「……はい!」
大きく頷いた遥は、再び草むらをかき分けての捜索を再開する。
立ち入ってみてわかったが、ここの斜面の草は想像以上に背が高い。
しっかり根元からかき分けなければ、地面に落ちた缶詰も見落としてしまう可能性もあった。
一歩踏み出すたびに、両腕の力を目一杯にこめる。
「あ。もしかしてこれかな。遥ちゃんが囮にした、桃の缶詰」
「うう、でも、肝心の猫缶がどこにも……、あれ?」
感じ取れたのは、足元に感じた小さな衝撃だった。
たぶん石じゃない。
今の跳ね返りのいい感触は、もしかして。
「雅さん、ありました! 私の爪先に今……、きゃっ!」
慌てて身を屈めようとした、そのときだった。
水を含んでいたらしい地面がずっと大きくずれ、遥の身体がぐらりと傾く。
妙な浮遊感に、遥は反射的にまぶたを閉じた。
「遥ちゃん!」
耳をつんざくような声。
次の瞬間、よろめいた身体がぐっと大きな力で支えられた気がした。
優しい温もりに包まれるのを感じ、恐る恐る目を開く。
「ふう……、本当、遥ちゃんは危なっかしいなあ」
「っ、あ……」
雅の端正な顔が、今までにないほどに近い。
ふと頬をかすめた茶髪の癖毛がくすぐったくて、呆然とする遥の意識を徐々に覚醒させていく。
危うく坂を転がりかけた遥の身体は、雅の片腕によってなんとか抱き留められていた。
「あ、ご、ごめんなさ……も、大丈夫です……!」
「あーあー、駄目駄目ちょっと待っててね。ちゃんと足場を確認しなくちゃ」
雅は抱き込んだ遥に代わって、周辺の地面の状況をチェックする。
その間、遥はいよいよ雅の胸元に閉じ込められたような形になっていた。
鼻先に、雅の服が軽くこすれる。
包まれたその温もりはとても優しくて、胸がぎゅうっと甘く締めつけられるのがわかった。
「はい。ゆっくり足をついて」
「は、はい……」
言われたとおり、ゆっくり慎重に足を着地させる。
何度かぐ、ぐ、と横滑りの確認をしたあと、遥は細長い息をついた。
「大丈夫だった? 痛いところはない?」
「はい。雅さんのお陰で平気です。お手を煩わせてしまって、本当にすみませんでした……っ」
今回こそ雅の力を借りずに役に立ちたいと思っていたのに、結局また守られてしまった。
情けなさと恥ずかしさから顔を上げられずにいると、頭に大きな手のひらが触れたことに気づく。
「俺は遥ちゃんを守っただけ。手を煩わされてなんていないよ」
「雅さん……」
「むしろ遥ちゃんが頑張ったお陰で、ほら」
足元を指さす雅に、遥も自然を視線を下げる。
そこには、遥と雅の靴に挟まれるようにして手のひらサイズの缶詰が佇んでいた。
ラベルに猫のプリントもされている。
間違いない。
二ヶ月前に和佳子が落としてしまった猫缶だ。
「よかった……やっと見つけられましたね!」
「あ。遥ちゃん待って、ストップ」
今度こそ慎重に猫缶に手を伸ばした遥を、雅がとどめる。
ピタリと止まった遥の手を追い抜くようにして、雅が素早く猫缶を拾い上げた。
「雅さん?」
「遥ちゃんは、この猫缶に残る和佳子さんの想いを知りたいと思ったんでしょう。でも、万一強い想いに当てられる可能性もある」
そう言うと、雅はそっと遥の片手をすくい上げた。
突然包まれた手の温もりに、遥は戸惑いながら雅を見つめる。
「俺がこうして手を繋いでいれば、遥ちゃんが倒れそうになっても支えることができるからね」
「あ……」
柔らかく微笑む雅に、じわりと胸が温かくなる。
遥のことをよく見て、よく考え、あるいは遥自身よりも心配してくれているのがわかった。
雅こそ、他の誰よりも心が真っ直ぐだ。
その一途な優しさを、何故遥へ向けてくれるのだろう。
「はい。今度こそ、安心してどうぞ」
「ありがとうございます。雅さん」
気持ちを引き締め、静かに息を整える。
心が穏やかになったのを確認して、遥はそっと雅の持つ猫缶に手を伸ばした。
そして次の瞬間、指先からほんのりと温かな記憶の欠片が流れ込んでくる。
この風景は自宅マンションの一室だろうか。
この猫缶を手にしていたとき、和佳子は穏やかな自宅でのひとときに思いを馳せていたのかもしれない。
多忙な日々の中の癒やしだったであろう、愛猫との日常風景を。
「……え?」
猫缶に宿された想いを受け取った遥は、短く呟くと目を丸く見開いた。
ぱちぱち、と幾度か瞬きをしたあと、こちらを見つめる雅と視線が交わる。
「遥ちゃん?」
「……二十代後半らしい女性と、一匹の猫が見えました。女性はミディアムヘアの黒髪で、少し垂れ目の柔らかい印象の人でした。服装はグレーのパンツスーツで、赤茶色のレザーバッグを抱えていたと思います」
「うん。和佳子さんで間違いないね」
雅が依頼人として「視て」きた女性と特徴が同じらしい。
しかし、遥が虚を突かれた理由は和佳子についてではなかった。
「それから……一緒に暮らしていた猫さんは、話の通り白黒のブチ猫でした。毛艶がよくて、よくお世話されていたようです。ただ……」
戸惑いをはらんだ言葉が、一度途切れる。
でも間違いない。
今自分に流れ込んできた映像には、はっきりとそれが映っていた。
「猫さんは、出社する和佳子さんを窓辺から見送っているところでした。そのふわふわと揺れるブチ柄の尻尾が──#二本__・__#、生えていたんです」
大きく頷いた遥は、再び草むらをかき分けての捜索を再開する。
立ち入ってみてわかったが、ここの斜面の草は想像以上に背が高い。
しっかり根元からかき分けなければ、地面に落ちた缶詰も見落としてしまう可能性もあった。
一歩踏み出すたびに、両腕の力を目一杯にこめる。
「あ。もしかしてこれかな。遥ちゃんが囮にした、桃の缶詰」
「うう、でも、肝心の猫缶がどこにも……、あれ?」
感じ取れたのは、足元に感じた小さな衝撃だった。
たぶん石じゃない。
今の跳ね返りのいい感触は、もしかして。
「雅さん、ありました! 私の爪先に今……、きゃっ!」
慌てて身を屈めようとした、そのときだった。
水を含んでいたらしい地面がずっと大きくずれ、遥の身体がぐらりと傾く。
妙な浮遊感に、遥は反射的にまぶたを閉じた。
「遥ちゃん!」
耳をつんざくような声。
次の瞬間、よろめいた身体がぐっと大きな力で支えられた気がした。
優しい温もりに包まれるのを感じ、恐る恐る目を開く。
「ふう……、本当、遥ちゃんは危なっかしいなあ」
「っ、あ……」
雅の端正な顔が、今までにないほどに近い。
ふと頬をかすめた茶髪の癖毛がくすぐったくて、呆然とする遥の意識を徐々に覚醒させていく。
危うく坂を転がりかけた遥の身体は、雅の片腕によってなんとか抱き留められていた。
「あ、ご、ごめんなさ……も、大丈夫です……!」
「あーあー、駄目駄目ちょっと待っててね。ちゃんと足場を確認しなくちゃ」
雅は抱き込んだ遥に代わって、周辺の地面の状況をチェックする。
その間、遥はいよいよ雅の胸元に閉じ込められたような形になっていた。
鼻先に、雅の服が軽くこすれる。
包まれたその温もりはとても優しくて、胸がぎゅうっと甘く締めつけられるのがわかった。
「はい。ゆっくり足をついて」
「は、はい……」
言われたとおり、ゆっくり慎重に足を着地させる。
何度かぐ、ぐ、と横滑りの確認をしたあと、遥は細長い息をついた。
「大丈夫だった? 痛いところはない?」
「はい。雅さんのお陰で平気です。お手を煩わせてしまって、本当にすみませんでした……っ」
今回こそ雅の力を借りずに役に立ちたいと思っていたのに、結局また守られてしまった。
情けなさと恥ずかしさから顔を上げられずにいると、頭に大きな手のひらが触れたことに気づく。
「俺は遥ちゃんを守っただけ。手を煩わされてなんていないよ」
「雅さん……」
「むしろ遥ちゃんが頑張ったお陰で、ほら」
足元を指さす雅に、遥も自然を視線を下げる。
そこには、遥と雅の靴に挟まれるようにして手のひらサイズの缶詰が佇んでいた。
ラベルに猫のプリントもされている。
間違いない。
二ヶ月前に和佳子が落としてしまった猫缶だ。
「よかった……やっと見つけられましたね!」
「あ。遥ちゃん待って、ストップ」
今度こそ慎重に猫缶に手を伸ばした遥を、雅がとどめる。
ピタリと止まった遥の手を追い抜くようにして、雅が素早く猫缶を拾い上げた。
「雅さん?」
「遥ちゃんは、この猫缶に残る和佳子さんの想いを知りたいと思ったんでしょう。でも、万一強い想いに当てられる可能性もある」
そう言うと、雅はそっと遥の片手をすくい上げた。
突然包まれた手の温もりに、遥は戸惑いながら雅を見つめる。
「俺がこうして手を繋いでいれば、遥ちゃんが倒れそうになっても支えることができるからね」
「あ……」
柔らかく微笑む雅に、じわりと胸が温かくなる。
遥のことをよく見て、よく考え、あるいは遥自身よりも心配してくれているのがわかった。
雅こそ、他の誰よりも心が真っ直ぐだ。
その一途な優しさを、何故遥へ向けてくれるのだろう。
「はい。今度こそ、安心してどうぞ」
「ありがとうございます。雅さん」
気持ちを引き締め、静かに息を整える。
心が穏やかになったのを確認して、遥はそっと雅の持つ猫缶に手を伸ばした。
そして次の瞬間、指先からほんのりと温かな記憶の欠片が流れ込んでくる。
この風景は自宅マンションの一室だろうか。
この猫缶を手にしていたとき、和佳子は穏やかな自宅でのひとときに思いを馳せていたのかもしれない。
多忙な日々の中の癒やしだったであろう、愛猫との日常風景を。
「……え?」
猫缶に宿された想いを受け取った遥は、短く呟くと目を丸く見開いた。
ぱちぱち、と幾度か瞬きをしたあと、こちらを見つめる雅と視線が交わる。
「遥ちゃん?」
「……二十代後半らしい女性と、一匹の猫が見えました。女性はミディアムヘアの黒髪で、少し垂れ目の柔らかい印象の人でした。服装はグレーのパンツスーツで、赤茶色のレザーバッグを抱えていたと思います」
「うん。和佳子さんで間違いないね」
雅が依頼人として「視て」きた女性と特徴が同じらしい。
しかし、遥が虚を突かれた理由は和佳子についてではなかった。
「それから……一緒に暮らしていた猫さんは、話の通り白黒のブチ猫でした。毛艶がよくて、よくお世話されていたようです。ただ……」
戸惑いをはらんだ言葉が、一度途切れる。
でも間違いない。
今自分に流れ込んできた映像には、はっきりとそれが映っていた。
「猫さんは、出社する和佳子さんを窓辺から見送っているところでした。そのふわふわと揺れるブチ柄の尻尾が──#二本__・__#、生えていたんです」