「――――――――アリソンッ!?」
魔王様の叫びに対して、
「……ひ、人違いじゃあ、ありませんかね……?」
お師匠様がとんがり帽子を深々と被る。
「人違いなものか!」
魔王様が椅子から立ち上がり、勢いよくお師匠様に駆け寄って、その両肩をつかむ。
「顔かたち、魔力の色……何もかも数千年前と変わらない! あぁ、アリソン! 本当に、本当に逢いたかった!!」
そう言ってお師匠様に顔を近づける魔王様。
え? え? え? これって――
「ひ・と・ち・が・い・です!!」
お師匠様が魔王様の顔を押しのけて、距離を取る。
「陛下!」
魔王様に対して乱暴を働いた為か、そばに控えていた審判の人――もとい四天王で『近衛』のバフォメット様が駆け寄って来て、
「こんのバカ陛下! いきなり女性に抱きつく人がありますか!」
魔王様を羽交い絞めにする。
「「――えっ、そっち!?」」
すわ不敬罪かと顔を青くしていた僕とノティアから同じ言葉が漏れて、
「すみません皆さん。陛下はその……過去に何度もご自身の記憶を消し去っている所為で、思考がちょっとアレなところがありまして……今日の出来事はご内密にして頂きます。後で口外できないように一筆、【契約書】を書いて頂きますので」
「「え……」」
「こらバフォメット! 離せ!」
「あぁもう、暴れないで下さいよ陛下!」
暴れる魔王様を抑え込みながらもバフォメット様が、
「あー……でも確かにお嬢さん、アリソン神の像とか、王城に飾ってある先王様の絵に似てますねぇ。陛下は金髪碧眼美女と見れば『アリソン! 我が妻!』って叫ぶところがあるので、これだけ似てれば発作も出ましょう」
「「――――……」」
言葉を失う僕とノティアと、
「……そうですか」
衣服の乱れを整え、帽子を深く被りなおすお師匠様。
お師匠様はささっと短いカーテシーをして、
「それでは、わたくしはこれで」
足早に、中庭から去っていく。
「あっ、お嬢さん! 【契約書】を――…はぁ、陛下の所為で怖がらせてしまったじゃないですか!」
「あ、あの……わたくしたちはどうすれば?」
恐る恐るバフォメット様に尋ねると、バフォメット様はうなずいて、
「そうですね……明日の午前9時に、こちらからお伺いさせて頂けますか?」
「は、はぁ」
というわけで、僕らは泊っている宿を伝えて、その場を辞した。
■ ◆ ■ ◆
翌朝、スイートルームの居間でくつろいでいると、9時の少し前にドアがノックされた。
「はーい」
出ると、そこには帽子を目深に被った二人組が。
そして、
「よっ、少年! また会ったな!」
ひとりが、帽子を取る。
…………魔王様だった。
■ ◆ ■ ◆
「すみませんすみません本当に! 陛下が『一緒に行く』って聞かなくって!」
平謝りのバフォメット様――二人組の二人目。
バフォメット様は謝りつつも虚空から4枚の紙を取り出し――何気に無詠唱【収納空間】だ――、机に広げる。
「昨日はいらっしゃらなかったそちらのお嬢さんにも、申し訳ありませんがサインして頂きますね」
丁寧な言い回しながらも、その口調は有無を言わせない調子だ。
「え? な、何……?」
混乱しているシャーロッテにそっと耳打ちする。
「こちらの方が魔王様なんだ」
「え、えぇぇええええッ!? 魔王様!?」
「うん、実は――…」
■ ◆ ■ ◆
【取引契約】という魔法がある。
上級光魔法で、商取引なんかを行う前にこの魔法が【付与】された【契約書】に互いにサインするという形で使用される。
【契約書】にサインした者は、【契約書】に記された内容を破ろうとするとひどい頭痛に苛まれ、最終的には死に至る。
だから【契約書】には、『契約内容が守れそうにない場合はどう補填するか』とか『誰かに脅迫されて契約を反故にせざるを得ない場合にどうするか』といった細かい条項まで詰めるのが普通らしい……と、ミッチェンさんに以前教えてもらった。
名ばかりとはいえ町長として、諸々の契約を行う必要がある身だからね。
上級魔法だから誰でも使えるってわけじゃあないけど、大店の商人なんかは商人ギルドにお金を払ってギルド付きの光魔法使いに【契約書】を作ってもらうのだそうだ。
高い【契約書】代を払ってでも、安全な取引がしたいというわけだね。
「では皆さん、【契約書】の内容をしっかりとお読み頂き、ご納得の上、サインをして下さい――まぁ納得頂けなくてもサインはさせますが」
内容は、『魔王様が自ら記憶を消去した』、『その所為で、先王アリソン様に似た女性を見ると精神が不安定になる』ということを絶対に口外しない、というもの。
つまり、『言いふらそうとしたら死ぬぞ』という【契約】だ。
……まぁ、国家の恥部を隠す為の処置だ。怖いけど、仕方ないのだろう。
【契約書】にサインをすると、紙がぱぁっと光り輝き、数秒ほどで光は収まった。
お師匠様にノティア、そしてシャーロッテもサインをする。
「ありがとうございました」
バフォメット様が頭を下げる。
四天王といえば魔王様の次に偉いはずの方なのに、腰が低いことだと思う。
「対価というわけではありませんが、各種ギルドや各領地貴族たちに、あなた方を不当に扱わないよう通達しておきましょう。まぁもっとも……ノティア・ド・ラ・パーヤネン公女殿下は不要でしょうけれど」
「ふふ、そうですわね」
ノティアが淑やかに微笑む。
なんというか、いつもの粗野な感じが入った冒険者っぽい笑顔じゃなくて、深窓の令嬢っぽい微笑。
こんな顔もできるんだなぁ……。
「終わったか!? 終わったな!?」
居間の上座では、魔王様が何やらうずうずした様子で座っている。
「よしアリソン、いまからデートに行くぞ! そなたら――クリスにノティア、あとそこの娘も一緒に来るがよい! 余が自ら、王都観光ツアーの案内人となろう!」
「「「「「えぇぇえええええええッ!?」」」」」
仰天するお師匠様、ノティア、シャーロッテ、僕と、そしてバフォメット様……。
「糞ぉッ、糞糞糞ッ!! どうして何もかもが上手くいかねぇんだ!?」
自宅――ボロ長屋の一室で、薄い酒をあおりながら毒づく。
……今日も、デブの領主サマに嫌味を言われた。
『街』はますます栄える一方じゃないか――って。
『街』にゴロツキを歩かせるのは上手くいかなかった……金に釣られた冒険者どもによる警備で、治安はかえって良くなっちまった。
盗賊の真似も、失敗した。
いまじゃ商人ギルドが規則を作っちまって、護衛なしじゃ西の森を通れないようにしちまったらしい。
オークも、クリスが集落ごと滅ぼしちまったって話だ……せっかく、高い金を出して魔物寄せの香を買ったっていうのによぉ!
「糞ッ、何もかもクリスの所為だ!! あいつさえいなけりゃ――…」
……いや、待てよ?
糞……そうか、糞か。
■ ◆ ■ ◆
「つ、つ、疲れたぁ……」
夜中。
王都自慢のスイートルームのベッドに倒れ込みながら、心の底からつぶやいた。
「うん……」
「確かに疲れましたわ……」
シャーロッテとノティアが、至極自然な様子で僕のベッドに倒れ込む。
お師匠様? お師匠様は女性陣の為に取ってある部屋に入っていったよ。
「……寝ちゃだめだからね……ちゃんと自分たちの部屋に戻るんだよ?」
「「はぁい」」
『お風呂事件』からこっち、このふたりの僕に対する距離感が異様なほどに近い。
……まぁいいや、とにかく僕らはようやっと、魔王様から解放されたんだから。
一週間もの間、魔王様に連れ回された。
『余が自ら、王都観光ツアーの案内人となろう!』という言葉の通り、変装した魔王様によって、王都中を案内された。
バフォメット様も含め、誰も魔王様を止められなかった。
魔王様は、お師匠様のことを奥さんでもある先王アリソン様だと勘違いしている点以外は割とまともなお方で、多少強引ながらも、僕らを楽しませるべく王都一周ツアーのガイドに徹してくださった。
僕ら平民相手に偉そうぶることもないし、なんというか無邪気で気さくなお兄さんという感じ。
僕とシャーロッテはすっかり魔王様に懐いてしまった……まぁ、僕らが魔族で、魔王様による【従魔】影響下にあるからなのかも知れないけれど。
実際、お師匠様とノティアは僕らほど魔王様に心酔していないようだったから。
で、最後の晩餐会が終わって、やっと解放されたってわけ。
「ノティア、明日の朝には向こうに戻りたいんだけど……お願いできる?」
「承知しましたわ」
■ ◆ ■ ◆
「【瞬間移動】!」
翌朝、『街』の自宅である屋敷内へと【瞬間移動】する。
3階の一室であるこの部屋は、通称『【瞬間移動】部屋』と言って、ノティアが【瞬間移動】で現れる為の、それ専用の部屋だ。
そうやって部屋を分けておかないと、いきなり使用人の前に僕らが現れて相手を驚かせてしまったり、最悪『接触事故』が起きるから、そういう措置を取っている。
「いや~、久しぶりの我が家!」
言いながら部屋のドアを開けると、
「町長様ぁ!! お待ちしておりました!!」
目の前に、ミッチェンさんがいた。
泣きそうな顔をしている――いや、泣いている。
「な、何があったんですか!?」
「じ、じ、じ、実は――…」
■ ◆ ■ ◆
「な、なんてこと……」
居間のソファに座りながら、僕は天井を仰ぐ。
――――――――疫病発生。
2日前から難民村で腹痛を訴える人が続出し、昨日からは難民以外からも体調不良者が出ているのだそうだ。
それで、原因は『西の森』に棲みつく魔物たちの瘴気だとか、戦争で無くなった西王国の兵士たちの怨念が難民を祟っているのだとか、そんな根も葉もないウワサで街中で持ちきりらしい。
「…………死者は?」
「幸い、いまのところはゼロです」
「良かった……お師匠様、お願いできますか!?」
「もちろんさね」
もともと旅装だったお師匠様が、マントを羽織り、とんがり帽子をかぶり、そしてマジックバッグから杖を取り出す。
凛々しくも頼もしい、自慢のお師匠様だ。
「ここから出して! 私たちの村に帰るのよぉっ!!」
「こんなところにいたら、呪い殺されちまう!!」
西端の城門は大混乱に陥っていた。
閉じられた門と、それにすがりつく大勢の難民。
そして、必死に門を閉じている警備員の方々。
「門は閉鎖してるんですね」
「……はい。彼らが西王国に戻ったとしたら、きっと反逆罪で処刑されてしまうのでしょう? いまはあのようにして正気を失っているようですが……見捨てるわけにもいきませんよ」
「良い判断だと思いますよ。ということは、東の門も?」
「はい。城塞都市へ逃げようとする難民を、押しとどめております。城塞都市に病魔をバラまかれでもしたら、それこそ領主様にこの場所を取りつぶされてしまいます」
「さすがはミッチェンさん」
「【赤き蛇・神の悪意サマエルが植えし葡萄の蔦・アダムの林檎――万物解析】」
お師匠様が難民たちを魔法で解析して、
「いるね。こりゃ感染症さね……こんだけ体中を侵されてれば、さぞ苦しかろうさ」
「カンセンショウ? まぁいいや、治せますか?」
「儂の【大治癒】だけだと細菌を抑え切れないね」
「サイキン?」
「病魔のことさね」
「あぁ、はい。あ、じゃあ以前、リュシーちゃんのお父さんの毒を【収納】したみたいにやれば――」
「正解だ」
お師匠様が嬉しそうに微笑む。
お師匠様に褒められて、僕は鼻高々だ。
「まず、儂の【万物解析】補助付きの【無制限収納空間】で、彼らの病魔を取り除き、その上で儂が【大治癒】を使えば、すぐに快復するだろう」
「良かった! ――では」
僕は大きく息を吸い込んで、
「難民のみなさん!」
声を張り上げた。
難民の方々が、うつろな表情で振り返る。
「この病は、呪いでも瘴気でもありません! その証拠に、我がお師匠様の治癒魔法によって、あっという間に治療して見せましょう!」
は、恥ずかしい……けどパフォーマンスは大事だ。これも町長の仕事!
「【赤き蛇・神の悪意サマエルが植えし葡萄の蔦・アダムの林檎――万物解析】! 【視覚共有】」
僕は目をつぶり、難民たちの体を蝕むモヤモヤ目がけて、
「【無制限収納空間】!!」
モヤモヤが消えて、
「……尊き生命の息吹とともに・光の神イリスの奇跡をここに示せ――広域大治癒】ッ!!」
温かな治癒の光が、難民の皆さんを包み込む。
「「「「「……………………あれ?」」」」」
呆然となる、難民の方々。
「お、お腹が痛くない……?」
「苦しくなくなった……」
「どうですか、我がお師匠様のお力は!!」
胸を張りつつも、一安心だ。
■ ◆ ■ ◆
東門も、同じようにして鎮圧した。
移動にはノティアの【瞬間移動】があるからスイスイだね。
そうして本丸、難民村に踏み入れてみたのだけれど――。
「ここは呪われた土地なんだよ!!」
「こんな病気だらけの村に住めるわけねぇだろ! さぁ帰った帰った!」
ゴロツキどもが、良からぬウワサを喧伝して回ってる!!
「お前ら、止めろぉ!」
僕が叫びながら村に入ると、
「「「「「ヒッ、く、首狩り族ぅ!?」」」」」
ゴロツキどもが、三々五々と逃げ去っていく。
…………が、唯一逃げなかった奴がいた。
「はははっ、ざまぁねぇな!!」
壮絶な笑みを見せながら、僕を憎々しげに睨みつける少年――…オーギュス。
「ご覧の通り、てめぇがちょっと離れた間に、街は病魔まみれさ!」
「――――……」
「こんな場所に街なんて作るからだ! 何もかもお前の責任だ――クリス」
「――…」
「どうやって責任取るんだ? この疫病が城塞都市にまで及んだら、お前はきっと縛り首だ!」
「…………だったら、治せばいいだろ?」
僕は負けじと、オーギュスを睨み返す。
「お師匠様」
「あいよ――【赤き蛇・神の悪意サマエルが植えし葡萄の蔦・アダムの林檎――万物解析】」
「【無制限収納空間】」
難民村を覆いつくす病魔を、軒並み【収納】した。
続いて、
「……光の神イリスの奇跡をここに示せ――広域大治癒】ッ!!」
お師匠様による、村全体を覆った、広大な範囲に及ぶ【大《エクストラ》治癒】!!
「皆様ぁ!!」
ノティアに【拡声】の魔法をかけてもらい、難民村全土に声を届ける。
「たったいま、わたくし、町長クリスとそのお師匠様アリス様による治癒魔法を村全土にかけました!! 呪いとか瘴気とかいうのはすべてウソです!!」
恐る恐る、といった様子で、各家の中から難民さんたちが出てくる。
「ほら、皆さんもお感じの通り、病はすっかり治りました!!」
できるだけ力強く、僕は叫ぶ。
「大丈夫です! 僕は――町長たるわたくしクリスは、皆さんの生命と財産を守ります!!」
そう、高らかに宣言して。
僕は…………去り行くオーギュスの背を、睨みつけた。
病院を建てた。
建屋はミッチェンさんに適当な空き家を手配してもらって。
お医者さんは、病魔除去担当の僕と、治癒魔法担当のお師匠様とノティアが勤め、看護はシャーロッテと新たに雇った孤児出身者多数が。
次々と運ばれてくる疫病患者の病魔を【収納】し、お師匠様とノティアが治癒魔法で癒していく。
驚いたことに、ノティアは【広域大治癒】が使えず、【大治癒】もまた、お師匠様からの魔力充填がなければ、一日数回で息切れした。
Aランク冒険者の魔法職をして!
……お師匠様がいかにバケモノか、ということなんだろう。
開院当日で『街』の疫病患者はほぼほぼ居なくなり、2日目、3日目も慌ただしく動き回り、そして気がつけば冒険者のけが人が増え、減ったと思ったら城塞都市の病人が増えた。
明らかに、『街』とは無関係の人たちが治療目当てで来てる。
……無償で治癒して回っているんだもの。当然と言えば当然か。
そして城塞都市の病人も治し切ったころから、妙に身なりの良い人たちが増えた。
聞けば全国津々浦々からウワサを聞いて、【瞬間移動】持ちの旅客業冒険者にここまで運んでもらってきた、大店の商人やら貴族様やらだとのこと。
『さすがに金は取るべきさね』
ってお師匠様に言われたから病院や教会の治療費の価格帯をミッチェンさんに教えてもらい、請求するようにした。
それでもなお、次から次へと裕福な病人やらけが人がどんどん来るんだよね。
「【無制限収納空間】! 減りませんねぇ、お師匠様」
「【大治癒】――まぁ、言っちゃなんだがお前さんの【無制限収納空間】と儂の【大治癒】の合わせ技は、どんな病気も瞬く間に治す一級品だからねぇ」
などと治療の傍らぼやいていると、
「何をぐずぐずしておる! 儂の番はまだか!!」
と、裕福そうな商人が待合室から診察室に入ってきた!
「患者様、お待ちください!」
看護服姿の――カワイイ――シャーロッテが制止しようとするも、聞いてくれない。
僕が立ち上がろうとすると、
「どけっ、平民風情が!」
今度は見るからに貴族様と分かる、立派なカツラを被ったふくよかな男性が乱入してきた!
「そこの爺など捨ておいて、さっさと私を診るのだ!」
「はんっ――」
すると今度は、『爺』と罵られた身なりの良い老人――いま僕らが診ている患者さん――が失笑して、
「新興の男爵風情が偉そうに! 由緒正しい子爵家たる私こそが、真っ先に治療を受けるべきであろう!?」
……あぁ、もうぐちゃぐちゃだぞ。
最初に乱入してきた商人っぽい人は部屋の隅で震えてるし。
「おい小僧! さっさと私の治療に移れ!」
「いえ、あの……恐れながら順番は守って頂けますと――」
僕の諫言に、
「何ぃっ!? 無礼討ちにされたいか!?」
男爵様が腰の拳銃に手を伸ばした!!
「あわ、あわわわ……あの、恐れながら患者様、あちらの方を先に治療させて頂いても?」
「なんだと貴様!? あんな小童のことなど無視して私の治療に専念しろ! それとも、不敬罪に問われたいのか?」
「ヒッ……」
ど、どどどどうすれば――…
「あっはっはっ!」
とそのとき、聞き覚えのある声とともに、よくよく見慣れた――丸一週間見続けた顔が入ってきた!
「そこのお前とお前、クリスには手を出さない方がいいぞ? 各界のギルドと、この余――ルキフェル13世を敵に回したくなければな!」
「「へ、陛下ぁ!?」」
泡を食って平伏する貴族様方。
……なんだよ、全然元気なんじゃないか。
「最近、体がだるくてなぁ……」
驚くべきことにちゃんと列に並び直した魔王様が、自分の番になって診察室に入ってきた。
この国で最も偉い人なのだし、さすがに順番抜かしもやむ無しだろうと思ったのだけれど……魔王様は頑として聞かなかった。
曰く『横入りするとアリソンに怒られるから』とのこと。
そう言えば先王アリソン様が冒険者だったころの伝説の中に、順番を守らない冒険者をコテンパンにのすエピソードがあったようななかったような。
「【赤き蛇・神の悪意サマエルが植えし葡萄の蔦・アダムの林檎――万物解析】……クリス。陛下に、単なる偏食が原因だと伝えな」
魔王様の順番だと知ってカーテンの裏に隠れていたお師匠様が、カーテンの隙間からひょこっと顔を出して僕に告げる。
可愛い。めちゃくちゃ可愛いぞ。何だこのお師匠様。
「アリソン~~~~ッ!! 愛しき我が妻! 逢いたかったぞ!」
すかさず魔王様がお師匠様に飛びつこうとして、
「だ・か・ら! 人違いだと言っておりますさね!」
お師匠様が逃げ回りながら反論する。
診察室内ではお静かにしてもらいたい……っていうか走るな!
あと魔王様、全然元気じゃないか……。
「やっぱり偏食が原因でしたか……」
護衛のバフォメット様がため息を吐く。
「ベルゼビュート様の【完全治癒】でも治らなかったので、絶対に偏食が原因だって言ってたんですよ。それこそ先王から陛下への『伝説の申し送り事項一覧』にも、『偏食ダメ絶対。肉野菜、肉肉野菜、肉野菜』ってあるくらいですから。ですが陛下が、アリスさんに調べてもらうと聞かなくて……」
「陛下の症状は、ビタミンB1不足によるものです! こいつを食らいやがってくださいな!」
お師匠様がマジックバッグから皿とレタスとキュウリを取り出し、バリバリとむしってさらに盛り付け塩を振る。
「おお! アリソンの手料理!」
残念な魔王様が、それを美味しそうに食べ始める。
「あっきれた! 一国の王が食べるってのに、毒の確認もしないのかい!?」
驚くお師匠様と、
「あ、やべ……【鑑定】。陛下、毒はございません」
慌てて毒の有無を確認するバフォメット様。
「それはともかく魔王様、次の方をお呼びしたいのですが……」
「おおっ、そうだったな!」
大人しく出て行って下さる魔王様。
ホント、お師匠様に対する言動以外は至極まともなんだよなぁ……。
「次の方~」
シャーロッテに案内されて、次の方――立派な服と立派なカツラを着込み、でっぷりと太ったお貴族様。
見慣れた見慣れた、領主様が入ってきた。
「げ……」
また何か、嫌味でも言われるのだろうか?
――いや。
領主様は青い顔をして、小さな女の子を抱きかかえている。
「娘だ……5つになる」
領主様が、瞳に涙をたっぷり浮かべて、
「金ならいくらでも出す! 娘を助けてくれ――…」
■ ◆ ■ ◆
「【赤き蛇・神の悪意サマエルが植えし葡萄の蔦・アダムの林檎――万物解析】……あぁ、こいつはさぞしんどいだろうねぇ」
ベッドに寝かされ、熱に浮かされている少女を見て、お師匠様が顔をゆがませる。
「白死病……結核さね」
「頼む、冒険者クリスよ! 金なら払う! いままでの非礼を詫びろと言うなら詫びよう! だから――」
領主様が僕にすがりついてくる。
「どうするさね?」
「ど、どうするって――」
「とりあえずいまは最低限死なない程度に治してやって、領主様に『この街を認める』と一筆書かせる為の人質にすることだってできるさね」
「なっ――できませんよそんなこと! 早く【万物解析】を!!」
「はぁ~……お人よしさねぇ。【赤き蛇・神の悪意サマエルが植えし葡萄の蔦・アダムの林檎――万物解析】――【視覚共有】」
僕はお師匠様の視界越しに少女の体内を蝕む病魔を見て、
「【無制限収納空間】!!」
「【大治癒】」
熱に浮かされていた少女の顔が、あっという間に楽なものになった。
「領主様、もうこれで大丈夫ですよ!」
「おぉ、おぉぉぉおおお……ありがとう、ありがとう!!」
領主様が滂沱の涙を流す。
「それであの……できればもう、僕らを召喚するのはおやめ頂けないでしょうか?」
「いままでの非礼については詫びよう! そなたらをむやみやたらに召喚するのも止めると、アリソン様に誓おう。――だが!!」
領主様が僕を睨みつける。
「この場所を容認するわけにはいかん! 私にはこの領を守る使命があるのだ」
「領を守る使命って……僕はこの通り街を広げ、治安を維持し、住民の暮らしを豊かにし、こうしていま、病気まで治して回っています。これのいったい何が問題だって言うんですか?」
貴族というのは、自分より身分の低い者が成功するのが気に食わない……というのはお師匠様の言葉だったか。
自分が成し得なかった西の森近縁の開拓を成功させた僕を認めてしまうのは、領主様のメンツに関わるからだとかなんとか。
「だから! そういう話ではないのだ! そもそもこの地は、でーえむぜっと、でありろぼごぐぐうぐぐ……」
顔を真っ赤にし、ろれつが回らなくなる領主様……。
そして、病人はいなくな――らなかった。
なぜだか再び、難民の中から腹痛で苦しむ人たちが病院に担ぎ込まれるようになった!
「な、何で!?」
小休止のときに、僕は頭を抱える。
「病気の原因がどこかにあるってことさね」
「お師匠様……原因、分かりますか?」
「実は、何となく見当はついているんだ」
「え、そうなんですか!?」
「まず、難民で腹痛や下痢に悩まされてる奴らはみな、『大腸菌』という菌に侵されているんだ」
「ダイチョウキン……? 病魔ですか!?」
「いや、この菌はどんな人間の体内にもいて、本来あるべき場所――腸内にいる間は無害なんだ。が、ひとたびそれを経口摂取してしまうと、腹痛や下痢を起こし、最悪の場合、死に至る。
――ちょうど患者もはけたようだ。見に行こうかね」
■ ◆ ■ ◆
というわけで、久しぶりの村歩き。
ノティアとシャーロッテも当然の顔をしてついて来ている。
「あの川さね」
お師匠様が、北の山から引いてきた本流から、この村の為に分岐させた支流を指して言う。
「水を【収納】して出しな」
「はい――【収納空間】――【収納空間】」
そこそこ距離があったけれど、僕は難なく川の水を遠隔【収納】して、コップに入れた状態で手の上に出現させる。
「【赤き蛇・神の悪意サマエルが植えし葡萄の蔦・アダムの林檎――万物解析】……あぁ、やっぱり。【視覚共有】――見てみな」
見ろと言われたので目を閉じると、お師匠様の司会の先では、コップの中で白いモヤモヤが蠢いている!!
「ひえっ」
「大腸菌さ」
「「「なっ!?」」」
僕、ノティア、シャーロッテの声が重なる。
「えぇぇえッ!? ってことは、誰かがこの川に糞を捨ててるってことですか!?」
「ってことになるねぇ」
「あ、あり得ない!!」
そう、東王国で、糞便を野や川に捨てるなんてことはあり得ないんだ。
東王国では、マジックバッグを設置した椅子型トイレが一般的だ。
用を足す度に若干の魔力が必要にはなるものの、臭いは立たないし虫も寄らない。
で、定期的にマジックバッグを所定の肥溜めに持っていくわけだ。
僕が難民の皆さんに提供した家にも、同じトイレがついているわけだけど……。
「――あっ! まさか難民の人たちって、マジックバッグを起動させるだけの魔力すら持ってないってこと……? いやだからって川に捨てるかなぁ?」
「ま、とにかくいまは、この川から大腸菌を軒並み【収納】しちまえばいい。病気の根源退治さね」
「――はい!!」
■ ◆ ■ ◆
川を綺麗にしてから数日のうちに、病人はすっかりいなくなった。
村長さんに確認したところ、確かにマジックバッグを起動させるだけの魔力も持たない住民は一定数いるそうなのだけれど、そういう家でもちゃんと汲み取り式便所を作り、糞便は村の肥溜めで適切に管理しているとのことだった。
とにかく、くれぐれも川を汚さないように、と強くお願いした。
自分たちで川を汚して病気になって、それで瘴気だ祟りだなんて言われても、困ってしまうよ……。
■ ◆ ■ ◆
「【無制限収納空間】! はい、どうですか?」
「まぁっ! すべすべ! もうクリス君無しじゃ生きていけないよ!」
ムダ毛が【収納】された脚を撫でながら、この街で宿を営む女将さんが笑う。
「あ、あはは……」
病人の数が減っていき、いつの間にかこの病院は『美容院』と呼ばれるようになっていた。
『アリスさんは足の裏が綺麗でうらやましいですわ』
と、ノティアがある日の『魔力養殖』のときに言ったのが、すべての始まりだった。
『足の裏?』
『こう、歩いてるとかかとの皮が厚くなってバキバキになりません?』
『あぁ、角質かい。クリスなら、綺麗に【収納】できるんじゃあないかい?』
そこから始まる、ノティアの『あれも【収納】してほしい』『これも【収納】してほしい』という無限の欲望!
お師匠様の視界越しとは言え、女性の体をまじまじと見なければならないので、正直恥ずかしいのだけれど……ノティアは逆に、僕に見られて喜んでたね……はぁ。
で、その話が使用人組にバレて、そばかすを【収納】してほしいだのほくろを【収納】してほしいだのという話に発展し、何がどういう経路で漏れたのか、この病院に女性客が殺到するようになった。
あとは、『食べ過ぎてお腹が苦しいから胃の中を【収納】してくれ』とかふざけたことをいう大富豪や貴族様ね……。
腹についた贅肉を【収納】してくれっていう依頼は、さすがに怖すぎて手が出せなかったよ。
中には『矢じりが体の奥深くまで刺さって……』みたいな切実なのもあったので、そういうのは最優先で治療したよ、もちろん。
そんなふうにして、平和な日々が続いた。
領主様は約束通り無駄な召喚をしなくなったし、慌ただしいけれど平和な日々だった。
そんな日々がいつまでも続いてくれれば良かったのに…………本当に。
「おい、オーギュス……それはさすがにヤバいぜ」
『街』で俺たちがアジトとして使っている宿の一室で。
目の前に積み上げられた『魔物寄せの香木』を見てびびっちまったのか、冒険者崩れの男が引きつり笑いをする。
「悪ぃが俺は降りさせてもらう」
「お、俺もだ!」
「悪いな、俺も……」
次々と逃げ出していく野郎ども。
ふん……悪党にすらなり切れない、糞どもが。
――――難民村の川に糞を投げ込む策も、上手くいかなかった。
一時は難民村が恐慌に陥り、この『街』から去ろうという意見を醸成することが出来たんだが、クリスのやつが、あの『アリス』とかいう女と一緒にあっという間に街中を治しちまった。
……クリス。
どこまでも俺の邪魔をする、憎い男。
「だいたいお前、こんな量の魔物寄せをいっぺんに使ったら、魔物暴走が起こる。いくら城壁に囲まれてるっつっても……この街が壊滅するぞ」
まだ残っていた最後の男――孤児院時代から連れ立ってた悪党のひとりが、青い顔をして俺に言う。
「だから? それが目的なんだ。何が悪い」
「お前、いいのかよ……そうなったらシャーロッテだって、きっと死んじまう」
「ふん……」
シャーロッテ……孤児院のガキどもの中で、唯一俺の思い通りにならなかった女。
俺はあの孤児院で一番体が大きくて、腕っぷしも強かった。
男も女も、ちょっと脅して殴ってやればすぐ思い通りになった。
……けどシャーロッテだけは、言うことを聞かなかった。
女のくせに、気に食わない。
孤児院の女の中で一番の美人で、気が強く、『次代の母乳調停官』だとか呼ばれて調子に乗っていた。
屈服させたい……と、そう思った。
そしてあの女は、まるで子犬でも可愛がるみたいに、クリスのことを可愛がっていた。
あいつからクリスを取り上げたら、どんな顔するだろう?
泣くだろうか? 怒るだろうか?
俺がクリスをイジメる度に、あいつは堂々と俺に文句を言ってきた。
イジメられるしか能がないクリス、そんなクリスを飼って自己満足にひたるシャーロッテ、そんなふたりが気に食わない俺。
そういう関係が崩れたのは、1ヵ月前。
あの、『アリス』とかいう女冒険者が現れてからだ。
クリスは瞬く間に強くなり、兎の首を狩り、盗賊やオークの首を狩り飛ばすようになった。
俺は薪の納入の件でクリスにハメられて、冒険者ランクを降格させられる憂き目に遭った。
本当に、何もかもが気に食わない。
クリスはクリスだ。
あいつは惨めでなきゃならないんだ。
あいつが笑うなんてことは、あっちゃならない。
「死んだらいいんだ、あんな女」
「付き合ってらんねぇよ……俺も降りる」
そうして俺は、ひとりになった。
■ ◆ ■ ◆
「魔物暴走です!!」
真夜中に血相を変えたミッチェンさんが訪れて、そう言った。
「西の森から魔物たちが湧き出て来て、この街の城壁に殺到しています!!」
「なんてこと――…」
■ ◆ ■ ◆
『街』の西端、難民村は戦場と化していた。
壁を飛び越えることができる鳥系の魔物が入り込んでいて、警備をしていた冒険者たちと交戦している。
「【無制限収納空間】! ――怪我はありませんか!?」
鳥の魔物を【収納】しつつ冒険者に駆け寄る。
相手はCランクのベテラン冒険者ベランジェさんとパーティーメンバー3人だった。
「ああ、大丈夫だ」
「ではベランジェさんたちは難民の避難誘導をお願いします!」
「はっ、すっかり町長気取りじゃねぇか」
「はは……」
軽口を叩きつつも、ベランジェさんは難民村の方へ走っていく。
「ガァァァァァゴォォォオオオオッ!!」
そのとき、壁の向こうで腹に響く咆哮が聞こえ、
ガァァアアアアアンッ!!
と、鉄の壁に何かがぶつかる音が聞こえた。
「【赤き蛇・神の悪意サマエルが植えし葡萄の蔦・アダムの林檎――万物解析】――クリス、マズいさね。壁が保たないかもしれない」
隣でお師匠様が顔を歪める。
「えっ!? 厚さ1メートルの鉄の壁ですよ!?」
「壁の向こうにベヒーモスの成体がいる。あれの突進を何度も受けたら、壁自体が平気でも根元から倒れるさね」
「あああ……」
壁はあくまで地中5メートルにはめ込んでいるだけであり、土中は石畳で舗装しているだけだ。
「【収納】するしかありませんわよ、クリス君!」
隣でノティアが言う。
「壁の上まで飛びましょう――【飛翔】!」
ノティアに、壁の上へと引き上げてもらう。
「【灯火】!」
ノティアが壁の下を明かりで照らし上げる。
「――ヒッ!?」
まるで、『波』のような魔物の群れが、壁の下を埋め尽くしていた!
四足獣の魔物、ゴブリン、オーク、オーガの群れ、そしてその中心にいるのが、
「あ、あれがベヒーモス……」
あらかじめお師匠様に教えられていなければ、それを生き物だとは認識できなかったろう。
まるで岩山のように巨大な、鋭い角を持った四本足の獣――伝説級の魔獣だ。
Aランク冒険者パーティーが束になっても敵わないような強敵。
「さぁ、クリス君!」
「う、うん――…」
僕はベヒーモスへ意識を集中し、丹田から両手の平へ魔力を引き出して、
「【無制限収納空間】!!」
――――バチンッ!!
と、ベヒーモスの周りに白い魔力光が発生した。
そして、【収納】したはずのベヒーモスの姿が、まだそこにある。
こ、この感覚は知っている……風竜のときと同じだ。
「あ、あぁ……抵抗された……ッ!!」
「そんな――…」
「ガァァァァァゴォォォオオオオッ!!」
ベヒーモスによるさらなる突進!!
壁がぐらぐらと揺れ、僕たちは空へと退避する。
……まずい。
まずいまずいまずい!
このままじゃ、壁が倒されてしまう!
こんな数の魔物に侵入されてしまっては、街が壊滅する!!
どうすれば――――……
「ここは俺らに任せな!!」
急に、隣から声がした。
「――えっ!?」
見ると、いつの間にかAランク冒険者の『白牙』フェンリスさんが壁の上に立っている。
そして、
「【飛翔】!」
その隣に、さらにふたり――前衛職っぽい男性と魔法使いっぽい女性が降り立つ。
「あのベヒーモスは俺たちが対処する。だから他の魔物たちは頼んだぜ、町長サン!」
「だ、大丈夫なんですか!?」
フェンリスさんがニカッと笑う。
「誰に向かって言ってんだ? 天下のフェンリス様だぜ! ――行くぞお前ら!」
「おうよ」
「はい!」
フェンリスさんとそのパーティーメンバーが十メートルもある壁の上から飛び降りる!
フェンリスさんはもちろん、他のふたりも悠々と着地する――きっと【闘気】だ。
フェンリスさんが盾をずしんと地面に打ち付け、
「来いやぁあああッ!!」
叫ぶと同時に、ベヒーモスへ強烈な【挑発】――魔力の衝撃をぶつける!
「【赤き蛇・神の悪意サマエルが植えし葡萄の蔦・アダムの林檎――万物解析】――【視覚共有】。クリス、ぼけっとしてないでベヒーモス以外の魔物を【収納】しな!」
隣でお師匠様が言う。
「量が量だ。空間ごと【収納】したら突風が起きかねないから、儂の【万物解析】に従いな」
「はい!」
僕は目を閉じ、
「【無制限収納空間】!!」
果たして城壁に取り付いていた魔物たちがごっそりと姿を消す。
同時に激しい頭痛と丹田の痛み。
けれど、魔物はまだまだ森の中から湧いて出てくる!
「【魔力譲渡】。つらいだろうが、魔物がいなくなるまで【収納】し続けるしかないさね」
壁の下では、フェンリスさんたちのパーティーがベヒーモスと互角以上に戦っている。
フェンリスさんが引きつけ、ベヒーモスの吶喊を盾でかち上げ、空いた首元を剣士の男性が狙う。
魔法使い女性は、回復・支援・攻撃と各種魔法で戦いを有利に進める。
「そら、第二波が来るよ!」
「はい! ――【無制限収納空間】!!」
壁に殺到してくる魔物の群れを再び【収納】。
ゴブリンやオーク、オーガと言った魔物たちは梯子や弓矢と言った道具を使うから、いくら10メートルの城壁があるとは言っても突破されかねない。
だから、一匹残らず【収納】しなければならない。
「第三波だ!」
「はい――…」
長い長い戦いが、始まる。
■ ◆ ■ ◆
十何回――いや、何十回【収納】しただろう?
……どれだけの時間が経っただろうか。
強烈な頭痛で何度も気を失いそうになり、その都度ノティアの【精神安定】で覚醒した。
魔物の波は止まず、取りこぼしが目立つようになり、街の中に入り込む魔物も出てきたけれど、幸いにして冒険者が集まって来て対処してくれているようだった。
フェンリスさんたちもベヒーモスの封じ込めには成功しているけれど、決定打は打てないでいるみたいだ。
「また来たよ……やれるかい?」
お師匠様の声を受け、目を閉じる。
森の中からオオカミ系の魔物が大挙して押し寄せてくる。
「は、はい……あ、【無制限収納空間】――」
頭が痛い!! 割れそうだ――
「【収納】出来ていないよ!?」
そんな――失敗?
「あ、【無制限――…うっ!?」
強烈な吐き気。
「げぇっ……」
出てきたのは、大量の血液だ。
丹田が軋むように痛む。
「【大治癒】!! ――アリスさん、もうさすがにクリス君が限界ですわ!!」
「だったらどうするって言うさね!?」
「おふたりを一度壁の内側に降ろしてから、わたくしが行きます。アリスさんは冒険者ギルドで腕利きを集めてくださいまし」
「……死ぬ気かい?」
「クリス君に死なれるよりはマシですわ。それにわたくしは、本当にいざとなれば【瞬間移動】で戻って来れますし」
「ノ……ティア?」
ノティアが微笑む。
彼女は僕の頭を撫で、
「そんな顔しないで下さしまし。さくっと倒して、戻って参りますわよ」
そんな……ダメだ、ノティア。
「ぼ、僕は大丈夫だから。【無制限――うっ」
……また、吐血。
あぁ、ダメだ……丹田が軋むばかりで、魔力を上手く引き出せない。
でも、ここで僕が頑張らなきゃノティアが死んでしまうかも知れない。
そんなのはダメだ。絶対にダメだ。
壁の下では、オオカミ系魔物の大群が壁に突進をしていて、さらにその向こう、森の中からはさらなる四足獣の魔物たちが出て来つつある。
「あぁ……神様、アリソン様――…」
どうすれば――…
「よくぞここまで耐えた、クリスよ!」
いきなり、真横で声がした。
「あとは余に任せろ」
その声は――
「ま、魔王様!?」
「うむ」
魔王様とバフォメット様が壁の上に立っている。
「任せろって言ったって、こんなたくさんの魔物を――」
「不敬であるぞ?」
魔王様がニヤリと微笑む。
「余を誰と心得る。前魔法神マギノスに産み落とされ、アリソンに育てられたルキフェル13世だぞ? マギノスから与えられた加護――【無制限従魔】の力を見るがいい」
魔王様が、壁の下に向かって手を広げた。
……たった、それだけ。
たったそれだけのことで、すべての魔物がぴたりと動きを止めた!!
ベヒーモスすらも、だ!!
「なっ、え……?」
「陛下の【無制限従魔】は、ありとあらゆる魔物を完全に服従させます。この程度のことは造作もありませんよ」
バフォメット様が解説してくれる。
「余の眷属らよ――済まぬが、死んでくれ」
魔王様が言うや否や、魔物たちが同士討ちを始めた!
互いに噛みつき合い、互いに刺し合って、魔物たちが死んでいく……。
こうして、『街』の危機は去った。
■ ◆ ■ ◆
そのあと、僕は気を失ってしまったらしい。
目が覚めたら自室で、時刻は昼になっていた。
看病してくれていたシャーロッテに、泣いて抱き着かれた。
『ごめんなさい』とシャーロッテは言った。『一緒に戦えなくてごめんなさい』と。
僕はそんなこと、ちっとも気にしていないのに。
――――僕の【無制限収納空間】は、スキルレベルが7に上がっていた。
スキルレベルはスキルに負荷を掛ければかけるほど成長する。
……まぁ、あれだけ大量の魔物を【収納】すれば、ね。
レベル7と言えば聖級。
この僕が、万年落ちこぼれだったこの僕が、『剣聖』だとか『聖級魔法使い』だとかと呼ばれて英雄視される、聖級になるとは、ね。
■ ◆ ■ ◆
…………魔物暴走の原因はすぐに分かった。
壁の外に、香木の燃えかすが大量に残っていた。
森狩り、山狩りのときに極少量使う魔物寄せの香木が。
誰かが意図して燃やしたのは、明らかだった。
そしてそれが誰かなのかを見つける方法があるんだ。
「お師匠様ぁ……お師匠様の【万物解析】でパパっと見つけたりできないんですかぁ?」
僕は居間で、テーブルの上に置いた箱――射影機に顔を突っ込みながらぼやく。
これは、難民村の川に糞を投げ入れる犯人を見つける為に、王都の魔道具店から購入した最先端の録画機の、記録した映像を再生するものだ。
録画機は川だけでなく『街』のあらゆるところに設置していて、誰がどこで悪さをしても、後から追跡できるようにしている。
もちろん、城壁の上にもだ。
「そんな便利な方法があるなら、とっくにやっているさね。いいから黙って映像を確認しな」
お師匠様も僕の隣で別の射影機に顔を突っ込んでいる。
その向かいにはノティアとシャーロッテがいる。
香木が焚かれていた地点に設置されていた録画機の画像を確認しているんだ。
映像の早回し機能はあるのだけれど、それでも地味で地道な作業であることには変わり――
「――あっ!?」
――いた! 人影が、壁の外側で火を焚く姿が映ってる!
犯人は誰なんだ……?
緊張で震える手で、映像を止めるボタンを押し、それからダイヤルを回して犯人の顔を大写しにする。
「あぁ……なんてこと……」
その顔は。
憎き幼馴染、オーギュスだった。
■ ◆ ■ ◆
領主様に、通報した。
領主様は冒険者ギルドにオーギュス捕縛の依頼を出して下さった。
……でも、どうして領軍を動かさないんだろう?
まぁ、そんなことはどうでもいい。
オーギュスからは、聞きださなければならない。
どうしてこんなバカな真似をしたのかを、だ。
「……冒険者オーギュスが、領境の関所で捕まったとのことです」
領主邸の応接室に執事さんが入って来て、僕らに告げた。
「ノティア、【瞬間移動】で連れて来てもらえる?」
「分かりましたわ」
今日のメンバーは、お師匠様とミッチェンさんと僕に加え、ノティアもいる。
ノティアのドレス姿はそれはもう美しくて艶やかだったけれど……正直いまは、見惚れる気にはなれない。
「一緒に来ますの?」
「ごめん……本当に申し訳ないんだけど、ノティアだけで行って来てもらえる?」
「分かりましたわ」
……いまの精神状態では。
オーギュスを見るや否や、首を狩ってしまいかねない。
会うならせめて、領主様の目のあるところで、多少なり冷静になって会いたい。
あいつの、あいつの所為で。
あいつの所為で、僕らは、あの『街』に住む人たちは、死んでしまうかも知れないような目に遭ったんだ。
ノティアになんて、一時は死をも覚悟させてしまった。
■ ◆ ■ ◆
「何でですか、領主様!?」
開口一番、それだった。
両手を縛られ、床に跪いたオーギュスが、醜く喚いた。
僕らがいるのは、『謁見の間』ではなく応接室。
領主様は僕とお師匠様がお嬢様を治療したことをとても感謝しているらしく、僕らを跪かせたりせず、こうしてソファに座らせてくれてる。
「俺はただ、領主様のご命令に従っただけです!」
「なっ――…『街』で魔物暴走を引き起こさせたのが、私の命令によるものだと言うのか!?」
血相を変える領主様。
「だって領主様が、あの街を衰退させろって言うから!」
「「「「!?」」」」
僕、お師匠様、ノティア、そしてミッチェンさんが、一斉に領主様の方を見る。
「そ、それは……確かに、言った」
「えっと、領主様……?」
僕の言葉に、
「冒険者クリス! お前にも再三言っておるだろう! あの場所に勝手に街を作られるわけにはいかない、と!」
「――――……」
言われてる。理由は釈然としないけど。
けど、だからって、領主様の命令でオーギュスが『街』の発展を妨害していたなんて!
「領主様、あんた、手荒な真似も許すって言いましたよね!?」
「あぁ、言った! 確かに言った! が、それはあくまで、ゴロツキを使って街の雰囲気や治安を多少悪くさせる程度のことを考えていた!」
「いまさらそんな――」
「魔物暴走はいくらなんでもやりすぎだ!! だいたい貴様、領外へ逃げようとしていたそうではないか! 自分が許されないことをしているという自覚があったということであろう!?」
「そ、それは――…」
言葉に詰まったオーギュスが、怨嗟に染まった目で僕を睨む。
……なんだよ、この、最低のごみ野郎。
「……とても、庇い切れるものではない。貴様は、処刑だ」
――――え?
オーギュスが、処刑――…