そうして僕は、一日振りに西の森に戻ってきた。
 ここは太古の昔、『魔の森』と呼ばれて、最奥にはドラゴンとかフェンリルとかグリフォンとかの伝説級の魔獣がひしめき合う地獄だったという伝承があるのだけれど、百年前の戦争で両国から徹底的に荒らされて、瘴気も晴れて魔物たちも次第にいなくなった、と歴史の本にはあった。
 今じゃ『森』というほど昏くはなく、『林』というにはやや深い……と、そのくらいの具合で木々が茂るこの場所は、ホーンラビットを始めとした食用魔物の宝庫だ。
 ……まぁ、他でもないそのホーンラビットに僕は昨日、殺されかけたのだけれど。

「さっさと始めるぞ!」

 エンゾが息巻いている。なんで僕の方を睨んでるんだよ……お前を挑発したのは僕じゃなくてお師匠様じゃあないか。
 エンゾの後ろでは、パーティーメンバーのドナとクロエが呆れ顔でついて来ている。

「おお、怖い怖い……制限時間は正午まで。負けた方が勝った方にツノを全部渡すって条件だったさね?」

「それと謝罪だ! てめぇら、絶対に謝らせてやるからな!」

 言うや否か、森の中へ消えていくエンゾたちパーティー一行。
 お師匠様は、その後ろ姿をのんびりと眺めている。

「ぼ、僕らも早く行きましょうよ!」

「まぁ慌てなさんな。ヒール・ホーンラビットは希少種。闇雲に探しても見つかるもんじゃないよ」

 ……あぁ、なるほど。
 きっと索敵魔法の【探査(サーチ)】を使うのだろう。【探査(サーチ)】は上級魔法だけれど、お師匠様ならきっと使えるだろう。

 魔法には、その難易度によって5段階の等級がある。
 初級・中級・上級・聖級(せいきゅう)(しん)(きゅう)

 初級……指先に炎を灯したり、水を生み出したりといった魔法で、魔法敵性の高い魔族――ルキフェル王国の国民――なら大抵みな、使える。
 ……ちなみに僕は使えない。僕には魔法の才能が無いんだ。

 中級……炎の矢を飛ばしたり、岩の壁を生成したりといった、かなり実戦的な魔法。
 魔法を学んで訓練した魔族の、何人かにひとりは使えるようになる、かな?
 実際、冒険者パーティーに大抵ひとりは魔法職がいるし、森の中に入っていったクロエもそうだ。
 冒険者で『魔法使い』と言えば、大抵がこの中級魔法使いのことを言う。

 上級……それこそ師匠の【(エクストラ)治癒(・ヒール)】みたいな奇跡に近い威力を持った魔法ばかり。
探査(サーチ)】も、この場に立って居ながらにして目に見えない森の中を数百メートル先まで見通せる、ものすごい魔法だ。

 聖級……森を丸々焼き滅ぼしたり、海を真っ二つに割ったり、山を消し飛ばしたり……そんな、伝説に出てくるような英雄様とか賢者様が使う威力の魔法。
 一応、市販されている魔法教本にも載っているけれど、この街の冒険者で使える人はいないはずだ。

 神級……一応は定義されているだけの、文字通り神様たちの魔法。
 先王様は使えたという伝承があるけれど、どこまで本当なのやら。

 僕は孤児院時代、魔法使いに憧れて孤児院に置いてあった魔法教本を読んでいたから、魔法の名前と効果と詠唱は一通り知っている。

「【赤き蛇・神の悪意サマエルが植えし葡萄の蔦・アダムの林檎】――」

 ……って、あれ?
 こんな詠唱、聞いたことがない……いや待て、ま、まさか――

「――【万物解析(アナライズ)】!」

「せ、聖級魔法ぉ~~~~ッ!?」

 魔法教本に載っていた、【探査(サーチ)】と【鑑定(アプレイズ)】の両方の性能を兼ね備え、その効果範囲と精度を何十倍何百倍にもした、万物を見通す究極の魔法!

 お師匠様が杖を振り上げると、見渡す限りの空が真っ赤な魔法陣で埋め尽くされ、そしてそれは1秒ほどでウソのように消え去る。

「352体……手頃なのは――よし」

 お師匠様が、何だか空恐ろしいことを呟いている。
 まさか、いまの一瞬で森全体を調べ上げた……!?

「2時方向、800メートル先にヒール・ホーンラビット1。直線上に他の魔物はいないから、真っ直ぐ突っ走りな!」

「…………え? お師匠様が行くんじゃないんですか?」

「何言ってんだい、勝負するのはお前さんだよ」

「え? えぇ~~~~ッ!? む、無理無理無理ですぅ!!」


   ■ ◆ ■ ◆


 ど、どうしてこんなことに……。
 薄暗い森の中を突っ走りながら、僕は混乱している。
 お師匠様は『お前さんの力量がみたいのさ』なんて言ってたけど、まさに昨日、ホーンラビット相手に死にかけてた姿を見ただろうに……。
 と、とにかくお師匠様の命令には絶対服従。
 後ろから見守るとも言ってくれていて、実際に後ろからついて来てくれている。
 もし、昨日のようにピンチに陥ったら、また魔法で治してくれるだろう、きっと。
 手にはところどころ欠けているナイフ。
 そう言えばお師匠様は、武器は買ってくれなかった。
 そりゃ、何でもかんでも買って下さいってのは情けないけど、ここまで上等な装備を一式そろえてくれたのに、武器だけなしってのは何か違和感がある……っと、

 ――見えてきた、真っ白な毛皮の一角兎(ホーンラビット)

「う、うわぁぁあああああッ!!」

 我ながら情けない雄たけびを上げつつ、遮二(しゃに)無二(むに)ナイフを振るう。

「……………………はぁあ~~~~ッ!?」

 背後から、お師匠様の呆れ返ったような声。
 その声に驚いたのか、2対1では不利と見たのか、ヒール・ホーンラビットが一目散に逃げていく。

「……何やってんだい、あんた?」

「だ、だから無理だって言ったじゃないですか!」

 僕はもう泣きそうだ。
 お師匠様はそんな僕に対して首を傾げて見せて、

「なんで【無制限(アンリミテッド)収納(・アイテム)空間(・ボックス)】を使わないんだい? ホーンラビットの足元を【収納】して落とし穴にしてもいいし、どころかホーンラビットごと【収納】しちまえば仕舞いだろうに」

「生きてる相手を【収納】なんて、抵抗(レジスト)されちゃって無理ですよ!」

「【無制限(アンリミテッド)】なのに? でもじゃあ落とし穴は?」

「近づいているうちに、逃げられちゃうじゃないですか」

「んんん? いやいやいや、こう、遠くから【収納】してやればいいさね」

「遠隔【収納】なんて!!」

 僕は仰天する。

「あんな、ものすごく魔力を消耗する離れ業、できるわけないじゃないですか! 魔力切れで気絶しちゃいますよ! そもそも遠隔【収納】って上級レベルの技ですよ!? 僕のスキルレベル1ですよ!?」

「…………へ? 昨日はたまたま魔力が枯渇していたんじゃなくて?」

「あ~……」

 やっと理解できた。
 お師匠様が僕に武器を買わなかったのは、【収納(アイテム)空間(・ボックス)】を武器に戦えばいいと思っていたからだ。
 そして昨日、お風呂とたっぷりの食事と柔らかなベッドを与えてくれたのは、魔力を回復させるためだったわけだ。

 魔力は、時間経過で回復する。

 そして魔力は、心身が満たされているときの方がより早く回復する……らしい。
『らしい』と言ったのは、僕自身は魔力が低過ぎて体感したことがないからだ。

「はぁ~……いいからとにかくやってみな!」

 お師匠様が手頃な石を、ちょうど剥き出しになっていた岩の上に置く。
 僕はお師匠様に背中を押され、岩から1メートルほど離れたところに立たされる。

「ほれ、そこの石を【収納】するんだ」

 …………お師匠様の命令には絶対服従。
 や、やるしかない。

「ん~~~~ッ!!」

 腕を小石に向けながら、イメージする。
 目の前の小石が、僕の【収納(アイテム)空間(・ボックス)】に収納される様子をだ。

「んぬぉお~~~~ッ!! 【アンリミテッドぉ~】」

 おへその下、魔族が持つ魔力溜まりの器官『丹田(たんでん)』から、ずるずると魔力が吸い出され、

「【アイテムぅ~・ボ」

 …………そこから先の、記憶はない。