そのあと、離れ家から本館へ案内された遥は、美しい庭園の見える客間へ通されていた。
遠くに見える山際に、紅蓮の夕焼けがじわじわと溶けていく。
気づけば女中さんとおぼしき女性が次々と運んでくる料理の山に、遥はただただ目を丸くした。
並んだ御膳は三人分。
しかも並んだ料理は、高級料亭と見まがうほどの会席料理だ。
突然押しかけた身である遥は当然固辞したが、口達者な二人にあっさり言いくるめられてしまった。
「もう夕飯どきだからなあ。遥ちゃんだって、こんなド田舎に来るには時間も体力も使っただろ?」
「葉月の家は昔から旅館も営んでいてね。料理もとても美味しいよ」
「……はい。本当にありがとうございます。いただきます」
深く頭を下げたあと、遥は漆の箸を取り小鉢に手を付けた。
口に寄せるだけで鼻腔をくすぐる煮物の香りに、遥の食欲が一気に刺激される。
「わあ、美味しいです! 山芋がほくほくして、とっても優しい味わいですね」
「でしょう。ここは内陸だから海の幸はないけれど、農業は昔から盛んでね。この煮付け、お浸し、天ぷらの野菜も、白米も、川魚も新鮮なものばかりで美味しいよ」
「雅さんの故郷の味ですね。知ることができて嬉しいです」
自然とこぼれる微笑みとともに、食事を進めていく。
食材本来の味を引き出すような優しい味付けが、疲れた身体にじわりと沁みてくる。
落ち着いた御膳の彩りは、この故郷の村の魅力をそのまま語っている気がした。
「帰省中の雅さんは、毎年葉月さんのご自宅に宿泊していたんですね」
「ああ。あいつは幼なじみで昔から家族ぐるみの付き合いだからな。見ての通り、部屋も余らせるほどある」
「確かに……まるで戦国時代のお城のようですもんね」
「ははっ、それはまた大きく出たなあ」
本気で言ったつもりだが、葉月には冗談に聞こえたらしい。
「あの、雅さん。本当に体調は大丈夫なんですか?」
「大丈夫。さっきは大事をとって床についていただけで、別に体調に問題はなかったんだから」
にっこり笑顔を見せる雅だったが、先ほど離れ家で垣間見た顔色は普段よりさらに白く見えた。
もしかするとこれも、件の「お役目」による影響なのだろうか。
「大丈夫だって遥ちゃん。本当に無茶するようなら、家主の俺が責任持って布団の中にぶち込んでやるから」
心配に眉を下げる遥に、暢気に答えた葉月がもりもりと目の前の食事を平らげていく。
「とはいえお前もあまり自分の体力を過信すんなよ、雅。今年のお前の『役処』も例年と比べて負荷が大きいことは、手紙でも伝えてただろ?」
「わかってる。だからこうして夕暮れ時まで休息を取っていたでしょ?」
「ま、これ以上横になってちゃ逆に夜に支障が出るか」
けたけた笑う葉月とむすくれる雅を、遥はそっと見比べる。
昔からの付き合いがあるからか、葉月に見せる雅の表情はどこか幼い。
劇団拝ミ座の頭領としてのそれとは異なる姿に、胸の奥がほっと温かくなるのを感じた。
「葉月さんは、雅さんとは本当に兄弟のような間柄なんですね」
「お、わかる? 俺のほうが一つ上だから、俺が兄、雅が弟ってところだな」
「葉月が本当の兄貴だったら、逆にここまで仲良くしてなかったと思うけどね」
「おいおい。お前も#優__ゆう__#と同じことを言うようになったよな」
「優さん、ですか?」
さらりと出された人物の名を、何の気なしに口にする。
そのとき、客間の空気が一瞬動きを止めた。
雅と葉月の視線が素早く交わされる。
口を開いたのは、雅のほうだった。
「遥ちゃんにはまだ話してなかったね。優っていうのは、俺の双子の姉だよ」
「雅さんのお姉さん……」
「うん。十歳の時に霊能事故に巻き込まれて亡くなったから、今はもういないけれどね」
穏やかな口調で語られることに、遥ははっと目を見張る。
雅の家族はすでに亡くなったと聞いていた。
あれは双子の姉も含まれていたのか。
「優は霊能の力も天下一品でなあ。こいつと顔も似ていてな、相当の別嬪だった。今生きていりゃあ間違いなく、あいつがこの村を収めていただろうなあ」
「そうだったんですか……すごい方だったんですね」
「うん。優は俺の自慢の姉だよ」
当然のように告げる雅は、嬉しそうに微笑んだ。
「俺ら三人は世代も家も近かったから、よく遅くまで遊んでたんだ。この村は遊び回れる場所も多いから」
「そんでよく大人たちに怒られていたっけなあ。なまじ霊能の高い三人がつるんでるから、妙な現象にもしょっちゅう巻き込まれてよ」
「ふふ。その力もあって、葉月さんが今の村の頭領に選ばれたんですね?」
「いんや。純粋に力だけで言えば、俺よりも雅のほうが数段強いさ」
言いながら、葉月は焼き魚を慣れた手つきで食べ進めていく。
「こいつが村を出るって話が出たときも、それはもう揉めたんだ。なんならウチの養子になる話も出たりしてな。でもこいつはみんなに迷惑を掛けるわけにはいかないの一点張りでよ」
「村の頭領になるための必要なのは、単に霊能の強さだけじゃないでしょ。何より、自分自身に霊を下ろすことができない半端者にそんな役職は不相応だからね」
「……まだ、戻らねえのか?」
え、と声が出そうになった。
まだ戻らない。
今の葉月の言葉は、いったいどういう意味だろう。
「うん。でもまあ、悪いことばかりじゃあないよ。それがなかったら今の仕事を立ち上げなかったし、和泉や遥ちゃんにも出逢うことはなかった」
「っ……」
ふわりと柔らかな微笑みで見つめられ、胸の奥がぎゅっと切なくなる。
自分との出逢いが、雅にとって幸運に振り分けられていることは素直に嬉しい。
それでも、雅がこの村で経験したたくさんの人との別れと帳消しにするには、余りに荷が重すぎる。
「心配いらねーよ、遥ちゃん」
「えっ」
「確かにこいつの顔色は、前回と比べて幾分か良さそうに見える」
「お陰さまでね」
じっと見合っていた二人が、同じタイミングでふっと微笑む。
そんな二人のやりとりを、遥はただ静かに見守っていた。
遠くに見える山際に、紅蓮の夕焼けがじわじわと溶けていく。
気づけば女中さんとおぼしき女性が次々と運んでくる料理の山に、遥はただただ目を丸くした。
並んだ御膳は三人分。
しかも並んだ料理は、高級料亭と見まがうほどの会席料理だ。
突然押しかけた身である遥は当然固辞したが、口達者な二人にあっさり言いくるめられてしまった。
「もう夕飯どきだからなあ。遥ちゃんだって、こんなド田舎に来るには時間も体力も使っただろ?」
「葉月の家は昔から旅館も営んでいてね。料理もとても美味しいよ」
「……はい。本当にありがとうございます。いただきます」
深く頭を下げたあと、遥は漆の箸を取り小鉢に手を付けた。
口に寄せるだけで鼻腔をくすぐる煮物の香りに、遥の食欲が一気に刺激される。
「わあ、美味しいです! 山芋がほくほくして、とっても優しい味わいですね」
「でしょう。ここは内陸だから海の幸はないけれど、農業は昔から盛んでね。この煮付け、お浸し、天ぷらの野菜も、白米も、川魚も新鮮なものばかりで美味しいよ」
「雅さんの故郷の味ですね。知ることができて嬉しいです」
自然とこぼれる微笑みとともに、食事を進めていく。
食材本来の味を引き出すような優しい味付けが、疲れた身体にじわりと沁みてくる。
落ち着いた御膳の彩りは、この故郷の村の魅力をそのまま語っている気がした。
「帰省中の雅さんは、毎年葉月さんのご自宅に宿泊していたんですね」
「ああ。あいつは幼なじみで昔から家族ぐるみの付き合いだからな。見ての通り、部屋も余らせるほどある」
「確かに……まるで戦国時代のお城のようですもんね」
「ははっ、それはまた大きく出たなあ」
本気で言ったつもりだが、葉月には冗談に聞こえたらしい。
「あの、雅さん。本当に体調は大丈夫なんですか?」
「大丈夫。さっきは大事をとって床についていただけで、別に体調に問題はなかったんだから」
にっこり笑顔を見せる雅だったが、先ほど離れ家で垣間見た顔色は普段よりさらに白く見えた。
もしかするとこれも、件の「お役目」による影響なのだろうか。
「大丈夫だって遥ちゃん。本当に無茶するようなら、家主の俺が責任持って布団の中にぶち込んでやるから」
心配に眉を下げる遥に、暢気に答えた葉月がもりもりと目の前の食事を平らげていく。
「とはいえお前もあまり自分の体力を過信すんなよ、雅。今年のお前の『役処』も例年と比べて負荷が大きいことは、手紙でも伝えてただろ?」
「わかってる。だからこうして夕暮れ時まで休息を取っていたでしょ?」
「ま、これ以上横になってちゃ逆に夜に支障が出るか」
けたけた笑う葉月とむすくれる雅を、遥はそっと見比べる。
昔からの付き合いがあるからか、葉月に見せる雅の表情はどこか幼い。
劇団拝ミ座の頭領としてのそれとは異なる姿に、胸の奥がほっと温かくなるのを感じた。
「葉月さんは、雅さんとは本当に兄弟のような間柄なんですね」
「お、わかる? 俺のほうが一つ上だから、俺が兄、雅が弟ってところだな」
「葉月が本当の兄貴だったら、逆にここまで仲良くしてなかったと思うけどね」
「おいおい。お前も#優__ゆう__#と同じことを言うようになったよな」
「優さん、ですか?」
さらりと出された人物の名を、何の気なしに口にする。
そのとき、客間の空気が一瞬動きを止めた。
雅と葉月の視線が素早く交わされる。
口を開いたのは、雅のほうだった。
「遥ちゃんにはまだ話してなかったね。優っていうのは、俺の双子の姉だよ」
「雅さんのお姉さん……」
「うん。十歳の時に霊能事故に巻き込まれて亡くなったから、今はもういないけれどね」
穏やかな口調で語られることに、遥ははっと目を見張る。
雅の家族はすでに亡くなったと聞いていた。
あれは双子の姉も含まれていたのか。
「優は霊能の力も天下一品でなあ。こいつと顔も似ていてな、相当の別嬪だった。今生きていりゃあ間違いなく、あいつがこの村を収めていただろうなあ」
「そうだったんですか……すごい方だったんですね」
「うん。優は俺の自慢の姉だよ」
当然のように告げる雅は、嬉しそうに微笑んだ。
「俺ら三人は世代も家も近かったから、よく遅くまで遊んでたんだ。この村は遊び回れる場所も多いから」
「そんでよく大人たちに怒られていたっけなあ。なまじ霊能の高い三人がつるんでるから、妙な現象にもしょっちゅう巻き込まれてよ」
「ふふ。その力もあって、葉月さんが今の村の頭領に選ばれたんですね?」
「いんや。純粋に力だけで言えば、俺よりも雅のほうが数段強いさ」
言いながら、葉月は焼き魚を慣れた手つきで食べ進めていく。
「こいつが村を出るって話が出たときも、それはもう揉めたんだ。なんならウチの養子になる話も出たりしてな。でもこいつはみんなに迷惑を掛けるわけにはいかないの一点張りでよ」
「村の頭領になるための必要なのは、単に霊能の強さだけじゃないでしょ。何より、自分自身に霊を下ろすことができない半端者にそんな役職は不相応だからね」
「……まだ、戻らねえのか?」
え、と声が出そうになった。
まだ戻らない。
今の葉月の言葉は、いったいどういう意味だろう。
「うん。でもまあ、悪いことばかりじゃあないよ。それがなかったら今の仕事を立ち上げなかったし、和泉や遥ちゃんにも出逢うことはなかった」
「っ……」
ふわりと柔らかな微笑みで見つめられ、胸の奥がぎゅっと切なくなる。
自分との出逢いが、雅にとって幸運に振り分けられていることは素直に嬉しい。
それでも、雅がこの村で経験したたくさんの人との別れと帳消しにするには、余りに荷が重すぎる。
「心配いらねーよ、遥ちゃん」
「えっ」
「確かにこいつの顔色は、前回と比べて幾分か良さそうに見える」
「お陰さまでね」
じっと見合っていた二人が、同じタイミングでふっと微笑む。
そんな二人のやりとりを、遥はただ静かに見守っていた。