最弱スキル【収納】しか使えず通算100パーティーから追放された無能な僕が、王様になるまでに受けた86のレッスン

 全裸になった。
 恥ずかしいので、さすがに前はタオルで隠す。
 浴室の引き戸に手をかけ、戸を開く。

 ……ガラガラガラ

 思ったより大きな音が鳴って、あたしは泣きたくなる。
 き、緊張する……けど、さっきだって夜道でいい雰囲気になったんだもの。
 きっと大丈夫!

「く、くくくクリス! せ、背中を流してあげるわ!!」

「ってぅぇぇえええええッ!? シャーロッテ!?」

 クリスが飛び上がる。
 クリスは大慌てで湯船の端まで逃げていき、あたしに背を向けて、

「ど、どどどどうしたの!?」

「だ、だから背中を!」

「か、体ならもう洗ったよ!」

「そ、そう!? とにかくあたしも一緒に入るから!」

「えええっ!?」

 あたしが体を洗って湯船につかるまでの間、クリスは湯船の端っこで縮こまっていた。
 こういう臆病なところはちっとも変っていない……ちょっと安心する。
 あたしは湯船につかり、するするとクリスのそばまで寄っていく。

「ねぇ、クリス」

「ひゃ、ひゃい!?」

「ぷっくく……」

 クリスの慌てぶりがひどすぎて、思わず笑ってしまった。

「そんなに緊張しなくても。昔はよく一緒に入ったじゃない」

「いつの話だよ!?」

「オーギュスに泥をぶつけられて、泣いているあなたをよくお風呂に入れてあげてた」

「だから、いつの話だってば!」

「大きくなったよね」

「そう?」

「特に、この半月くらいでさ」

「――…全部、お師匠様のおかげだよ」

「ねぇクリス」

「うん?」

「あたしのこと、好き?」

「――――……」

「あたしはあなたのこと、好きよ」

 心臓は痛いほどに鼓動している。
 けれどもその言葉は、するりと口から出てきた。

「ずっとずぅっと十年以上……あなたのことを弟みたく思ってたけれど、いつかたくましい男性に生まれ変わってくれるって信じて、待ってた。そしてこうして、たくましくなってくれた。でも、あたしは……あなたのことをちゃんと最後まで待ってあげられなかったのも、事実」

 いくら店長に言われたからと言っても、あたしはあの日、パーティーを追い出され、お腹を空かせて絶望しているクリスを……追い返した。
 クリスが一番優しくしてほしがっているそのときに、冷たく跳ねのけてしまった。
 きっとたぶん、クリスがたったひとりで西の森に入って、魔物に殺されそうになったのは、あたしの所為。
 肝心の時に優しくしてあげられなくて、こうしてクリスが魔法の力やお金を手に入れてからすり寄るなんて、あたしだってノティアさんと変わらないじゃないか。
 ……でも、諦めきれない。
 十年の重みが、あたしをそうさせる。

「あたしは、あの日、猫々(マオマオ)亭であなたを追い返してしまった……そのことであなたを深く傷つけ、あなたに失望させてしまったんじゃないかって、それを怖く思ってる。でも、もしも許してくれるのなら――」

「そ、そんなの全然、気にしてない!」

 クリスが勢いよく振り向いた。

「シャーロッテはシャーロッテだ! 十年以上、僕はずっとずぅっとシャーロッテのことだけを見てきた! 僕は、シャーロッテのことが、す、す、す――」

「言わせませんわぁ~~~~ッ!!」

 バァアアアン!!

 と、浴室の戸が勢いよく開かれ、全裸のノティアさんが飛び込んできた!!

「「うわぁぁあああ!?」」

 ふたりして仰天する。

「ひ、ひえぇ~っ!!」

 クリスが逃げ出そうとするも、

「逃がしませんわ!」

 ノティアさんが戸の前に立ちはだかる。
 遠目にも、まるで凶器のように大きなバストと、冒険者らしく引き締まったお腹や四肢が見える。
 な、なんて美しい……正直、十年の重み以外であたしがあの人に勝てる要素がまったく見つからない。

「あ、あわ、あわわ……」

 そしてすっかり動転してしまっているクリスは、全裸のノティアさんに胸を押し付けられて、

「…………きゅぅ」

 ――――鼻血を噴き出しながら、気絶した。


   ■ ◆ ■ ◆


「なんてこと……鼻血出して気絶とか、クリス君は話を有耶無耶にさせる天才ですわね」

 居間のソファでクリスに膝枕をしながら、ノティアさんが言う。
 本当はあたしが膝枕したかったんだけど、ノティアさんから『クリス君と一緒に湯船にまで入った罪』を言い渡され、クリスのことを渡してくれなかった。
『一緒にお風呂に入った罪』ならノティアさんも同罪だって言い逃れできるのに、『湯船』と指定してくるところが細かいというか賢いというか……。

 そして、当のクリスは未だに気絶している。
 ……こいつのことを『たくましい男性』だと言うのは、まだ時期尚早なのかも知れない。

「あのっ、ノティアさん」

「何ですの?」

「あたし、こいつと結婚したいです。こう言っちゃ何ですけど、あたしはずっとずぅっと十年以上も、こいつのことを守ってきました。あたしにはそれを望む資格があると思ってます」

「ふぅん……?」

「でもあたしみたいなただの女が、ノティアさんには到底敵わないってのもまた、分かってます」

「――――……」

「だから、側室でもいいから、こいつと結婚させてもらえませんか?」

「十年、十年ですかぁ……シャーロッテちゃんが居なければ、クリス君はとっくの昔に死んでしまっていた可能性もあるわけなんですのよね……つまりわたくしがクリス君と出会えたのは、シャーロッテちゃんのおかげ、か」

 ノティアさんは深い深いため息をついて、それから、

「分かりましたわ。それで手を打ちましょう」

「や、やった……ッ!!」

「あっはっはっ」

 居間で執筆していたアリスさんが笑う。

「こいつ、気ぃ失ってる間に嫁がふたりも出来ちまったのかい!」

 こうしてあたしとノティアさんは、終戦同盟を結ぶこととなった。
 同時に、あたしたち以外の女をクリスに近づけさせないという、軍事同盟も……。
 カランカランカラン……

 懐かしの、城塞都市の冒険者ギルドホールに入る。
 中でたむろしている冒険者たちの視線が僕とお師匠様とノティアに一斉に集まって、

「ヒッ……」

 思わず小さな悲鳴を上げる僕と、

「「「「「ヒッ……」」」」」

 同じく悲鳴を上げる冒険者たち。

「く、首狩り族だ……」

「オークの集団を集落ごと【収納】したって聞いたぜ……」

「西の森の『街』を、たった一日で城壁で囲んじまったそうじゃねぇか……しかも鉄の壁で!」

「鉄ぅ!? 鉄生成っつったらお前、聖級土魔法……」

 僕を見てヒソヒソと話してる。
 ……いやぁ、僕もすっかり恐怖の対象になっちゃったなぁ。

「壁神様、ありがたやありがたや~」

 そして、僕を拝んでいる層も一定数。
 あれかな、商人やりつつ冒険者もやってる人たちだろうか。

「く、クリス様! 本日はどのようなご用件で!?」

 受付の列に並ぼうとすると、奥からギルド職員が飛び出してきた。

「あ、えっと……警備員増強の為に依頼を出したくって」

「ただちに手配させて頂きます! ささ、こちらへ――」

 順番抜かしみたいで気が引けるんだけど……。

「ほら、さっさと歩く! お前さんがいたら、みんながびびっちまって仕事にならないんだろうさ」

 見れば、僕の前に並んでいた若気冒険者が、青い顔して震えながら、

「じゅ、順番譲りますから……どうか首は狩らないで!」

「か、狩らないよ!」

「ひぃっ」


   ■ ◆ ■ ◆


「クリス! お前さん、これに出な!」

 依頼発行の手続きを終えると、その間ずっと掲示板を眺めていたお師匠様が声をかけてきた。

「なんです?」

 掲示板に張られている紙を見てみると、

「第23回、王都飛翔レースぅ?」

 1週間後に開催される、魔法を使った競走大会の参加者募集の案内だった。

「いやいやお師匠様、僕、飛翔魔法なんて使えないんですけど。っていうか何が目的なんです?」

「これさね」

「なになに……優勝賞品、先王アリソンの……秘宝たる……海神蛇(リヴァイアサン)の魔石! アリソン様直々の魔力充填済の品!?」

「すごいだろう?」

 魔石とは、魔物の丹田に位置するところに存在する石のこと。
 魔物の魔力が込められていて、それを魔道具の原動力に使ったり、魔力の減った魔法使いが【吸魔(マナ・ドレイン)】で吸って魔力を回復させるのに使ったりする。
 魔力が空になった魔石へは、【魔力譲渡(マナ・トランスファー)】で再び魔力を充填することもできる。
 伝説の魔獣たる海神蛇(リヴァイアサン)の魔石ともなれば、さぞかし大きく、高品質なのだろう……それも、アリソン様ご自身の魔力が充填されてるなんて!?

「す、すごいですね……いやでも、こんなの仮に手に入れられたとして、何に使うんです?」

「お前さんに持たせるのさ」

「僕に持たせてどうするんですか?」

「そりゃ、魔力が枯渇したときの保険さね」

「お師匠様がいるじゃないですか。いつもみたく【魔力譲渡(マナ・トランスファー)】してくれれば」

「はぁ~……儂ゃお前さんの母ちゃんじゃないんだよ? 四六時中儂が一緒に居るとは限らないだろうに」

「――――……」

 ――それは、そうだ。
 お師匠様は僕のお師匠様だけれど、別に僕の親でも保護者でもないし、僕に良くしてくれるのは、あくまで僕の【無制限(アンリミテッド)収納(・アイテム)空間(・ボックス)】を使って、お師匠様の目的――その目的が何なのかは未だに教えてもらえていないけれど――を達成する為だ。
 それはつまり、お師匠様が目的を達成した後は、僕の前から姿を消してしまうという可能性があるわけで。

 ……うぅ、急に心細くなってきた。

「……で、でも、急にいなくなったりしないでくださいね?」

「ったく、捨てられた子猫じゃあるまいし……男ならしゃきっとしな、しゃきっと!」

「は、はいぃ……あれ? でも僕、【吸魔(マナ・ドレイン)】使えません。いくら魔力充填済の魔石があっても、魔力吸えないんじゃ意味がないのでは……」

「そこはまぁ、ノティアやシャーロッテにやらせりゃいいだろうさ。魔石から【吸魔(マナ・ドレイン)】で魔力を吸って、【魔力譲渡(マナ・トランスファー)】でお前さんに充填するというわけさね」

「な、なるほど……」

 ということはつまり、シャーロッテかノティアのどちらかは最低限、僕のそばに居なきゃならないわけだ。
 なんか昨日のお風呂事件からこっち、シャーロッテとノティアの僕に対する距離感が、妙に近いんだよね……いや、妙でも何でもないか。何しろふたりの、は、は、は、裸……を、見ちゃったわけだし。

「うふふ……」

 ノティアが怪しく笑いながら、腕を絡めてくる。

「ちょちょちょっ、ノティア」

「ったく、このバカ弟子が……ほら、さっさと戻って特訓するよ」

「は、はい!」

 ということで、冒険者ギルド経由で大会への参加を申し込み、ノティアの【瞬間移動(テレポート)】で『街』の郊外へと飛んだ。
「【西風神ゼフュロスよ・春と生命の司よ】」
「【西風神ゼフュロスよ・春と生命の司よ】」

「【我を暖かな風で風で包み込み・その身を浮かび上がらせよ】」
「【我を暖かな風で風で包み込み・その身を浮かび上がらせよ】」

「「――【浮遊(フロート)】ッ!」」

 西の森からほどよく離れた草原で。
 ふたりして詠唱したにも関わらず、ノティアの体だけが、ふわりと浮き上がる。
 ノティアはローブの裾を押さえながらふわふわ浮き上がり、空を泳ぐようなしぐさで、僕の周りを漂う。

「【飛翔(レビテーション)】の前提となる魔法で、初級風魔法なんですけれどねぇ……」

「分かってたことさね。やはりこいつには、【無制限(アンリミテッド)収納(・アイテム)空間(・ボックス)】以外の才能は無い。ゼロだ」

「分かってたならなんでやらせたんですかぁ!」

 女性陣からの心無い罵倒に抗議するも、

「うふふ、泣き顔クリス君可愛い」

 うっとり顔で僕を見つめるノティアと、

「はんっ、大の男がめそめそと」

 ため息を吐くお師匠様。
 ……まるで取り合ってもらえない。

「だが、お前さんには【無制限(アンリミテッド)収納(・アイテム)空間(・ボックス)】がある。ほれ、いっちょ空を【収納】してみな」

「はぁ? 空を、【収納】!?」

「そうさねぇ……【赤き蛇・神の悪意サマエルが植えし葡萄の蔦・アダムの林檎――万物解析(アナライズ)】、【視覚共有(シンクロナイズド・アイ)】」

 いつものやつが始まったので、僕は目を閉じる。
 すると、お師匠様の視界の先で、僕らの上空で数十メートル四方くらい? の空間が薄っすら白く輝いている。

「ほれ、【収納】してみな」

「は、はい……【無制限(アンリミテッド)収納(・アイテム)空間(・ボックス)】!」

 途端、僕らの体が引っ張られるようにして舞い上がり、空に放り出される!!

「「「うわぁぁあぁあああああぁぁああああ!?」」」

「悪いノティア、頼むさね!」

「なんでアリスさんまで驚いてますの! まったく――【飛翔(レビテーション)】」

 空高く放り上げられた僕とお師匠様を、ノティアが器用に拾い上げ、ゆっくりと地面に降ろしてくれる。
 ――あぁ、怖かった!!

「な、ななななんてことさせるんですかお師匠様!!」

「あははっ、悪い悪い! けど【収納(アイテム)空間(・ボックス)】で空を飛べただろう? 空気を【収納】することで真空空間を作り出し、そこに集まる空気に、体を引っ張り上げてもらうんだよ。この前お前さんが海水を一気に【収納】したときに津波が出来たのと同じようなものさね」

「な、なるほど……ってぇ、いやいやいやこんなの使い物になりませんって! もし仮に使いこなせたとしても、周囲が大迷惑するでしょう!?」

 飛翔『レース』というからには周りに競走相手がいるわけで、その人たちを巻き込んでしまう。

「ふむ……そう言えばそうさねぇ」

「そうさねぇじゃなくって!! もう大会には申し込んじゃったんですよ!?」

「安心おし」

 お師匠様がニヤリと微笑む。

「奥の手がある」

 …………嫌な予感しかしないのだけれど。


   ■ ◆ ■ ◆


 平和のうちに、数日が過ぎた。
 ……いやまぁ、相変わらず『街』は治安が悪いし、西の森には魔物や盗賊が出てくるから僕、お師匠様、ノティアの3人で出撃なんかも度々したけれど。
 正直僕はもう、僕単体でも盗賊やオーク、オーガ上位種なんかが相手でも軽々と首を狩れるようになった。思えば強くなったものだよ。
 とは言えちょっと油断した途端、ゴブリンが飛ばしてきた弓に手足を射抜かれたりして、その度にベソをかきながらお師匠様に治癒してもらった。
 僕は弱い。僕の強さはお師匠様とノティアのサポートがあったればこそだ。
 慢心してはいけないのだ。


   ■ ◆ ■ ◆


「こ、これが王都……ッ!!」

「の、城門だけどね」

 初めての王都に驚くシャーロッテに答える。
 僕はまぁ、移築の為の家をもらい受けに、ノティアと一緒に何度も来ているから。
 僕らがいまいるのは、王都の城門の外――入城待ちの行列の中だ。
 メンバーは、お師匠様、ノティア、シャーロッテとそして僕。
 使用人組はお留守番というかまぁ普通に屋敷の維持管理のお仕事だね。
 行列がどんどんはけていき、やがて僕らの番になる。

「身分を証明するものを」

 と衛兵さんに言われたので、ノティアがAランク冒険者のカードをかざして見せる。

「あ、あわわAランク冒険者様――というか『不得手知らず(オールマイティー)』様! どうぞどうぞお通りくださいませ!」

 ノティアと一緒に何度も王都に来たけれど、毎回こんな感じ。
 ノティアの冒険者証があれば、同行者もノーチェックで通してもらえる。


   ■ ◆ ■ ◆


「わぁ! ここが王都一のスイートルーム!? ってぇ……」

 高級宿の部屋に入ったシャーロッテが、急に落ち着く。

「クリスの家と大差ないわね」

「うん……確かに」

 ……ミッチェンさん、いったいぜんたいどれほど高級な屋敷を僕にくれたんだ?

 まぁいいや。
 明日はいよいよ、レース大会当日。
「ここがゴール地点さね」

 今日・明日と一般公開されている王城の中庭で、アリソン神を(かたど)った巨大な石像を見上げる。
 晴天の昼下がり、中庭には明日の出場者や関係者なのか、はたまた単なる観光客なのか、多数の人たちでごった返していた。
 さすがは王都――ツノ持ち魔族が多く、エルフ族、ドワーフ族、獣族も多い。
 それにしても、孤児院兼教会の礼拝堂で見上げるたびに思っていたのだけれど、

「お師匠様とアリソン神様ってなんか似てません?」

「ん?」

 隣に立つお師匠様が体をくねらせて何やらセクシーなポーズを取る。

「あははっ、そりゃあ儂は絶世の美女だからねぇ!」

「じ、自分で言うんですか……まぁ実際そうですが」

「なんの! 負けられませんわ!」

 隣ではノティアもセクシーなポーズ。
 さらにその隣では、己を捨てきれないらしいシャーロッテが、引きつり笑いをしている。

「しっかし……」

 ポーズを止めたお師匠様がやおらため息をついて、

「いくらお祭りだからって王城を一般開放するなんて、脳みそお花畑かい」

「ちょちょちょお師匠様!」

 僕は慌ててお師匠様の口をふさぐ。

「こら、淑女の唇に触るんじゃあないよ」

 が、僕の手はあっさりと引っぺがされる。
 お師匠様は僕より腕力あるから。

「だってお師匠様がとんでもないこと言うから!」

「事実さね」

「事実だからって、言っていいことと悪いことがあるでしょう! 僕は不敬罪で処刑なんてされたくないですからね!?」

「うるさい弟子だねぇまったく。ほら、ここに仕込んでおきな」

「あ、はいそうでした――【無制限(アンリミテッド)収納(・アイテム)空間(・ボックス)】!!」


   ■ ◆ ■ ◆


 そうしてその日は高級宿の料理に舌鼓を打ち――
 翌日の昼下がり、ついに大会の開催とあいなった。


   ■ ◆ ■ ◆


「ようこそお集まり下さいました!! 司会は四天王がひとり、わたくしリヴィエラ・ド・ラ・レヴィアタンが勤めさせていただきまぁっす!!」

 王都の城門前、レースのスタート地点上空に浮遊するツノ持ち魔族の女性――四天王を名乗る方が、【拡声(スピーカー)】の魔法で選手や観客に声を届ける。
 四天王と言えば、魔王国において魔王様の次に強い4人の魔法使い!
 そんな四天王が直々に司会をするとは!

「野郎どもぉッ!! アリソン様が残した、海神蛇(リヴァイアサン)の魔石が欲しいかぁッ!?」

「「「「「うぉぉぉおおおおおッ!!」」」」」

 スタート地点に集まる選手たち――老若男女様々な人たちの(とき)の声が大地を震わせる。
 箒に(またが)っている人、二輪車のような魔道具に乗っている人、自身の【飛翔(レビテーション)】のみで挑もうとしている人――様々だ。
 やっぱり魔力に自信アリの人たちが多いのか、魔力が【闘気(ウェアラブル・マナ)】となって大気を震わせる……怖い。

『こら、ビビるんじゃあないよ!』

「ふぁ!?」

 いきなり、お師匠様の声がした。

『城壁の上さね』

 見れば城壁の上の観客席から、お師匠様とシャーロッテ、ノティアが手を振っている。
 いまのはお師匠様の【念話(テレパシー)】か……びっくりした。

『お前さんはただ、落ち着いて、儂が教えた通りにやればいい』

『はい!』

「アリソン様が直々に残した魔力に触れたいかぁッ!?」

「「「「「うぉぉぉおおおおおッ!!」」」」」

「魔王様から直接、魔石を手渡されたいかぁッ!?」

「「「「「うぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおッ!!」」」」」

 選手たちの声がひときわ高まる。
 僕ら魔族というのは、すべからく魔王様に【従魔(テイム)】されている。
 だからなのか、みんな――僕も含めて――魔王様のことが大好きなんだよね。

「それでは最後に、改めてルールのおさらいだぁ!」

 もちろん僕は選手登録のときにルールを教えてもらったし、観客たちが手にしているパンフレットにもそれは記載されているけれど、まぁお約束か何かなんだろう。

「ルールは3つ!
 ひとぉつ! 誰よりも速くゴール――王城中央広場の魔法神アリソン像にタッチすること!
 ふたぁつ! 【瞬間移動(テレポート)】を使わないこと! もとよりコース上には【瞬間移動(テレポート)】の発動を阻害する結界が張られておりますので悪しからず!
 みぃっつ! 他選手への妨害をしないこと!
 それでは、よ~い……」

 司会者さんがマジックバッグから取り出した旗を大きく振りかぶり、

「スタートぉッ!!」

 振り下ろした!

 選手たちが一斉に空に舞い上がり、王城目がけて飛んでいく!
 そして僕はと言えば、

「お~っとぉ!? まだ飛び上がってすらいないノロマな選手がひとり!」

 司会の声。
 ……そう、僕のことだ。
 僕はお師匠様から授けられた『奥の手』を実行する為、意識を集中し、丹田から引きずり出した魔力を、目の前に展開する。

「【無制限(アンリミテッド)収納(・アイテム)空間(・ボックス)】!」

 目の前に発生するのは、暗く深い空間――僕の【収納(アイテム)空間(・ボックス)】への入口。

「えいっ!」

 僕はその中に飛び込む!


   ■ ◆ ■ ◆


「――――――――はっ!?」

 気がつくと、目の前に魔法神アリソン様の石像!

「タッチ!」

 僕は石像の足に触れる。

「え? え? え? はぁッ!?」

 石像の隣でぼーっとしていた審判さんが慌てて僕と、僕の手を見て、

「ご、ゴォ~~~~ルッ!?!?」

 かくして僕は一位になった。
「ご、ゴォ~~~~ルッ!?!?」

 と言いつつも、審判の男性が怪訝そうな顔をして、

「い、いやキミ、【瞬間移動(テレポート)】と使ったのではあるまいね?」

 それから手元の腕輪――魔道具かな?――を見て、

「【瞬間移動(テレポート)】結界は正常に動作している……もしや結界をすり抜ける不正な魔道具か何かを? ――キミ、悪いが身体検査をさせてもらいたい。一緒に来てもらえるかな?」

 言いつつ審判さんが僕の腕をがしっとつかむ。

「えっ、ちょっと待って下さ――」





「その必要はないぞ!」





 声がした――頭上から。

「さっきから見ていたが――その少年が使ったのは【収納(アイテム)空間(・ボックス)】だ。それも、【無制限(アンリミテッド)収納(・アイテム)空間(・ボックス)】の方だな」

 見上げると、そこには年若い男性――少年と言ってもいいような人が立っていた。
 アリソン神像の肩の上に!

「あらかじめこの場所に【収納(アイテム)空間(・ボックス)】の【収納】口をひとつ展開させつつ隠ぺいしておき、【収納(アイテム)空間(・ボックス)】内の時間停止機能を切って、スタート地点に展開させた別の【収納】口に自ら飛び込んだというわけだ。複数の【収納】口を発生・維持させつつ【収納】口を直結させる、か……それだけ器用なことができるということは、スキルレベル4以上はあるな!」

 男性が解説してくれた通りで、僕が使ったのは【瞬間移動(テレポート)】ではなく【無制限(アンリミテッド)収納(・アイテム)空間(・ボックス)】だ。
 昨日、お師匠様たちと一緒に来たときに、【収納】口をここに展開しておいたんだよね。
【収納】口は普通、黒い空間として目に見えるものなんだけど、お師匠様に『隠しな』って言われて、『隠れろ!』って念じたら目に見えなくなったよ。
無制限(アンリミテッド)収納(・アイテム)空間(・ボックス)】――ホント何でもありだね。
 昔はそんなことできなかったから、スキルレベルが上がったことによるものなんだろう。
【収納】口同士を繋げるのは、これもお師匠様からやり方を教えてもらったのだけれど、だいぶ前からよく使ってる手だ。
 道や川を作るとき、ノティアの炎魔法で広範囲を焼き入れするときなんかに、ノティアに【収納】口目がけて魔法を放ってもらい、それを道や川一面に伝播させるのに使ったりしてる。

「ちょっ、陛下! ダメじゃないですかまた勝手に外に出て!」

 顔見知りらしい審判さんが、男性を叱る。

「悪い悪い」

 男性が飛び降りてきた。
 無詠唱の浮遊魔法だろうか、音もなく着地する。

「【無制限(アンリミテッド)収納(・アイテム)空間(・ボックス)】か。良い加護(エクストラ・スキル)を持って生まれたな、少年!」

 言って、男性が無邪気な笑みを浮かべながら僕の肩を叩いてくる。

「は、はぁ……ありがとうございます」

 背丈は僕より若干高いくらいか?
 長いストレートの黒髪に、吸い込まれそうなほど綺麗な、赤く輝く瞳。
 男装だから男性だと思ったけれど、顔立ちはとても中性的で美しい。
 そしてこの男性は、貴族のような――見慣れている領主様よりもゴテゴテした感じの無い、洗練された上質な衣装に身を包み、立派なマントと王冠を身に着けている。

 ……………………え、王冠?

「ちょちょちょ! いくら国民が相手とは言っても、もう少し距離を保ってください!」

 審判の男性が慌てる。

「なぜだ、バフォメット?」

「なぜって警備上の問題でしょう!」

「他ならぬ近衛のそなたがこんなところで審判をしているというのに」

「こうなることを見越して、ゴールの真ん前で見張ることにしたんですよ! そしたらレヴィアタンのバカに審判の役を押し付けられて!」

「その割にはぼさっとしておったではないか」

「だって開始後1分もしないでゴールする者が現れるなんて思わないでしょう!? っていうかいつから居たんですか! 気配消してまで!」

「安心しろ、余に敵う者などおらぬよ」

「かも知れませんが、警護を怠ったことがバレたら、あとで私が怒られるんです! ベルゼビュート様に!」

「ふむ。つまりお前は、余の身の安全ではなく、お前自身の身の安全を憂いているというわけか。薄情な近衛もいたものだなぁ」

「う、うぐぐぐぐぐ……でも陛下が元凶じゃないですかぁ!」

 何やら男性と審判さんの間で言い争っている。

「あ、あのぉ……?」

 声をかけてみると、

「おお、すまんすまん!」

 男性が笑いかけてきた。

「とにかく少年、キミが今日のレースの覇者だ! 余が保証してやろう――この、ルキフェル13世がな!」

「…………え?」

 ルキフェル13世って――――……

「ま、ま、ま、魔王様ぁ~~~~ッ!?」
「というわけで優勝は、開始49秒でゴールしたこの少年! 【無制限(アンリミテッド)収納(・アイテム)空間(・ボックス)】使いの冒険者クリスぅ~!!」

 小一時間後、王城の中庭に設置された舞台上にて。
 参加者や観客に見つめられながら、僕は司会で四天王のレヴィアタン様に紹介される。

「拍手!!」

 レヴィアタン様の合図にしかし、

 …………ぱちぱちぱちぱち

 拍手はまばらだ。
 それどころか、

「「「「「ブーブー!」」」」」

 選手の中からブーイングが!

「納得いかねぇ!」

「そーだそーだ! 【瞬間移動(テレポート)】じゃねぇっつっても実質【瞬間移動(テレポート)】みてぇなもんじゃねぇか!」

「まぁまぁ諸君!」

 と、ここでいきなり目の前に魔王様が現れた!
 魔王様が舞台下の観客たちに向かって腕を広げ、

「余が――このルキフェル13世が認めたのだ!」

「「「「「ま、魔王様!?」」」」」

 観客が仰天する。

「とは言え中には納得しかねる者もいるだろう。クリスよ、そなたの【無制限(アンリミテッド)収納(・アイテム)空間(・ボックス)】で、実力を見せてやってはくれないか?」

「じ、実力ですか……? か、かしこまりました。では陛下、少しお離れ下さい。――【収納(アイテム)空間(・ボックス)】」

 僕は舞台の上に、一本の木を横倒しに出現させる。
 森狩りで魔物やら盗賊やらを【収納】するときに、周囲の木々を一緒に【収納】しちゃうんだよね。

「「「「「なっ……」」」」」

 ビビる観客と、

「いや、あのくらいの容量なら、大したことない――」

 反発する選手の方。

「いまから、この木を薪にします!」

「「「「「薪……?」」」」」

「【収納(アイテム)空間(・ボックス)】!」

 葉と枝を収納し、まずは木を丸太にする。
 次に、

「ん~……【無制限(アンリミテッド)収納(・アイテム)空間(・ボックス)】!」

 丸太の中に薪状の切れ込みをイメージし、【収納】する。
 続いて、

「【無制限(アンリミテッド)収納(・アイテム)空間(・ボックス)】!」

 無事、均等な長さ・幅に切り出すことができた薪の山を、舞台上に出現させる。

「「「「「ぅぉおおおおおッ!?」」」」」

 驚いてくれる選手の方々と観客の皆様。

「【無制限(アンリミテッド)収納(・アイテム)空間(・ボックス)】」

 薪を収納し、

「あとは――…お~いノティア!」

「はいは~い」

 観客の中からノティアが手を上げる。

「え、ノティア……?」

「Aランク冒険者の!?」

「『不得手知らず(オールマイティー)』が来てるのか!?」

 驚いている観客は置いておいて、

「結界をお願い!」

「はいはい――【物理防護結界(マテリアル・バリア)】」

 ノティアが僕以外――観客と選手、魔王様、レヴィアタン様を結界で取り囲む。

「いまから【収納(アイテム)空間(・ボックス)】で空を飛びます」

 言いながら空を見上げ、必要十分量の大気を見極め、

「【無制限(アンリミテッド)収納(・アイテム)空間(・ボックス)】!!」

 大気を【収納】する。
 唯一結界に守られていない僕の体が、空に引っ張り上げられる。
 僕は空高く舞い上がり、ちょうど自由落下が始まるくらいになってから、

「【無制限(アンリミテッド)収納(・アイテム)空間(・ボックス)】!」

 足元に【収納】口を発生させ、その中に飛び込む。
 そして、同時に舞台上に発生させた【収納】口から出てきて、何とかかんとか無事、着地する。

 ……あぁ、怖かった!

『こんなの反則だ!』って言われた場合に備えて、練習してたんだよね。
 けどこの技はあくまでノティアの結界によるサポートがなければ周囲が大惨事になるから、本レースでは使えないんだけれど。

「このようにして、空を飛ぶことも一応、できます」

「「「「「お~~~~ッ!!」」」」」

 盛り上がる観衆の皆さん。
 ……良かった。ウケてるようだ。

「あっはっはっ! いや、十分だ!」

 魔王様が僕の背中をバンバンと叩き、

「どうだ諸君、これでも余の決定に不満か?」

 文句を言っていた選手の方々が首を振っている。

「では改めてぇ……」

 レヴィアタン様が僕の腕を高らかに掲げ、

「拍手!!」

 わぁぁあああ……という歓声とともに、万雷の拍手が鳴り響く。

「それではこちら優勝賞品、海神蛇(リヴァイアサン)の魔石です!!」

 レヴィアタン様が舞台の陰から台車を運んでくる。
 台車の上に載っているのは――

「で、でっか!?」

 直径1メートルはあろうかという超巨大な魔石!!
 ゴブリンとかオークのなら小指の先くらいのサイズとか、大きくても拳くらいのサイズだというのに!

「ほら、少年よ!」

 魔王様が巨大魔石をひょいっと抱えて、

「優勝おめでとう!」

 僕に渡す。

「うぉぉおっ!? 重たッ!?」

 思わず取り落としそうになって、

「あっはっはっ、そりゃあアリソンの魔力がぎっしり詰まっているからなぁ!」

 魔王様が魔石を抱えなおし、台車の上に戻してくれる。
 それから僕の肩をバンバン叩いて、

「ともかく、おめでとう!!」


   ■ ◆ ■ ◆


 レースの後、僕はなんと、魔王様のお茶会にお呼ばれしてしまった。
 といっても、参加者は魔王様と僕、途中で合流したノティアだけだけど。

「いやぁ、それにしても見事な【無制限(アンリミテッド)収納(・アイテム)空間(・ボックス)】だな!」

 魔王様が褒めて下さる。

「【無制限(アンリミテッド)収納(・アイテム)空間(・ボックス)】はアリソンが最も得意とする魔法だったんだ。アリソンにこそ及ばないが、そなたの【無制限(アンリミテッド)収納(・アイテム)空間(・ボックス)】も相当な威力だな。それだけ使いこなすには、いろいろと工夫や訓練が必要だったんじゃないか?」

「い、いえ……わたくしがこのように上手になれたのは、すべてお師匠様のおかげでございまして。【収納(アイテム)空間(・ボックス)】で物を切ったり、分離させたり、空を飛んだり、空間を繋げたりといったものはすべて、お師匠様から教えて頂いたんです」

「ふむ。Aランク冒険者のノティア姫か。教師としてはこの上ないな!」

「「い、いえ」」

 僕とノティアの声が重なる。

「クリスく――クリスさんに魔法を教えたのは、わたくしではございませんわ、陛下」

「ほう、そうなのか?」

「はい。アリスと名乗る魔法使いの冒険者がおりまして」

「アリス……アリス……」

 アリス。
 この国の主神の御名にして、先王のお名前にして、この国で最もありふれた女性の名前。

「余はそのアリスとやらに会ってみたい。連れて来てもらえないか?」

「ははっ!」

 ノティアがうなずいて、

「恐れながら、【瞬間移動(テレポート)】使用のご許可を頂いても?」

「許す」

「それでは――【瞬間移動(テレポート)】」

 ノティアが姿を消す。
 お師匠様ももちろんこのお茶会に誘ったんだけど、青い顔をして『儂ゃ遠慮する』って宿に帰っちゃったんだよね。
 あとシャーロッテも『恐れ多いから』って言って帰った。
 やがて、

「嫌だ! 儂は行かない! 着ていく服がない――って何勝手に【瞬間移動(テレポート)】してるさね!?」

 ノティアに羽交い絞めにされてるお師匠様が現れた。
 もみくちゃになっているお師匠様と魔王様の目が合って、

「しまっ――」

 お師匠様が咄嗟に顔をそらし、

「――――――――アリソンッ!?」

 魔王様が歓喜としか言いようのない、それはそれは嬉しそうな表情で、叫んだ。
「――――――――アリソンッ!?」

 魔王様の叫びに対して、

「……ひ、人違いじゃあ、ありませんかね……?」

 お師匠様がとんがり帽子を深々と被る。

「人違いなものか!」

 魔王様が椅子から立ち上がり、勢いよくお師匠様に駆け寄って、その両肩をつかむ。

「顔かたち、魔力の色……何もかも数千年前と変わらない! あぁ、アリソン! 本当に、本当に逢いたかった!!」

 そう言ってお師匠様に顔を近づける魔王様。
 え? え? え? これって――

「ひ・と・ち・が・い・です!!」

 お師匠様が魔王様の顔を押しのけて、距離を取る。

「陛下!」

 魔王様に対して乱暴を働いた為か、そばに控えていた審判の人――もとい四天王で『近衛』のバフォメット様が駆け寄って来て、

「こんのバカ陛下! いきなり女性に抱きつく人がありますか!」

 魔王様を羽交い絞めにする。

「「――えっ、そっち!?」」

 すわ不敬罪かと顔を青くしていた僕とノティアから同じ言葉が漏れて、

「すみません皆さん。陛下はその……過去に何度もご自身の記憶を消し去っている所為で、思考がちょっとアレなところがありまして……今日の出来事はご内密にして頂きます。後で口外できないように一筆、【契約書】を書いて頂きますので」

「「え……」」

「こらバフォメット! 離せ!」

「あぁもう、暴れないで下さいよ陛下!」

 暴れる魔王様を抑え込みながらもバフォメット様が、

「あー……でも確かにお嬢さん、アリソン神の像とか、王城に飾ってある先王様の絵に似てますねぇ。陛下は金髪碧眼美女と見れば『アリソン! 我が妻!』って叫ぶところがあるので、これだけ似てれば発作も出ましょう」

「「――――……」」

 言葉を失う僕とノティアと、

「……そうですか」

 衣服の乱れを整え、帽子を深く被りなおすお師匠様。
 お師匠様はささっと短いカーテシーをして、

「それでは、わたくしはこれで」

 足早に、中庭から去っていく。

「あっ、お嬢さん! 【契約書】を――…はぁ、陛下の所為で怖がらせてしまったじゃないですか!」

「あ、あの……わたくしたちはどうすれば?」

 恐る恐るバフォメット様に尋ねると、バフォメット様はうなずいて、

「そうですね……明日の午前9時に、こちらからお伺いさせて頂けますか?」

「は、はぁ」

 というわけで、僕らは泊っている宿を伝えて、その場を辞した。


   ■ ◆ ■ ◆


 翌朝、スイートルームの居間でくつろいでいると、9時の少し前にドアがノックされた。

「はーい」

 出ると、そこには帽子を目深に被った二人組が。
 そして、

「よっ、少年! また会ったな!」

 ひとりが、帽子を取る。
 …………魔王様だった。


   ■ ◆ ■ ◆


「すみませんすみません本当に! 陛下が『一緒に行く』って聞かなくって!」

 平謝りのバフォメット様――二人組の二人目。
 バフォメット様は謝りつつも虚空から4枚の紙を取り出し――何気に無詠唱【収納(アイテム)空間(・ボックス)】だ――、机に広げる。

「昨日はいらっしゃらなかったそちらのお嬢さんにも、申し訳ありませんがサインして頂きますね」

 丁寧な言い回しながらも、その口調は有無を言わせない調子だ。

「え? な、何……?」

 混乱しているシャーロッテにそっと耳打ちする。

「こちらの方が魔王様なんだ」

「え、えぇぇええええッ!? 魔王様!?」

「うん、実は――…」


   ■ ◆ ■ ◆


取引契約(ディール・コントラクト)】という魔法がある。
 上級光魔法で、商取引なんかを行う前にこの魔法が【付与(エンチャント)】された【契約書】に互いにサインするという形で使用される。
【契約書】にサインした者は、【契約書】に記された内容を破ろうとするとひどい頭痛に苛まれ、最終的には死に至る。
 だから【契約書】には、『契約内容が守れそうにない場合はどう補填するか』とか『誰かに脅迫されて契約を反故にせざるを得ない場合にどうするか』といった細かい条項まで詰めるのが普通らしい……と、ミッチェンさんに以前教えてもらった。

 名ばかりとはいえ町長として、諸々の契約を行う必要がある身だからね。

 上級魔法だから誰でも使えるってわけじゃあないけど、大店の商人なんかは商人ギルドにお金を払ってギルド付きの光魔法使いに【契約書】を作ってもらうのだそうだ。
 高い【契約書】代を払ってでも、安全な取引がしたいというわけだね。

「では皆さん、【契約書】の内容をしっかりとお読み頂き、ご納得の上、サインをして下さい――まぁ納得頂けなくてもサインはさせますが」

 内容は、『魔王様が自ら記憶を消去した』、『その所為で、先王アリソン様に似た女性を見ると精神が不安定になる』ということを絶対に口外しない、というもの。
 つまり、『言いふらそうとしたら死ぬぞ』という【契約】だ。
 ……まぁ、国家の恥部を隠す為の処置だ。怖いけど、仕方ないのだろう。
【契約書】にサインをすると、紙がぱぁっと光り輝き、数秒ほどで光は収まった。
 お師匠様にノティア、そしてシャーロッテもサインをする。

「ありがとうございました」

 バフォメット様が頭を下げる。
 四天王といえば魔王様の次に偉いはずの方なのに、腰が低いことだと思う。

「対価というわけではありませんが、各種ギルドや各領地貴族たちに、あなた方を不当に扱わないよう通達しておきましょう。まぁもっとも……ノティア・ド・ラ・パーヤネン公女殿下は不要でしょうけれど」

「ふふ、そうですわね」

 ノティアが淑やかに微笑む。
 なんというか、いつもの粗野な感じが入った冒険者っぽい笑顔じゃなくて、深窓の令嬢っぽい微笑。
 こんな顔もできるんだなぁ……。

「終わったか!? 終わったな!?」

 居間の上座では、魔王様が何やらうずうずした様子で座っている。

「よしアリソン、いまからデートに行くぞ! そなたら――クリスにノティア、あとそこの娘も一緒に来るがよい! 余が自ら、王都観光ツアーの案内人となろう!」

「「「「「えぇぇえええええええッ!?」」」」」

 仰天するお師匠様、ノティア、シャーロッテ、僕と、そしてバフォメット様……。
「糞ぉッ、糞糞糞ッ!! どうして何もかもが上手くいかねぇんだ!?」

 自宅――ボロ長屋の一室で、薄い酒をあおりながら毒づく。
 ……今日も、デブの領主サマに嫌味を言われた。
『街』はますます栄える一方じゃないか――って。

『街』にゴロツキを歩かせるのは上手くいかなかった……金に釣られた冒険者どもによる警備で、治安はかえって良くなっちまった。

 盗賊の真似も、失敗した。
 いまじゃ商人ギルドが規則を作っちまって、護衛なしじゃ西の森を通れないようにしちまったらしい。

 オークも、クリスが集落ごと滅ぼしちまったって話だ……せっかく、高い金を出して魔物寄せの香を買ったっていうのによぉ!

「糞ッ、何もかもクリスの所為だ!! あいつさえいなけりゃ――…」

 ……いや、待てよ?
 糞……そうか、糞か。


   ■ ◆ ■ ◆


「つ、つ、疲れたぁ……」

 夜中。
 王都自慢のスイートルームのベッドに倒れ込みながら、心の底からつぶやいた。

「うん……」

「確かに疲れましたわ……」

 シャーロッテとノティアが、至極自然な様子で僕のベッドに倒れ込む。
 お師匠様? お師匠様は女性陣の為に取ってある部屋に入っていったよ。

「……寝ちゃだめだからね……ちゃんと自分たちの部屋に戻るんだよ?」

「「はぁい」」

『お風呂事件』からこっち、このふたりの僕に対する距離感が異様なほどに近い。
 ……まぁいいや、とにかく僕らはようやっと、魔王様から解放されたんだから。

 一週間もの間、魔王様に連れ回された。

『余が自ら、王都観光ツアーの案内人となろう!』という言葉の通り、変装した魔王様によって、王都中を案内された。
 バフォメット様も含め、誰も魔王様を止められなかった。
 魔王様は、お師匠様のことを奥さんでもある先王アリソン様だと勘違いしている点以外は割とまともなお方で、多少強引ながらも、僕らを楽しませるべく王都一周ツアーのガイドに徹してくださった。
 僕ら平民相手に偉そうぶることもないし、なんというか無邪気で気さくなお兄さんという感じ。
 僕とシャーロッテはすっかり魔王様に懐いてしまった……まぁ、僕らが魔族で、魔王様による【従魔(テイム)】影響下にあるからなのかも知れないけれど。
 実際、お師匠様とノティアは僕らほど魔王様に心酔していないようだったから。

 で、最後の晩餐会が終わって、やっと解放されたってわけ。

「ノティア、明日の朝には向こうに戻りたいんだけど……お願いできる?」

「承知しましたわ」


   ■ ◆ ■ ◆


「【瞬間移動(テレポート)】!」

 翌朝、『街』の自宅である屋敷内へと【瞬間移動(テレポート)】する。
 3階の一室であるこの部屋は、通称『【瞬間移動(テレポート)】部屋』と言って、ノティアが【瞬間移動(テレポート)】で現れる為の、それ専用の部屋だ。
 そうやって部屋を分けておかないと、いきなり使用人の前に僕らが現れて相手を驚かせてしまったり、最悪『接触事故』が起きるから、そういう措置を取っている。

「いや~、久しぶりの我が家!」

 言いながら部屋のドアを開けると、

「町長様ぁ!! お待ちしておりました!!」

 目の前に、ミッチェンさんがいた。
 泣きそうな顔をしている――いや、泣いている。

「な、何があったんですか!?」

「じ、じ、じ、実は――…」


   ■ ◆ ■ ◆


「な、なんてこと……」

 居間のソファに座りながら、僕は天井を仰ぐ。

 ――――――――疫病発生。

 2日前から難民村で腹痛を訴える人が続出し、昨日からは難民以外からも体調不良者が出ているのだそうだ。
 それで、原因は『西の森』に棲みつく魔物たちの瘴気だとか、戦争で無くなった西王国の兵士たちの怨念が難民を祟っているのだとか、そんな根も葉もないウワサで街中で持ちきりらしい。

「…………死者は?」

「幸い、いまのところはゼロです」

「良かった……お師匠様、お願いできますか!?」

「もちろんさね」

 もともと旅装だったお師匠様が、マントを羽織り、とんがり帽子をかぶり、そしてマジックバッグから(スタッフ)を取り出す。
 凛々しくも頼もしい、自慢のお師匠様だ。
「ここから出して! 私たちの村に帰るのよぉっ!!」

「こんなところにいたら、呪い殺されちまう!!」

 西端の城門は大混乱に陥っていた。
 閉じられた門と、それにすがりつく大勢の難民。
 そして、必死に門を閉じている警備員の方々。

「門は閉鎖してるんですね」

「……はい。彼らが西王国に戻ったとしたら、きっと反逆罪で処刑されてしまうのでしょう? いまはあのようにして正気を失っているようですが……見捨てるわけにもいきませんよ」

「良い判断だと思いますよ。ということは、東の門も?」

「はい。城塞都市へ逃げようとする難民を、押しとどめております。城塞都市に病魔をバラまかれでもしたら、それこそ領主様にこの場所を取りつぶされてしまいます」

「さすがはミッチェンさん」

「【赤き蛇・神の悪意サマエルが植えし葡萄の蔦・アダムの林檎――万物解析(アナライズ)】」

 お師匠様が難民たちを魔法で解析して、

「いるね。こりゃ感染症さね……こんだけ体中を侵されてれば、さぞ苦しかろうさ」

「カンセンショウ? まぁいいや、治せますか?」

「儂の【大治癒(エクストラ・ヒール)】だけだと細菌を抑え切れないね」

「サイキン?」

「病魔のことさね」

「あぁ、はい。あ、じゃあ以前、リュシーちゃんのお父さんの毒を【収納】したみたいにやれば――」

「正解だ」

 お師匠様が嬉しそうに微笑む。
 お師匠様に褒められて、僕は鼻高々だ。

「まず、儂の【万物解析(アナライズ)】補助付きの【無制限(アンリミテッド)収納(・アイテム)空間(・ボックス)】で、彼らの病魔を取り除き、その上で儂が【大治癒(エクストラ・ヒール)】を使えば、すぐに快復するだろう」

「良かった! ――では」

 僕は大きく息を吸い込んで、

「難民のみなさん!」

 声を張り上げた。
 難民の方々が、うつろな表情で振り返る。

「この病は、呪いでも瘴気でもありません! その証拠に、我がお師匠様の治癒魔法によって、あっという間に治療して見せましょう!」

 は、恥ずかしい……けどパフォーマンスは大事だ。これも町長の仕事!

「【赤き蛇・神の悪意サマエルが植えし葡萄の蔦・アダムの林檎――万物解析(アナライズ)】! 【視覚共有(シンクロナイズド・アイ)】」

 僕は目をつぶり、難民たちの体を蝕むモヤモヤ目がけて、

「【無制限(アンリミテッド)収納(・アイテム)空間(・ボックス)】!!」

 モヤモヤが消えて、

「……尊き生命の息吹とともに・光の神イリスの奇跡をここに示せ――広域大治癒(エリア・エクストラ・ヒール)】ッ!!」

 温かな治癒の光が、難民の皆さんを包み込む。

「「「「「……………………あれ?」」」」」

 呆然となる、難民の方々。

「お、お腹が痛くない……?」

「苦しくなくなった……」

「どうですか、我がお師匠様のお力は!!」

 胸を張りつつも、一安心だ。


   ■ ◆ ■ ◆


 東門も、同じようにして鎮圧した。
 移動にはノティアの【瞬間移動(テレポート)】があるからスイスイだね。
 そうして本丸、難民村に踏み入れてみたのだけれど――。

「ここは呪われた土地なんだよ!!」

「こんな病気だらけの村に住めるわけねぇだろ! さぁ帰った帰った!」

 ゴロツキどもが、良からぬウワサを喧伝して回ってる!!

「お前ら、止めろぉ!」

 僕が叫びながら村に入ると、

「「「「「ヒッ、く、首狩り族ぅ!?」」」」」

 ゴロツキどもが、三々五々と逃げ去っていく。
 …………が、唯一逃げなかった奴がいた。

「はははっ、ざまぁねぇな!!」

 壮絶な笑みを見せながら、僕を憎々しげに睨みつける少年――…オーギュス。

「ご覧の通り、てめぇがちょっと離れた間に、街は病魔まみれさ!」

「――――……」

「こんな場所に街なんて作るからだ! 何もかもお前の責任だ――クリス」

「――…」

「どうやって責任取るんだ? この疫病が城塞都市にまで及んだら、お前はきっと縛り首だ!」

「…………だったら、治せばいいだろ?」

 僕は負けじと、オーギュスを睨み返す。

「お師匠様」

「あいよ――【赤き蛇・神の悪意サマエルが植えし葡萄の蔦・アダムの林檎――万物解析(アナライズ)】」

「【無制限(アンリミテッド)収納(・アイテム)空間(・ボックス)】」

 難民村を覆いつくす病魔を、軒並み【収納】した。
 続いて、

「……光の神イリスの奇跡をここに示せ――広域大治癒(エリア・エクストラ・ヒール)】ッ!!」

 お師匠様による、村全体を覆った、広大な範囲に及ぶ【大《エクストラ》治癒(・ヒール)】!!

「皆様ぁ!!」

 ノティアに【拡声(スピーカー)】の魔法をかけてもらい、難民村全土に声を届ける。

「たったいま、わたくし、町長クリスとそのお師匠様アリス様による治癒魔法を村全土にかけました!! 呪いとか瘴気とかいうのはすべてウソです!!」

 恐る恐る、といった様子で、各家の中から難民さんたちが出てくる。

「ほら、皆さんもお感じの通り、病はすっかり治りました!!」

 できるだけ力強く、僕は叫ぶ。

「大丈夫です! 僕は――町長たるわたくしクリスは、皆さんの生命と財産を守ります!!」

 そう、高らかに宣言して。
 僕は…………去り行くオーギュスの背を、睨みつけた。