「隣国への戦争正当化工作はまだ終わらんのか!」

 我が王が喚き散らす。
 きらびやかな調度品でこれでもかと彩られた部屋、テーブル一面に並ぶ豪華な料理の数々、一本開けるだけで家が建つようなワインの空き瓶が転がる。
 相次ぐ増税の所為で、平民の間では自殺者が後を絶たないっていうのに、気楽なものだ。

()はい(ヤー)……」

 可哀想に、今日の給仕兼報告当番にされた少女が、王のグラスにワインを注ぎながら答える。

「議会は本日、貴族院、平民院ともに非戦の方向で一致し――うげっ!?」

 少女の体が吹っ飛んだ。やおら立ち上がった王に、勢いよくお腹を蹴り飛ばされたのだ。
 四十半ばのこの王は、思わず目を逸らしたくなるほどぶくぶくと太っているクセに、蹴りの威力だけは異様に高い。
 ……もっとも、毎日毎日飽きもせず女の腹を蹴り飛ばしていれば、誰でも蹴り技が上手くなるというものだろう。

「まったく、臆病者どもめ!」

 倒れて身動きできないでいる少女をなおも蹴りつけながら、王が毒ずく。

「余は、余の治世の間に()の国を引きつぶし、歴史に名を残さねばならぬのだ!」

 誰も王の蛮行を止めない。止められない。
 壁の端に居並ぶ侍女たちはみな一様に、下を向いて震えている。

「……坊や、もうそのへんにおし」

 だから、間に入ることにした。
 そもそもいま、さんざんに蹴りつけられているこの子は単なる伝書鳩であって、少しだって悪くはないのだから。

「うるさい!」

 王が、壁際に(はべ)るこちらに向かって酒瓶を投げつけてきた。
 瓶が頭部に当たって割れる。この程度じゃ傷ひとつ負うことはないけれど、愛するマスターから頂いたこの体を粗末に扱われるのは気に入らない。
 この王は昔っからワガママな子だったけれど、本当に、絵に描いたような愚王になってしまった。

「何だその目は!」 

 王が喚く。
 それから、王は急にしたり顔になり、

「そうだ、貴様が行って来い。数千年分の叡智とやらを使って、余の望みを果たせ」

「…………仰せのままに」

 カーテシーの礼を取る。もちろん、頭を下げる最上の礼で、さ。
 どれだけ愚かな奴であろうと、どれほど気に喰わない相手であろうとも。
 それが『王』ならば、従わざるを得ない。
 愛するマスターとの【契約】によって、(おのれ)という存在はそう定義づけられているから。

「失せろ、(ばば)ぁめ!」

 その場を辞し、自室で旅装に着替えながら物思いにふける。

 ――――図らずも、外出許可が出た。

 こちとら何千年とタダ働きさせられて、特にここ数年は毎日のようにあの王に乱暴を働かれて、随分とストレスを溜めていたんだ。
 今回の旅でせいぜい発散させてもらうとしよう。

 ……願わくば、この希望を叶えてくれる逸材に出逢えますように。


   ■ ◆ ■ ◆


「クリス、お前はクビだ」

 冒険者ギルドのど真ん中で。
 僕――最下級(Fランク)冒険者の16歳、クリス――は、パーティーリーダーに宣告された。

「…………え?」

 突然のことで理解が追いつかず、僕は聞き返す。

「だーかーら! お前を俺のパーティーから除名するっつってんだよ!」

「な、なんで……」

「なんでって」

 椅子にふんぞり返ったEランクパーティーのリーダー・エンゾが嘲笑う。
 彼の両側に座るパーティーメンバーも、くすくすと笑った。

「お前が無能だからだよ。弓は引けない、剣は振れない、盾を持ったってへなちょこすぎて壁にもならない。料理と野営の準備は多少できるけど、んなもん他のメンバーだって十分できる。珍しい加護(エクストラ・スキル)持ちだっていうからパーティーに加えたってのに、何だよ【無制限(アンリミテッド)収納(・アイテム)空間(・ボックス)】って!」

無制限(アンリミテッド)収納空間(・アイテムボックス)】――僕が生まれつき使える魔法、神様からもらった加護(エクストラ・スキル)。生き物以外ならどんなものでもいくらでも収納できて、しかも【収納(アイテム)空間(・ボックス)】の中は時間が停止していて物が劣化しないという特性つき。

 世が世なら、あるいはどこか遠い別の国でなら、引く手あまただろう加護(エクストラ・スキル)
 けれど――…

「間に合ってんだよ」

 エンゾがドンッとテーブルに革袋を置く。

「時間停止機能つきのマジックバッグなんて、大銀貨1枚出しゃ買えるってぇの」

 エンゾが言うと、ギルドホール中の冒険者たちが、これ見よがしにマジックバッグを取り出して見せてくる。
 ……そう、マジックバッグがとても安価で手に入れられるこの国では、【収納(アイテム)空間(・ボックス)】はゴミスキルなんだ。

「オレらのパーティーハウスからも出て行けよ?」

「そ、そんな――…」

 エンゾの右隣に座る少年――ドナに視線を送るも、返ってくるのは冷笑ばかり。そりゃそうだろう……こいつはエンゾと一緒に、何かと理由をつけては僕を殴ったり蹴ったりしてきたのだから。
 エンゾの左隣、唯一僕に優しくしてくれていた少女――クロエに視線を向けるも、

「ごめんなさいね」

 クロエはそう言って苦笑するばかり。

「あんだよ、その恨めしそうな目はよ!」

 エンゾが立ち上がり、至近距離で僕を睨みつけてくる。
 エンゾは僕よりもいくつか年下で、つい一週間ほど前に新たに冒険者になったばかりの新米だ。
 最初の頃こそ僕に対して敬語を使っていたけれど、そんな態度は3日と()たず、僕のことを『役立たず』と罵り、殴ったり蹴ったりするようになった。
 ……いつもそうだ。
 僕はいつも、誰かのストレス発散の為だけにパーティーに迎え入れられる。

「おらっ、さっさとどっか行けよ!」

 蹴りが飛んできた。
 必死によけようとして、その場で尻もちをつく。





 ――そのとき、耳元で大きな拍手が鳴り響いた。





「おめでとう、クリス!」

 見れば僕のすぐそばに、同じ孤児院出身の少年・オーギュスが立っていた。
 こいつは孤児院にいたころから何かにつけて僕をイジメてくる、嫌な奴だ。
 オーギュスは必死に笑いを堪えていた様子だったけれど、やがて吹き出し、
 
「ぶ、ぶふふっ……これでパーティー追放100回目だぜ! 王国初なんじゃねぇのか?」

 その言葉が口火になって――…
 冒険者たちが、一斉に大笑いを始めた。

「あはははっ! クリスてめぇ何回オレらを笑わせりゃ気が済むんだぁ!?」

「ひぃっひぃっ……100回!? 100回だとよ信じられるかぁ!?」

「ぶぁっはっは! いい加減諦めて、どっかの店か工房にでも入りな! まぁもっとも、その年じゃあ丁稚奉公でだって雇ってもらえないだろうけどな!」

 真っ赤になってギルドホールを飛び出した。
 ……途中、何度も何度も足を引っかけられて、そのたびに盛大に転びながら。


   ■ ◆ ■ ◆


 とぼとぼと、城塞都市の一角を歩く。
 孤児出身の僕は、幸いにして孤児院に15歳で成人するまでお世話になることができたのだけれど、さすがにそれ以上居続けるわけにはいかなかった。

 ルキフェル王国の最西端・フロンティエーレ辺境伯領は、王国から忘れ去られた土地だ。

 街はさびれていて、働き口は少なく、往来もまばらだ。
 食料は乏しく、娯楽もない。
 先代国王様――今の国王である魔王様を服従させた人族の勇者様――が国を治めていたころは、空を魔動車が飛び交い、城塞都市の周囲は無限に開拓されて行き、仕事はいくらでもあり、ありとあらゆる食べ物が露店に並び、街は熱狂に包まれていた……と、孤児院に置いてあった昔ばなしの絵本にはあった。

 けれど数千年前のある日、その国王様が急に()()()になってしまってから、事態は一変した。

 今の国王様――魔王ルキフェル13世様は、けして悪い王様じゃあないらしいんだけど、奥さんでもあった先王様を愛するあまり、すっかりふさぎ込んでしまって政治を放り投げてしまったそうなんだ。
 以来数千年、ルキフェル13世様の治世が続き、国は――特にこの街は、すっかり荒廃してしまったというわけだ。

 ……もっとも、僕にとっての先王様は、けしてよい王様じゃあない。

 というのも、この先王様は【時空魔法】がものすっっっっっごく得意で、中でも【収納(アイテム)空間(・ボックス)】が一等一番得意だったが為に、マジックバッグを大量に生産して国中にバラまいた。
 その量はもう本当に頭がおかしくなるくらいにすさまじい量だったそうで……こうして数千年経った今も、安価に出回ってるというわけ。
 先王様のおかげで、王国の暮らしはものすごくよくなったし、この国で先王様のことを悪く言うような人はいない。けれど……。

 ――――先王様さえいなければ。

 情けないことに、浅ましいことに、そう思ってしまう自分がいる。
 だったら他の国に行けって言われるかもしれないけれど、この大陸を取り囲む広大な海の向こうにあるらしい他の国に旅立つだけの勇気もお金もないし、唯一行ける可能性のある他国と言えば、現在ルキフェル王国と一時休戦中のアルフレド王国――そう、この辺境伯領の左隣、広大な大陸を大きなお腹としたら、そこからでべそがぴょこっと張り出したみたいな小さな半島に位置する、小さな小さな科学王国だけなんだ。

 呆然と歩いていたけれど、気がつけば、いつもの店の前に立っていた。

猫々(マオマオ)(てい)』。
 孤児院出身の幼馴染が働いている、大衆食堂兼宿屋。店長は大陸の東の果てにあるらしい『シナ帝国』とか言う国から何世代にも渡って旅してきた変わり者で、『マーボードーフ』というのが看板メニュー。辛いけど、病みつきになる美味しさなんだ。

「あ、クリス…………」

 店に入るとすぐ、給仕姿で綺麗な赤髪の女の子がやって来た。
 彼女の名前はシャーロッテ。孤児院での幼馴染で、昔から仲良しだった。大人になったら結婚しようって誓い合ったこともある。

「あ、あの……」

 そのシャーロッテが目を逸らして、

「ごめんなさい。もう、来ないで」

「…………え」

「め、迷惑だから」

「そ、そんな、せめて残飯だけでも――」

「ごめんなさい!」


   ■ ◆ ■ ◆


 夏の終わり。

 15歳で成人し、冒険者になってから、もう1年以上が経ってしまった。
 その間に、さっきオーギュスにバカにされた通り、僕は100ものパーティーから追放された。そしてついに、孤児院時代には結婚を約束し合った幼馴染からも見放されてしまった。
 ……今日眠る宿もない。
 野宿する? そりゃ、いまのうちはまだいいだろう。けどもう数か月もして肌寒くなってきたら?
 それに、食事はどうする? 飲食店の残飯漁りができる場所は、どこも浮浪児たちでいっぱいだ。僕みたいな新参者は、すぐに追い出されてしまうだろう。

「――【収納(アイテム)空間(・ボックス)】」

 亜空間への扉を開き、手を突っ込む。
 中をまさぐるも、食べられそうなものはない。
 手に、かさりと紙切れが当たった。

「これ……」

 取り出してみると、常時依頼の『一角兎(ホーンラビット)』のツノ採集依頼書。ツノを冒険者ギルドへ一本納品すれば、安い宿なら一泊できるし、肉の方は自由にしていい。
 ホーンラビットなら西の森にいくらでもいるし、こちらから攻撃しなければ襲ってこない、比較的安全な魔物だ。
 けど、僕ひとりでやれるだろうか……?

「……でも、やるしか……」


   ■ ◆ ■ ◆


 もう、日は傾きかけている。
 ようやく、単体のホーンラビットを見つけた。サイズは小ぶりだけど、その頭部と同じくらいの長さのツノは鋭い。
 震える手でナイフを握りしめ、草むらに隠れる。
 少しずつ、ホーンラビットがこちらの方に近づいてくる。
 よかった、気づいていない。
 もう少し、もう少し……

 ――よし、いまだ!

「う、うわぁ~~~~ッ!!」

 必死に突き出したナイフは、ホーンラビットに()けられてしまう。

「キーーーーーーッ!!」

「――ヒッ!?」

 ホーンラビットの叫び声を聞いて、体が動かなくなる――【威圧(プレッシャー)】スキルだッ!
 身動きできず棒立ち状態の僕に、ホーンラビットが突進してくるッ!

「がふっ……」




 ホーンラビットの鋭いツノが、
      僕の腹に、突き、刺さった。




「あ、あぁぁ……」




 痛い痛い痛いッ!!
    熱い熱い熱いッ!!




  ああ、ちくしょう、


    こんなところで、死にたくない――…







       女神様――――……






















「【大治癒(エクストラ・ヒール)】ッ!! はぁ~よかった、間に合ったさね!」

 ふと、目の前で声がした。
 恐る恐る、目を開く。





 そこに、女神様が立っていた。





「……め、女神様……?」

「儂かい? 儂ゃ女神じゃないよ」

 その美貌に似つかない、ぞんざいな口調で女神様が言う。
 金髪碧眼。まるで人形のように整った容姿、すらりと伸びる長い四肢、背中まで届く豊かな髪。
 けれど落ち着いて見てみれば、その服装はいかにも旅慣れた感じの――とてもくたびれた旅装だった。少なくとも、女神様が着るようなお召し物ではなさそうだ。

 ――い、いや、そんなことよりも!!

 慌ててお腹に触れる。けれど。

「…………あ、あれっ?」

 お腹の傷が、綺麗さっぱりふさがっていた。
 夢? いや、服にはちゃんと穴が開いている。
 それに、ホーンラビットがいない――あっ、

「ウサギならここだよ」

 女神様が、地面に転がっていたホーンラビットを無造作に持ち上げる。
 いったいぜんたいどうしたことか、ホーンラビットは気を失っているようだった。

「こう、(こぶし)でガツンとね」

「え……」

「それよりお前さん、【無制限(アンリミテッド)収納(・アイテム)空間(・ボックス)】が使えるってのは本当かい?」

「え、あ……はい(ウイ)

無制限(アンリミテッド)収納(・アイテム)空間(・ボックス)】。
 僕にとってはうれしくも何ともない、加護(エクストラ・スキル)だ。

「あははっ、素晴らしい!!」

 けれどこの、女神様のごとき美しい女性にとっては、そうではないらしかった。

「【収納空間(アイテム・ボックス)】はね、最強の魔法なんだよ。その完全上位互換の【無制限(アンリミテッド)収納(・アイテム)空間(・ボックス)】が持つ力たるや――――……計り知れない」

 謎の美女が、こちらの肩をつかんで、顔を覗き込んでくる。
 顔が熱くなって、思わず僕は目をそらす。

「儂が証明してやろう。――お前さん、儂の弟子になりな」

 これが、僕とお師匠様との出逢いの瞬間。
 僕の人生が変わった瞬間だった。