霊体になった和佳子は、生前の細かな記憶もところどころ薄れているらしい。

 雅に告げられた「和佳子さんのことなら、どんな些細なことでも拾い集めてきてね」という言葉の通り、昼休憩を終える頃には遥のメモ帳は文字が真っ黒に埋め尽くされていた。

「すごいねえ。こんなにたくさんの話を引き出すことができたんだ。これも遥ちゃんの人柄のお陰だね」
「ところどころ解読不能な文字があるがな」
「すみません。読めないところは、私が代読しますので……!」

 終業時間を向かえた夜十九時。

 連絡を取り合い落ち合った拝ミ座の三人は、駅とは反対方向の大通りに向かって歩みを進めていた。

 日が沈んだあとの夜道とはいえ、雅と和泉の二人はやはり周囲の人の目を引いてしまうようだ。
 その間に挟まれている自分がどう捉えられているのかは、あえて考えないようにしよう。

「北園和佳子さん。A編集プロダクション企画課第二部所属、勤続六年目。独身、恋人はなし。誕生日八月七日、血液型A型……へええ、成美さんって、和佳子さんのことをかなり細かく知ってたんだねえ」
「はい。入社して右も左もわからない頃から、昼食によく誘ってもらっていたらしくて、プライベートなお話も自然とするようになったんだそうです」

 他にも、成美は和佳子のことをよく思い出してくれた。

 入社当初から仕事にのめりこみ、知らずのうちに昇格していたほどの仕事好きだったこと。
 出かけ先でも気になったことはすぐメモ、素敵なものはすぐに写真を撮るのが癖だったこと。
 社内のやっかみもさらりとかわす格好いい女性だったこと。

 横断歩道の信号を待ちながら、遥は手元のメモ帳に視線を落とす。

「それから、和佳子さんはマンションで猫を飼っていたみたいですね」
「へえ、猫?」
「はい。和佳子さんの話では、黒と白のブチ猫さんだったそうです。成美さんは見たことがないそうですが、とても可愛がっていたようですよ」

 その愛猫の影響からか、和佳子の持ち物はブチ猫柄のものが日に日に増えていたらしい。

「成美さんも猫好きで、よく話が盛り上がったそうですね。昨日、成美さんが鞄につけていたブチ猫のキーホルダーも、和佳子さんからプレゼントされたものだそうです」
「確かに、駅前広場で襲われたとき、猫のキーホルダーを大切そうに握りしめていたね」

 さすが雅だ。
 些細な人の動作をよく記憶している。

「以前仕事でミスをして落ち込んでいた成美さんに、和佳子さんがお守り代わりに贈ってくれたそうです。自分の家の猫みたいに、きっとあなたにも元気を分けてくれるからって」
「なるほどね」

 何か納得した様子で、雅が小さく顎を擦る。
 その横顔に声をかけようかと思った矢先、信号が青になった。

 その他にも色々と成美からのエピソードトークを報告するうちに、三人は今晩の目的の場所までやってきた。

「ここか。依頼人が落下したという歩道橋は」
「はい……そうですね」

 静かに確認する和泉の言葉に、遥は小さく頷く。

 そこには、通行の多い二車線道路に大きな歩道橋が架けられていた。

 左右両端に二本ずつの階段がのびている、よく見かける形態のものだ。
 この歩道橋を渡った向こう側に見えるマンションに、和佳子は生前住んでいたという。

 亡くなったのは、不幸な事故だったらしい。

 会社からの帰宅途中、この歩道橋の上から誤って落ちてしまったのだ。

「階段を踏み外す瞬間を目撃していた方もいたそうで、それはまず間違いないというお話でした」
「ああ、向こう側だね。花が供えられてる」
「あ……」

 三人が歩いてきた方向とは逆に伸びる階段下に、いくつもの花がひっそりと置かれていた。
 中には猫をあしらったぬいぐるみも見られ、遥の胸がきゅっと苦しくなる。

「和佳子さんは、たくさんの人から慕われていたんですね」
「うん。そうだね」
「おい新人。これを」
「ありがとうございます、和泉さん」

 和泉は道中抱えていた供花を差し出し、受け取った遥はその場に屈んだ。

 歩行者の邪魔にならない箇所に寄せ置くと、静かに手を合わせる。

 私たちが必ず貴方の未練を解いてみせます。
 だからどうか安心して待っていてください。

 まぶたを開くと、雅と和泉も同様に手を合わせている。
 双眼を閉ざす二人が、車のテールランプに淡く照らされていた。

「和佳子さんの死については、恐らく事件性はないみたいだね。駅前広場の切り裂き事件のように、霊の類いが悪さをした気配も残っていない」

 雅によれば、そういった事象があった場所には特有の「匂い」がするらしい。
 和泉も同意するようにまぶたを静かに閉ざした。

 遥には全く感じ取れないものではあるが、彼らがそう言うのならば間違いないのだろう。

「とはいえ、少し気になることもあるかな」
「気になること、ですか?」

 思わず聞き返した遥に、雅がこくりと頷いた。

「和佳子さんの自宅マンションは、この歩道橋を渡った向こう側だよね。つまり和佳子さんにとっての会社から自宅までの最短ルートは、こちらの階段じゃなく向こうの階段のはずじゃない?」
「あ……!」

 確かに、雅の言うとおりだ。

 今遥たちは、会社方面から歩いてきた。
 普通に考えれば歩道橋も遠回りすることなく、会社方面に伸びる側の階段を使うだろう。

 しかし、和佳子が落下したのは逆側の階段だった。

 歩道橋を上りきったタイミングでふらついてしまったのだろうか。
 それとも、何か理由があってこちらの階段を使った?

「こちら側に用事があるとすれば、すぐそこにあるコンビニくらいか」

 雅の考えを読んでいたかのように、和泉がすぐそばに佇むコンビニの店舗に視線を向けた。

「確かに、会社帰りにコンビニに寄ることはよくあることですよね。亡くなる直前の和佳子さんは、プロジェクトリーダーを務めていて本当に多忙だったようですから」

 だとすれば、食事を作る手間を省くためにコンビニに寄ったとしても何ら不思議ではない。

 だけど、何だろう。
 何かもっと他に理由があるような気がする。

「あの」