どこか豪胆な声とともに、目の前の門がゆっくりと開かれる。

 石畳の長い道に導かれるように建つ豪邸を背に、一人の男が立っていた。

 雅を超すほどの長身は、あちこちが筋張っているほどに体躯が良い。
 黒の短髪に肌の色はうっすら小麦色で、快活な笑顔を浮かべる口元に白い八重歯がにかっと覗いている。

 何より意志の強そうな目元が、じいっと隈なく遥を凝視した。

「あ、あ、あの」
「ああ、まずは自己紹介だな。俺はこの家の現当主、高御堂葉月だ」
「あ、あなたが、葉月さん……!」

 話題にのみ挙がっていた名前を、遥は思わず声に出す。

 雅と兄弟のように育ち、今も親交のある幼なじみ。

 そして雅をこの地に呼ぶため、あの手紙を送った張本人でもあった。

「あんたが最近雅の拝ミ座に加わったお嬢ちゃん……小清水遥、といったか」
「えっ、どうして私の名前を?」
「一刻前に、拝ミ座の和泉から連絡を受けた。あんたがウチを訪ねてくるだろうからよろしく頼むってな」
「和泉さん……」

 わざわざそんな連絡を入れてくれていたのか、と素直に驚く。

 そんな様子を見透かしたように、葉月は肩を揺らしながら歩みを向けた。

「あいつも素直じゃないところあるからなー。珍しい頼まれごとだ。きっちり世話をさせてもらわねえとな」
「わっ」

 にかっと笑みを浮かべた葉月が、遥のキャリーバッグをひょいと肩に担ぐ。
 まるで小型のボストンバッグを肩に掛けるような仕草に、遥は目を丸くした。

「あの、結構です。自分の荷物は自分で運びますのでっ」
「いいからいいから。ここまでの道中長かっただろー? 別に取って食いはしねーから、大人しくそこの案内役の猫ちゃんでも撫でて甘えとけって」

 猫ちゃんと称された猫又は、不服そうにジト目で葉月を見遣る。

 さらに「案内役」と告げた葉月に、遥はますます目を見張った。

「もしかすると、ぶーちゃんさんをわざわざ私の元に遣わせたのは葉月さんだったんですか」
「そーいうこと。あんたが少しばかり見えざる者に好かれやすいっていうのは、幼なじみから聞いてたんでね」

 幼なじみ。

 その単語に、遥の胸がどくんと打ち付ける。

「雅に会いに来たんだろう? あいつは今、俺んちの離れの部屋にいる」



「遥ちゃん?」

 広いお屋敷内を抜け、庭先に設けられた立派な離れ家。

 そこで遥を出迎えたのは、敷き布団の中で読み物をする寝間着姿の雅だった。

「み、雅さん。その、お久しぶりですっ」

 一昨日まで一緒に働いていたのだから、久しくもなんともない。

 それでも、そんな突っ込みを忘れるほどに雅は驚いている様子だった。

「遥ちゃんがどうしてこんなところに……もしかして、俺がいないうちに何かトラブルでもあった? 悪い霊に取り憑かれてこんな辺鄙なところまで来る羽目になったとか?」
「おいおーい。仮にも自分の故郷でしょうよ。もっと慈しんでくれますかね雅サン」

 遥の背後から、家主の葉月の呆れ声が届く。
 遥もすかさず首を横に振った。

「違います! その、実はついさっき和泉さんに雅さんの故郷のお話を聞きまして。私、残りの休みも特に予定がないままだったので、せっかくの機会だし、このまま雅さんの生まれ故郷に遠出してみようかなあーなんて思ってしまって……ははは」

 笑いがひくついているのが、自分でもよくわかる。

 電車に揺られながら何度も繰り返していた、雅に対面したときの言い訳。
 それはいざ自分の耳で聞いてもなんとも信憑性の低い、でまかせ感満載なものだった。

 視線を伏せ冷や汗を掻く遥だったが、手にしていた本をパタンと閉じる音がかすかに届く。

「遥ちゃん」
「は、はいっ」
「それってつまり……さっきまで遥ちゃんと和泉がいっしょだったってこと?」
「はいっ、……へ?」

 息を呑み込むように肯定をした遥は、数手遅れて目瞬かせる。

 そろりと顔を上げると、にっこり笑顔を浮かべた雅がいた。

 しかし、その背後には何やらマグマのように熱い怒りが見える気がする。

 ああ、やはり、帰省中の突撃は常識がなさ過ぎた。

「突然押しかけてしまって、本当にすみません! でも私、雅さんのことがどうしても気になってしまって……!」
「……俺のこと?」
「だって雅さん、ここ数日何だか様子が変で。いつも通り笑ってくれていても心が別のところを見ている気がして」

 両手の指を絡め、ぎゅうっと力を込める。

 不安だった。
 雅がこのまま自分の目の前から消えてなくなってしまうような気がした。

 目の奥に熱いものがこみ上げてくるのを感じながら、遙は雅の布団の脇にそっと膝をつく。

「私、雅さんの力になりたいんです。何ができるのかはわかりません。でも、私にできることなら何でもします……!」

 遥の誓いのような声は、周囲を園庭で囲まれた離れ家に淡くこだました。

 さわさわと当たりの木々を揺らす風の音が、しばらく室内を満たす。

「遥ちゃん」
「はい」
「ほんと……君って子は」

 呆れられてしまっただろうか。
 小さく肩を揺らした遥だったが、ふと頭に降りてきた温かな感触に気づく。

 幾度となく遥の心を癒やしてくれた、雅の大きな手のひらだった。

「せっかくの夏休みなのに、俺のことを心配してわざわざ来てくれたんだね」
「あ……」
「さっきは、不機嫌な声出してごめんね。ありがとう。すごく嬉しい」

 白の寝間着を身にまとった雅は、そう言って優しく笑った。