「――――――――アリソンッ!?」

 魔王様の叫びに対して、

「……ひ、人違いじゃあ、ありませんかね……?」

 お師匠様がとんがり帽子を深々と被る。

「人違いなものか!」

 魔王様が椅子から立ち上がり、勢いよくお師匠様に駆け寄って、その両肩をつかむ。

「顔かたち、魔力の色……何もかも数千年前と変わらない! あぁ、アリソン! 本当に、本当に逢いたかった!!」

 そう言ってお師匠様に顔を近づける魔王様。
 え? え? え? これって――

「ひ・と・ち・が・い・です!!」

 お師匠様が魔王様の顔を押しのけて、距離を取る。

「陛下!」

 魔王様に対して乱暴を働いた為か、そばに控えていた審判の人――もとい四天王で『近衛』のバフォメット様が駆け寄って来て、

「こんのバカ陛下! いきなり女性に抱きつく人がありますか!」

 魔王様を羽交い絞めにする。

「「――えっ、そっち!?」」

 すわ不敬罪かと顔を青くしていた僕とノティアから同じ言葉が漏れて、

「すみません皆さん。陛下はその……過去に何度もご自身の記憶を消し去っている所為で、思考がちょっとアレなところがありまして……今日の出来事はご内密にして頂きます。後で口外できないように一筆、【契約書】を書いて頂きますので」

「「え……」」

「こらバフォメット! 離せ!」

「あぁもう、暴れないで下さいよ陛下!」

 暴れる魔王様を抑え込みながらもバフォメット様が、

「あー……でも確かにお嬢さん、アリソン神の像とか、王城に飾ってある先王様の絵に似てますねぇ。陛下は金髪碧眼美女と見れば『アリソン! 我が妻!』って叫ぶところがあるので、これだけ似てれば発作も出ましょう」

「「――――……」」

 言葉を失う僕とノティアと、

「……そうですか」

 衣服の乱れを整え、帽子を深く被りなおすお師匠様。
 お師匠様はささっと短いカーテシーをして、

「それでは、わたくしはこれで」

 足早に、中庭から去っていく。

「あっ、お嬢さん! 【契約書】を――…はぁ、陛下の所為で怖がらせてしまったじゃないですか!」

「あ、あの……わたくしたちはどうすれば?」

 恐る恐るバフォメット様に尋ねると、バフォメット様はうなずいて、

「そうですね……明日の午前9時に、こちらからお伺いさせて頂けますか?」

「は、はぁ」

 というわけで、僕らは泊っている宿を伝えて、その場を辞した。


   ■ ◆ ■ ◆


 翌朝、スイートルームの居間でくつろいでいると、9時の少し前にドアがノックされた。

「はーい」

 出ると、そこには帽子を目深に被った二人組が。
 そして、

「よっ、少年! また会ったな!」

 ひとりが、帽子を取る。
 …………魔王様だった。


   ■ ◆ ■ ◆


「すみませんすみません本当に! 陛下が『一緒に行く』って聞かなくって!」

 平謝りのバフォメット様――二人組の二人目。
 バフォメット様は謝りつつも虚空から4枚の紙を取り出し――何気に無詠唱【収納(アイテム)空間(・ボックス)】だ――、机に広げる。

「昨日はいらっしゃらなかったそちらのお嬢さんにも、申し訳ありませんがサインして頂きますね」

 丁寧な言い回しながらも、その口調は有無を言わせない調子だ。

「え? な、何……?」

 混乱しているシャーロッテにそっと耳打ちする。

「こちらの方が魔王様なんだ」

「え、えぇぇええええッ!? 魔王様!?」

「うん、実は――…」


   ■ ◆ ■ ◆


取引契約(ディール・コントラクト)】という魔法がある。
 上級光魔法で、商取引なんかを行う前にこの魔法が【付与(エンチャント)】された【契約書】に互いにサインするという形で使用される。
【契約書】にサインした者は、【契約書】に記された内容を破ろうとするとひどい頭痛に苛まれ、最終的には死に至る。
 だから【契約書】には、『契約内容が守れそうにない場合はどう補填するか』とか『誰かに脅迫されて契約を反故にせざるを得ない場合にどうするか』といった細かい条項まで詰めるのが普通らしい……と、ミッチェンさんに以前教えてもらった。

 名ばかりとはいえ町長として、諸々の契約を行う必要がある身だからね。

 上級魔法だから誰でも使えるってわけじゃあないけど、大店の商人なんかは商人ギルドにお金を払ってギルド付きの光魔法使いに【契約書】を作ってもらうのだそうだ。
 高い【契約書】代を払ってでも、安全な取引がしたいというわけだね。

「では皆さん、【契約書】の内容をしっかりとお読み頂き、ご納得の上、サインをして下さい――まぁ納得頂けなくてもサインはさせますが」

 内容は、『魔王様が自ら記憶を消去した』、『その所為で、先王アリソン様に似た女性を見ると精神が不安定になる』ということを絶対に口外しない、というもの。
 つまり、『言いふらそうとしたら死ぬぞ』という【契約】だ。
 ……まぁ、国家の恥部を隠す為の処置だ。怖いけど、仕方ないのだろう。
【契約書】にサインをすると、紙がぱぁっと光り輝き、数秒ほどで光は収まった。
 お師匠様にノティア、そしてシャーロッテもサインをする。

「ありがとうございました」

 バフォメット様が頭を下げる。
 四天王といえば魔王様の次に偉いはずの方なのに、腰が低いことだと思う。

「対価というわけではありませんが、各種ギルドや各領地貴族たちに、あなた方を不当に扱わないよう通達しておきましょう。まぁもっとも……ノティア・ド・ラ・パーヤネン公女殿下は不要でしょうけれど」

「ふふ、そうですわね」

 ノティアが淑やかに微笑む。
 なんというか、いつもの粗野な感じが入った冒険者っぽい笑顔じゃなくて、深窓の令嬢っぽい微笑。
 こんな顔もできるんだなぁ……。

「終わったか!? 終わったな!?」

 居間の上座では、魔王様が何やらうずうずした様子で座っている。

「よしアリソン、いまからデートに行くぞ! そなたら――クリスにノティア、あとそこの娘も一緒に来るがよい! 余が自ら、王都観光ツアーの案内人となろう!」

「「「「「えぇぇえええええええッ!?」」」」」

 仰天するお師匠様、ノティア、シャーロッテ、僕と、そしてバフォメット様……。