキッチンに立った。
その後ろ姿を見ながら零は小さく息を吐いた。
「あの、また、おれも詳しい話を聞いてみるから。たぶんほんとにこれからだろうし、絵コンテもしできてても、気に入らなかったら変更してもらえるかもしれないし。そのへんは賀州さんとちゃんと話、しときなよ」
『そうですね…… そうします……』
キリエはまだ決心がつきかねているような口調だった。
『あの…… ありがとうございます。雰囲気あるって言ってくださったの零さんが初めてでした。嬉しいです』
「あ、そう……? 自信持ちなよ。小野さん、曲作りも声もすごいんだから」
美也がコーヒーの入ったカップをふたつ持って戻って来たのを見ながら零は言った。
『あれは…… ほんとの私じゃないです……』
「え?」
カップを取り上げかけて零は手を止めた。
『私の中に私じゃないものがいるんです。それが私を歌わせるんです。ほんとの私は単に歌うことが好きなだけの普通の人間なんです。だから辛いんです。だから、それを消してしまいたいんです。零さんなら……』
「あの」
零はキリエの声を遮った。
「悪いけど、お客が来てるから長話できないんだ。次に会ったときにゆっくり話そう?」
『あ、はい…… ごめんなさい…… それじゃ……』
電話を切って、零はため息をついた。
「小野キリエさん?」
美也がこくんとコーヒーを飲んで尋ねた。
「うん…… なんか…… この人、ちょっと変わってるというか…… 時々、理解できないこと言う。普通の女の子っぽい時もあるんだけどなあ……」
零は困惑したようにコーヒーを口に運んだ。
「ああ、美也の淹れたコーヒー、うまーい」
「淹れたのはコーヒーメーカーだよ」
美也は笑った。
「私、KIRIEのMV見たよ。巧也が見つけたから一緒に見た」
「ああ、あれ、小野さんとは別々に撮ってんだよ」
「え? そうなの?」
美也が目を丸くしたので零は少し笑った。
「スケジュール合わなくて、最初にあっちが撮って、それからおれが動き合わせて、あとでCGでがっちゃんこ」
「へー…… そんなことできるんだ……」
じゃあ、小野キリエと零が顔を合わせたんじゃないんだ。
何となくほっとしている部分に美也は自分で気づいた。
もともとあの手は零が取れる場所になかったんだ。
「で、今日は泊まるよね?」
零が悪戯っぽく美也の顔を覗き込む。
「今日、そんな準備してないよ。明日の朝の仕込みあるし……」
「何の準備がいるんだよ。パンツとか? 歯ブラシはあるよ」
「もー! 女にはいろいろ必要なものがあるんだよー!」
「おれんちに来るのに泊まる準備してこないなんて、どうかしてる」
「私はスケベなこと考えてないからね」
「おれはそういうことばっかり考えてたんだけど」
強引に美也をソファに押し倒した。
「やだー! 困るー!」
騒ぐ美也の頬を零は両手で挟んだ。
「美也、冗談抜きにして」
真顔になった零の顔を美也は見つめた。
「結婚しような。すぐすぐは無理だけど、絶対おれと結婚して」
すぐは無理だけど。
美也は心の中で反芻した。
「ペンギンは我慢強いの。私はずうっと待ってる」
待ってるよ、零。私はずっと待ってる。
美也は温かい零の唇の感触を感じながら思った。