唇が、離れた。

「ふふふっ、言わせませんわ」

 ノティアが一歩、二歩と僕から離れ、恥ずかしそうに微笑む。

「の、の、の、のののノティア――」

「――アリス・アインスと戦う為の戦力、必要なんでしょう? ベルゼビュート卿には強がって見せたけれど、本音は怖くて怖くてたまらないんでしょう?」

 頭を、撫でられた。

「わたくしはどこまでだって、あなたと一緒に行きますわ。あなたとともに生き、あなたとともに死ぬと誓います。わたくしの魔力も、この覚悟も、身も心もすべて、クリス君に捧げますわ。でもその代わり、わたくし、どうしても欲しいものがありますの」

 ノティアが微笑む。
 とびきり美しい顔立ちをしたノティアの笑顔は、本当に、本当に美しい。

「わたくしと結婚してくださいな。いまの口付けは、報酬の一部前払いだと思って下さいまし」

「で、でも、ノティア――…」

 シャーロッテの、『絶対に死なないで』と泣きつかれたときの顔が頭をよぎる。

「もちろんシャーロッテちゃんも一緒に」

「――――え? えぇぇええッ!?」

「ちなみにシャーロッテちゃんも了承済ですわよ」

「な、ななな……」

「まぁ公国(じっか)の手前、わたくしが正妻という形にはなるでしょうけれど……シャーロッテちゃんと一緒に平等に愛してさえくれれば、それで構いませんわ。それに、わたくしも百年以上も冒険者をやっている身。クリス君がどんな選択をしても、ついて行ける自信がありますわよ?
 このまま、この街の町長をやるもよし。
 ミッチェンさんあたりに町長の職を任せて、冒険者として気ままに旅をするもよし。
 猫々(マオマオ)亭からのれん分けしてもらって、どこかの街か村で定食屋を開くもいいですわね。
 西王国が持つ『れしぷろじょーききかん艦艇』とやらを鹵獲して、大海原に繰り出すというのも胸が躍りますわね!
 はたまた、領地も仕事もない、名ばかりの法衣男爵の爵位を公国からもらって、死ぬまで自堕落に生きるのもいいですわ」

「あ、あはは……」

 どれもこれも、バラ色の未来のように聞こえる。
 けれど、ノティアの将来像の前には、ただひとつ、巨大な障害が横たわっている。
 戦争という絶望が。

「ノティアは……勝てると思う? アルフレド王国に。おししょ……アリス・アインスに」

「勝てますわよ」

 ノティアが微笑む。

「勝てますわ。勝って、ふたり欠けることなくシャーロッテちゃんのところへ戻って、素敵な式を挙げましょう」


   ■ ◆ ■ ◆


 冒険者ギルド支部に着いた。
 僕はいまからここで、死闘――文字通り命を懸けた、アルフレド王国との、アリス・アインスとの戦争に参加してくれる味方を手に入れなければならない。
 大本命は、Aランク冒険者の『(ホワイト)(ファング)』フェンリス氏だ。

 カランカランカラン……

 ギルドホール内の一切合切の視線がこちらに集まり、

「ヒッ……」

 相変わらず悲鳴を上げる僕と、

「「「「「…………」」」」」

 無言の冒険者たち。
 その冒険者たちがニヤニヤと笑いだして、それから、





「「「「「ざまぁぁぁああああああああ見ろッ!!」」」」」





「えぇぇええッ!?」

 ゲラゲラと笑っている冒険者たちの中からベテラン冒険者のベランジェさんが出て来て、僕の肩をバンバン叩く。

「はぁすっきりした! ここんところクリスを罵倒したら総パッシングされそうな感じだったからよぉ! 分かりやすいドジ踏んでくれて、ようやく文句が言えるってなもんだぜ」

「まったくだ。クリスの癖になぁ!」

「お前もお前で、得意げな顔しやがって! うざいったらねぇよ」

 過去に僕のことを『可愛がって』下さった先輩冒険者たちが、口々に僕を罵る。
 罵るのだけれど、未だにこの場所にいてくれているってことは……。

「皆さんは、逃げないんですか……?」

「逃げたい奴はもう全部逃げたぜ」

 部屋の奥を陣取っていたフェンリスさんが言う。

「ここに残っている奴は、西王国と戦う覚悟のある奴だけだ」

「み、皆さん……ッ!!」

 感極まってしまう。

「作戦はあるんだろうな、町長さん?」

 フェンリスさんの言葉に、僕はうなずく。
 ベルゼビュート様たちと一緒に練り上げた、犠牲を最小限に留めながらも、戦争を速やかに終わらせる為の作戦を、勇敢な戦士たちに打ち明ける。