「姉ちゃん」
美也の弟、高校生の巧也が声をあげたのは零の言った2か月が過ぎようとしている時だった。
「なに?」
「零にぃの新曲のMVが出てる」
「え」
美也は急いで巧也の持っているスマホを覗き込んだ。
「零にぃ、小野キリエと歌うんだぁ。テレビで見ようか」
巧也はテレビのリモコンをとりあげた。
「姉ちゃん、教えてもらってなかったの? いい加減スマホ持てよ」
「うるさいな。忙しかったんだよ、きっと」
美也は弟を睨みながら小野キリエって誰だっけ、と思い出そうとしていた。
美也は洋楽派なので邦楽は零以外ほとんど聴かない。『ペンギン』でもずっとJAZZがかかっているからかなり疎い。
テレビ画面から音楽が流れだした。繊細できれいなギターとピアノの旋律。
透き通って胸を貫くような女性の歌声が聞こえてくる。
画面はモノクロームで、たぶん零のものらしいブーツの足が薄く濡れた床を静かに水の粒を散らしながらスローモーションで歩を進めていた。
しばらくして零の歌声が聞こえる。
影が濃くて黒い服を着ている零の姿は全体がはっきり捉えられないが、濡れているらしい髪から小さな水滴が飛んで、彼の顔の左下半分が見えた。見慣れた口元にどきりとする。
「零にぃ、かっけー。やっぱうまいよなー」
「しっ」
美也は弟を叱咤する。
零が歌い終わると再び女性の声が聞こえ、曲調がだんだんアップテンポに移行していく。
零と小野キリエが一緒に歌い始めたとき、美也は一瞬くらりと眩暈がした。
この歌、まるで頭に波が押し寄せてくるみたい……
それにしても、零の姿は部分的に映るが女性の姿が全然出ない。
間奏が終わって曲も終盤に近付いた頃、ようやく女性らしき姿が見えた。
長い髪がふわりと流れて耳元だけが映る。
「あ」
美也は声を漏らした。
アーカーだ。アーカーのピアス。
美也はピアスの穴を開けていないのでつけられないが、綺麗なのでショップで眺めたことがある。
アーカーのピアスをつけたいがゆえに、穴を開けようかどうしようか迷ったくらいだ。
そして最後の最後にふたりの全身が見えた。
零が左から振り返って腕を伸ばしたあと、画面の右から空から舞い降りるように真っ白なドレスの女の子が降りて来る。
ワイヤーで吊られているのかどうかは知らないが、たっぷりとした透ける真っ白の布が彼女の長い髪と一緒に後ろに流れ、片手は伸ばした零の手を掴もうとするように伸ばされていた。
(やだ……)
美也は心の中で呟いていた。
零、その手をとらないで。
彼女の手と零の指先が触れる瞬間、画面は暗転した。
最後は画面の左右で背を向け合って立つふたりの姿で終わる。
「やっぱ、小野キリエははっきり顔出さなかったねー」
巧也はふーんというように口を開いた。
「やっぱりって?」
「小野キリエ、顔あんまり出さないんだよ」
「どうして?」
「ブスだもん」
きっぱりと言う巧也の言葉に美也はびっくりして巧也の顔をまじまじと見た。
「いや、これみんな言ってること。作る曲も歌もすごいけど、この人、ビジュアルはよくないんだよね。可愛くない」
「ひどぉ……」
美也は次の動画に切り替わってしまったテレビに目を向けた。
「姉ちゃんのほうが断然美人。コラボしても零にぃは浮気しないよ」
「なんかやだ、そういう言い方。零は仕事してんだよ?」
美也が憤慨すると巧也はけらけら笑って立ち上がって行ってしまった。
(零は仕事してるんだもん)
もう一度心の中で呟きながら、小野キリエの耳に光ったピアスと、伸ばされた手を思い出していた。
そして、頭をわんわん揺さぶるような声。
私にはないあの声、なんだか、怖い……
そう思った。
美也の弟、高校生の巧也が声をあげたのは零の言った2か月が過ぎようとしている時だった。
「なに?」
「零にぃの新曲のMVが出てる」
「え」
美也は急いで巧也の持っているスマホを覗き込んだ。
「零にぃ、小野キリエと歌うんだぁ。テレビで見ようか」
巧也はテレビのリモコンをとりあげた。
「姉ちゃん、教えてもらってなかったの? いい加減スマホ持てよ」
「うるさいな。忙しかったんだよ、きっと」
美也は弟を睨みながら小野キリエって誰だっけ、と思い出そうとしていた。
美也は洋楽派なので邦楽は零以外ほとんど聴かない。『ペンギン』でもずっとJAZZがかかっているからかなり疎い。
テレビ画面から音楽が流れだした。繊細できれいなギターとピアノの旋律。
透き通って胸を貫くような女性の歌声が聞こえてくる。
画面はモノクロームで、たぶん零のものらしいブーツの足が薄く濡れた床を静かに水の粒を散らしながらスローモーションで歩を進めていた。
しばらくして零の歌声が聞こえる。
影が濃くて黒い服を着ている零の姿は全体がはっきり捉えられないが、濡れているらしい髪から小さな水滴が飛んで、彼の顔の左下半分が見えた。見慣れた口元にどきりとする。
「零にぃ、かっけー。やっぱうまいよなー」
「しっ」
美也は弟を叱咤する。
零が歌い終わると再び女性の声が聞こえ、曲調がだんだんアップテンポに移行していく。
零と小野キリエが一緒に歌い始めたとき、美也は一瞬くらりと眩暈がした。
この歌、まるで頭に波が押し寄せてくるみたい……
それにしても、零の姿は部分的に映るが女性の姿が全然出ない。
間奏が終わって曲も終盤に近付いた頃、ようやく女性らしき姿が見えた。
長い髪がふわりと流れて耳元だけが映る。
「あ」
美也は声を漏らした。
アーカーだ。アーカーのピアス。
美也はピアスの穴を開けていないのでつけられないが、綺麗なのでショップで眺めたことがある。
アーカーのピアスをつけたいがゆえに、穴を開けようかどうしようか迷ったくらいだ。
そして最後の最後にふたりの全身が見えた。
零が左から振り返って腕を伸ばしたあと、画面の右から空から舞い降りるように真っ白なドレスの女の子が降りて来る。
ワイヤーで吊られているのかどうかは知らないが、たっぷりとした透ける真っ白の布が彼女の長い髪と一緒に後ろに流れ、片手は伸ばした零の手を掴もうとするように伸ばされていた。
(やだ……)
美也は心の中で呟いていた。
零、その手をとらないで。
彼女の手と零の指先が触れる瞬間、画面は暗転した。
最後は画面の左右で背を向け合って立つふたりの姿で終わる。
「やっぱ、小野キリエははっきり顔出さなかったねー」
巧也はふーんというように口を開いた。
「やっぱりって?」
「小野キリエ、顔あんまり出さないんだよ」
「どうして?」
「ブスだもん」
きっぱりと言う巧也の言葉に美也はびっくりして巧也の顔をまじまじと見た。
「いや、これみんな言ってること。作る曲も歌もすごいけど、この人、ビジュアルはよくないんだよね。可愛くない」
「ひどぉ……」
美也は次の動画に切り替わってしまったテレビに目を向けた。
「姉ちゃんのほうが断然美人。コラボしても零にぃは浮気しないよ」
「なんかやだ、そういう言い方。零は仕事してんだよ?」
美也が憤慨すると巧也はけらけら笑って立ち上がって行ってしまった。
(零は仕事してるんだもん)
もう一度心の中で呟きながら、小野キリエの耳に光ったピアスと、伸ばされた手を思い出していた。
そして、頭をわんわん揺さぶるような声。
私にはないあの声、なんだか、怖い……
そう思った。