翌日は本業が休みだったため、遥は拝ミ座に赴いていた。

「つまり、昨夜お前が新人の勤務先近くに赴いたのも、その新規の依頼があってということだな」
「うん。そういうことだね」

 居間に置かれた円卓を囲い、遥と雅、和泉の三人が座していた。

 遥の淹れた緑茶を喉に通し、雅がゆっくりと語り出す。

「依頼人の名前は#北園__きたぞの__##和佳子__わかこ__#さん。昨日遥ちゃんが庇った成美さんの先輩だね。昨日の夕刻時にこの拝ミ座に来てくれたんだ」

 戸惑い顔の和佳子ではあったが、自分がすでに生きていないことは理解していたらしい。

「その先輩……和佳子さんは、どういった依頼をされたんですか」
「うん。最初に話してくれたのは、やっぱり例の切り裂き事件のことだったよ。自分の元勤め先で心霊現象が起こっている。生前の後輩たちも被害に遭っていて、しかも犯人は自分ということになっているらしい。身に覚えのないことでどうにかしたらいいかって、とても困惑していた」

 和佳子さんも、成美の噂のことは見聞きしていたのか。

 酷く傷ついたに違いない彼女を想い、遥の胸がぎゅっと苦しくなる。

「じゃあ、今回起こっている事件を解決することが、彼女の未練なんですね?」
「うーん。もちろんそれもあるみたいだけれど、どうもそれだけじゃないようでね」

 雅はそう言うと、開け放たれた障子窓の奥に広がる青空を仰いだ。
 高い空には、名のわからない鳥が気持ちよさそうに旋回している。

「彼女は、何か大きな未練を残して亡くなったからここに来た。でも、その未練を思い出せないようなんだ」
「未練を思い出せない……ですか?」
「別に珍しいことじゃあない。自分を#現世__うつしよ__#に縛り付ける未練がわからないために、永らくこの地を彷徨う霊も多いからな」

 傍らで話を聞いていた和泉が、まぶたを伏せたまま口を開く。

 それでも解決の光を見いだしたい彼女は、この劇団拝ミ座までたどり着いたのだ。

「まずは俺たちで、彼女の未練の欠片を探してみよう。もちろん、切り裂き事件も解決するよ。なんてったって遥ちゃんが被害に遭ったんだからね」

 外から流れてきた晩春の薫りが、緩やかに雅の髪を揺らした。

 いつも飄々としている彼の空気が、凜と研ぎ澄まされる。

 この瞬間はいつも、やはり雅は劇団拝ミ座の当主なのだなと実感するのだった。



 翌々日、オフィスに出勤した遥は早速行動を開始した。

「小清水さん! お待たせしました」
「成美さん」

 昼休憩の時間帯。

 遥は三日前に切り裂き未遂を受けた成美と、再び顔を合わせていた。

 幾多の会社が内在するオフィスビルは、昼頃になると人の出入りが急増する。

 二人は早々にビルをあとにすると、前回も訪れた遥行きつけのカフェレストランを訪れた。

「このレストラン、とてもいい雰囲気ですよね。昨日連れてきていただいたとき、今度また来ようなんて密かに思っていたんです」
「実はここ穴場なんですよ。会社の人もあまり知らない、静かに食事をとりたいときにはぴったりの場所です」

 ふふ、と笑みを交わし合う。

 先日の成美は事件直後ということもあり顔色が酷かったが、どうやら少し元気を取り戻せたようだ。

 桃色がほんのり差した頬に、緩やかに巻かれた淡い栗色の髪。
 加えて愛嬌のある表情に、こちらまで自然と元気をもらえるような女性だ。
 亡くなった和佳子がよく世話をしたくなるのもわかる気がする。

 オーダーしたメニューが揃い、笑顔で食事を取り始める。
 頃合いを見計らい、遥はそっと口を開いた。

「実は、成美さんに少しお伺いしたいことがあるんです。もちろんお話しできる範囲のことで全く構わないんですが……その、先日お話しいただいた、亡くなった先輩について」
「はい。もしかしたら、そのお話かも知れないと思っていました。あんな話を聞いてしまったら、誰だって気になってしまいますよね。小清水さんを傷つけた犯人が、先輩の幽霊かもしれないだなんて」

 逆に申し訳ないといったように、成美は眉を下げた。

 慌てて遥は首を横に振る。

「違います違います。私、成美さんの先輩が犯人だとは、本当に思っていないんです」
「小清水さん……」
「ただ、もしも亡くなった先輩が今回の事件を耳にしていたとしたら……きっと先輩も心を痛めているに違いないと思っています。成美さんに心から慕われていた優しい先輩なら、きっと」
「はい。その通りだと思います」

 静かに頷く成美に、遥は小さく小さく息を整えた。

「成美さん。昨日ここに来たときにいた、もう一人の男の人のことを覚えていますか」
「もちろんです。とても格好良い方でしたよね。見たとき、芸能人かモデルの方かと思いました」
「ええっとですね。実はあの人、亡くなった人の姿を視ることができる、いわゆる霊視ができるんです」
「……えっ?」

 成美は、きょとんと目を丸くする。
 確かに突飛な話で、驚いてしまうのも無理はない。

「今回の事件のことも、もしかしたら何かお役に立てるかもしれないと言っていました。なので可能であれば、生前の先輩のことを教えてくださると有り難い、と……」

 この話は、亡き先輩・和佳子のことをより詳しく知るために、雅自身の勧めで明かしたことだった。
 もともと霊視が前提の仕事であるから、周囲に知られることは特に支障もないらしい。

 和佳子の霊から依頼があった点については守秘義務があるため明かせないが、果たして成美の反応はいかがなものだろう。

 内心緊張しながら返答を待っていた遥だったが、やがて何か咀嚼したように表情を定めた成美が顔を上げた。

「霊視ができて、長身で、モデル体型のイケメンさんですか……小清水さんの恋人さん、凄まじい高スペックの持ち主ですね」
「え? ……違います違います! あの人は私の知人というか友人というか、ひとまず恋人なんかじゃありませんので……!」
「ふふっ、そんなに焦って否定されちゃ、余計に勘ぐっちゃいますよ?」

 楽しげに肩を揺らす成美に、疑念の色はなかった。

「ありがとうございます小清水さん。正直、今回のことは犯人の目星も解決方法が浮かばず、本当に悔しかったんです。先輩の名誉が傷つくのを、私は黙って見ているしかできないのかと」
「成美さん」
「庇ってもらった挙げ句、こんなことを頼んでしまって本当にすみません。けれど、お願いします。どうかどうか、先輩の疑いを晴らしてください……!」

 姿勢を正した成美が、深々と頭を下げる。

 傍らに置かれた成美の鞄から、猫のキーホルダーの鈴がチリンと小さく届いた。