「それで。雅と遥ちゃんは結局どういう関係なんだ?」

 食事を終えたあと。

 雅は自分が泊まる離れ家へ戻り、遥は向かい隣のもう一つの離れ家へと案内された。

 急な来客にもかかわらず寝床まで用意してもらった遥は、繰り返し葉月に礼を言う。

 そして放たれたのが、この質問だった。

「……へ?」
「雅の奴からは、被憑霊者として拝ミ座の協力してもらっているって聞いてるけどな。わざわざこんな辺鄙な村まで来るなんて、よっぽど強い意志がないと無理だろー。やっぱあれか。雅の恋人か?」
「ち、ち、違いますっ! 雅さんの恋人だなんてそんなっ、畏れ多い!」
「へえ。そんなら遥ちゃん、あいつに片想い中?」
「……片想い……」

 その単語を呟いたのち、遥の頬にじわりと熱が上った。

 片想い。この気持ちは、片想いなのだろうか。

 雅のことは、出逢って間もない頃から素敵な人だと思っていた。
 自分は決して持つことのない、大人の余裕とぶれない心の芯と美しさを持つ人。

 でも今はそんな憧れだけではなく、ただ彼のそばにいたいと思う。

 彼が心からの笑顔でいるために、自分にできる限りのことがしたいと。

「……あー、悪い。もしかして俺、余計なことを言ったか?」
「っ、葉月さん!」
「お?」
「このことは、雅さんにはどうか内密にお願いします。雅さんのことを、いたずらに困らせたくありませんから……っ」

 頬に宿る熱をうまく冷ますことのできないまま、遥は葉月に何度目かわからない頭を下げる。

 雅がこの村に来たのは、年に一度の大切なお役目を果たすためだ。
 変な話を吹き込んで雅の負担を増やすわけにはいかない。

 何より自分は、劇団拝ミ座が好きなのだ。

 雅や和泉に余計な気を遣わせて、今の空気を壊すようなことだけは避けたい。

「私は、今のままで幸せです。拝ミ座の仕事で誰かの役に立てることも、今までの私なら考えられないことでしたから」
「ああ、俺としてはそこも気になるところだな。霊を自分に下ろさせるなんて、なかなかの非日常だろう。怖くないのか?」
「覚悟の上です。それに雅さんが言ってくれましたから。何があっても、命を懸けて守ってくれるって」

 初対面にもかかわらず、真っ直ぐに告げられたあの言葉。

 もちろん、例え「何か」があったとしても雅に命を懸けてほしいとは思っていない。

 それでもあの真摯な気持ちが、今でも遥の心の支えになっている。

「だから私も、躊躇なくその人と一心同体になれるんです。その人の心と誠実に向き合うことも」
「……」
「葉月さん?」
「一心同体、か。なるほどな」

 独り言のように呟いた葉月はまぶたをそっと閉ざす。

 そして次に開かれた瞳は、今いる離れ家の床の間のほうへと向けられた。

「あいつが言うとおり、遥ちゃんに出逢えたことは雅にとっての僥倖だったのかもしれない」
「え?」
「実はなあ遥ちゃん。今いるこの離れ家は元々、雅の双子の姉、優のために設えた部屋なんだ」

 思いがけない話に、遥は目を見開く。

「雅がいつも泊まりに使うもう一つの離れ部屋とは、対になるように設計されている。ほら、建てられた場所も庭園を挟んで隣同士だろう?」
「あ、確かに、その通りですね」

 改めて内装を見てみると、先ほど垣間見た雅のいる離れ家と同じ設えになっている。

 まるで合わせ鏡の部屋のような空間だ、と遥は思った。

「まあ、結局この部屋に優が来ることはなかった。完成するよりも早くに、優は死んじまったからな」

 葉月の眼差しには、遠い懐古の色が宿っていた。

 ふすまに軽く寄りかかった葉月が、腕を組みながら空を見上げる。

 夕焼けはなりを潜め、紺色に滲んだ夜空が広がっていた。
 都内では見ることのできないような細かな星が、数え切れないほどに溢れている。

「そのことを雅は今でも悔いている。きっと二十年経った今でも、ずっと」

 瞬間、夜空をひときわ明るい星が瞬いた気がした。

「雅は、自分のせいで姉が死んだと思っているのさ」



 それは二十年前の初夏のことだったという。

 優が幼いながらにその力を見込まれ、村の外へ出かけていたときのことだ。
 雅と葉月は、村はずれでとある小さな浮遊霊と出逢った。

 名前は忘れたと彼は言った。
 子どもながらすでに霊力は人一倍あった二人だったが、浮遊霊から悪意は感じなかった。

 どうやら彼は自分たちと同世代らしい。

 空に行く前に友達がほしい。
 ずっと床についたまま生きていたから。
 そう語る彼に、雅と葉月は期間限定の友人になることに決めた。

 三人はすぐに打ち解けた。
 大人の目をかいくぐり育む友情は彼らを高揚させた。

 もし霊能力のある大人がそのことを見知ったらこう言っただろう。
 まだ子どものお前たちに、霊の善し悪しを判ずるのは難しい──と。

 それから一週間ほど。
 優が村に帰還する予定だったその日に、事件は起こった。

「俺らが友人としていたその霊は、真実心無垢な少年だった。しかし、村の周囲から密かに力を蓄えていた悪霊が、ある日彼に襲いかかり、力を取り込んだ。俺らと毎日過ごしたことで、彼にも霊力の欠片が日に日に募っていたらしい」

 予想以上の力を手に入れた悪霊は、雅と葉月を襲った。

 そんな事態にいち早く気づいた優が、帰村直後の疲弊した身体を引きずって二人を助けた。

 その時負わされた呪詛の念が元で、優はこの世を去った。

「そのあと、縁戚の元に行くことを決めた雅はこの村を出た。それでもこの時期には必ず帰村し、夜通しかけての過酷なお役目を果たしてる」
「……」
「……遥ちゃん」

 はらはらと頬を伝う遥の涙に、葉月はそっと眉を下げた。
 差し出されたハンカチを、震える指先で何とか受け取る。

「なあ遥ちゃん。君が雅の仕事を手伝うきっかけは何だった?」
「……とある花嫁さんの霊の未練を解消するために、雅さんは花嫁に似た体格の女性を探していました。その後も、私が被憑依者として、雅さんの憑依のお手伝いをすることになって」
「雅はな、元々自分に霊を憑依させることに関しては、優以上に長けていたんだよ」

 思いがけない話に、遥は涙で濡れたままの目を見張る。

「でもその事件があって以降、自分に霊を下ろすことができなくなった」

 自分自身に霊を憑依できなくなったことに気づいた雅は、早々に次期頭領の座を葉月に託した。

 自分の霊能力の神髄と思われた力が、ごっそり削ぎ落ちていることを知ったためだ。
 そんな自分に、村を束ねる資格などない。

 大切な姉さえ救うことができなかったのだから。