彼女の右腕は、赤く爛れたような痕があった。
幼い頃に神社の小屋を秘密基地にして遊んでいると、突然天候が悪くなり、小屋の隣の木に雷が直撃した。そのせいで小屋には火の手が上がり、瞬く間に一ノ瀬さん達の逃げ場はなくなってしまったらしい。
けれど一ノ瀬さんと一緒にいた男の子は、外へと通じる隙間を見つけ、咄嗟に一ノ瀬さんをその隙間に押し込んだ。背丈の小さかった一ノ瀬さんは間一髪小屋から脱出できたが、その隙間から男の子が出てくることはできなかった。右腕の痕は、その時に負った火傷の傷。
一ノ瀬さんはそう教えてくれた。
「その子はわたしのために亡くなってしまったんですけど、どうしてもわたしが生きているかを確認したくて、幽霊になってこの世界を彷徨っていたんです」
淡々と話す彼女は、余計な感情を出さないようにしているように見える。
「夏休みに一ノ瀬さんと再会して、ようやく成仏できたってこと?」
「ある日突然姿を消してしまったので、成仏したのかどうかまでは……そうだと嬉しいのですが」
あまりにも非現実すぎる幽霊の話と、彼女の記憶に残っている鮮明な当時の様子。正直僕はこの話をどう処理すれないいのかがわからない。
もしも一ノ瀬さんが通りすがりの赤の他人であれば、適当に相槌を打って聞き流していただろう。真剣に話している一ノ瀬さんには申し訳ないが、完成度の高いお伽噺のように思えてしまう。
ただ、生々しい右腕の傷を見せられてしまうと、これがフィクションだとは思えない。
それに、どう考えても一ノ瀬さんが嘘を付いているようには見えなかった。むしろ彼女が身を削ってこの話をしてくれているような感覚がし、僕の頭は余計に混乱した。
せめて彼女の気分を害しないようにと配慮するので精一杯だった。
「不思議な体験もあるんだね」
「あの、無理に信じて下さらなくても大丈夫ですからね」
「うーん。でも、一ノ瀬さんが嘘をついているようにも思えないんだよな」
そう言うと、一ノ瀬さんは少し驚いてから、穏やかな笑みを僕に見せた。こんな表情を向けられることは予想していなかったから、不覚にも僕の心臓の鼓動は少しばかり早まった。
「ありがとうございます。でも、あまりにも現実離れした話だというのもわかっています。家族や友達に話したら、決まってわたしの体調を心配しますし、それ以外にも……」
「まあ、普通はそういう反応になるよね」
普段真面目で物静かに見える人間が突然突飛なことを言い出せば、周りの人間は一気に警戒体制に入る。
アニメや漫画でもよくある。一見優しそうに見える登場人物が、実はえげつない殺人を繰り返す常習犯であるなんてことが。その時の騙されたような裏切られたような感覚は、作り話でも胸糞悪い。
「高倉さんは優しい方ですね。わたしの変な話を真剣に聞いてくださるので」
優しいわけがない。
「大袈裟だよ。でも、その体験は大事にしておいてほしい」
これまでもっと素っ頓狂な発言をする人間を何度か見てきた。
自分は神の使いだとか、先祖の魂が乗り移っているだとか。おまけにあたかも自分が世界の創造主であるかのように発言し、他人に体験を肯定させる。それが周りの人間を苛つかせていることを知りもせずに。そういう人間は本当にタチが悪い。
たしかに一ノ瀬さんの話は、なんというか、身構えてしまう部分はあるがまだ可愛い方だと思った。それに、彼女がこれまでのイタい人間と決定的に違うのは、この話を信じることを決して強要しないことだ。
彼女はどこにでもいる普通の人間だ。見えているものが少し違うだけ。
一ノ瀬さんの一面を知ることができた。そう綺麗に纏めることに成功する。
「駅に着いちゃいましたね。聞いてくださってありがとうございます」
「こちらこそ、話してくれてありがとう」
浜岡駅に着くとタイミングよく電車が到着するアナウンスが聞こえてきた。
「それじゃ、また」
「お疲れ様です」
電車に乗り込むと、肺の中に溜めていた息を大きく吐き出す。
鞄に入れていた読みかけの新書を手に取り、栞を挟んでいるページを開く。続きの文字を目で追うが、内容がなかなか頭に入らない。代わりに、一ノ瀬さんの幼少期の事故の様子が何度も頭に浮かんできた。
いつの間にか、全身が緊張していたことに気が付き、また大きく息を吐く。
家に着いて玄関の扉を開けた途端、冷蔵庫に食材がほとんど残っていないことに気が付く。
時計を見ると、夜の9時半を過ぎている。歩いて十分くらいのところにスーパーがあるが、この一帯地域のお店は大体9時に閉店してしまう。
コンビニに行こうにも、倉庫から自転車を引っ張り出さなければいけないが、そんな体力はもう残ってはいない。
幸いキッチンの戸棚の隅にインスタントのココアが残っていたから、今日はそれから糖分とカロリーを補給することにする。ひもじい気分だが仕方がない。
田舎暮らしが不便に思うのは、まだこの地域に完全に溶け込んでいないからだろう。
幼い頃に神社の小屋を秘密基地にして遊んでいると、突然天候が悪くなり、小屋の隣の木に雷が直撃した。そのせいで小屋には火の手が上がり、瞬く間に一ノ瀬さん達の逃げ場はなくなってしまったらしい。
けれど一ノ瀬さんと一緒にいた男の子は、外へと通じる隙間を見つけ、咄嗟に一ノ瀬さんをその隙間に押し込んだ。背丈の小さかった一ノ瀬さんは間一髪小屋から脱出できたが、その隙間から男の子が出てくることはできなかった。右腕の痕は、その時に負った火傷の傷。
一ノ瀬さんはそう教えてくれた。
「その子はわたしのために亡くなってしまったんですけど、どうしてもわたしが生きているかを確認したくて、幽霊になってこの世界を彷徨っていたんです」
淡々と話す彼女は、余計な感情を出さないようにしているように見える。
「夏休みに一ノ瀬さんと再会して、ようやく成仏できたってこと?」
「ある日突然姿を消してしまったので、成仏したのかどうかまでは……そうだと嬉しいのですが」
あまりにも非現実すぎる幽霊の話と、彼女の記憶に残っている鮮明な当時の様子。正直僕はこの話をどう処理すれないいのかがわからない。
もしも一ノ瀬さんが通りすがりの赤の他人であれば、適当に相槌を打って聞き流していただろう。真剣に話している一ノ瀬さんには申し訳ないが、完成度の高いお伽噺のように思えてしまう。
ただ、生々しい右腕の傷を見せられてしまうと、これがフィクションだとは思えない。
それに、どう考えても一ノ瀬さんが嘘を付いているようには見えなかった。むしろ彼女が身を削ってこの話をしてくれているような感覚がし、僕の頭は余計に混乱した。
せめて彼女の気分を害しないようにと配慮するので精一杯だった。
「不思議な体験もあるんだね」
「あの、無理に信じて下さらなくても大丈夫ですからね」
「うーん。でも、一ノ瀬さんが嘘をついているようにも思えないんだよな」
そう言うと、一ノ瀬さんは少し驚いてから、穏やかな笑みを僕に見せた。こんな表情を向けられることは予想していなかったから、不覚にも僕の心臓の鼓動は少しばかり早まった。
「ありがとうございます。でも、あまりにも現実離れした話だというのもわかっています。家族や友達に話したら、決まってわたしの体調を心配しますし、それ以外にも……」
「まあ、普通はそういう反応になるよね」
普段真面目で物静かに見える人間が突然突飛なことを言い出せば、周りの人間は一気に警戒体制に入る。
アニメや漫画でもよくある。一見優しそうに見える登場人物が、実はえげつない殺人を繰り返す常習犯であるなんてことが。その時の騙されたような裏切られたような感覚は、作り話でも胸糞悪い。
「高倉さんは優しい方ですね。わたしの変な話を真剣に聞いてくださるので」
優しいわけがない。
「大袈裟だよ。でも、その体験は大事にしておいてほしい」
これまでもっと素っ頓狂な発言をする人間を何度か見てきた。
自分は神の使いだとか、先祖の魂が乗り移っているだとか。おまけにあたかも自分が世界の創造主であるかのように発言し、他人に体験を肯定させる。それが周りの人間を苛つかせていることを知りもせずに。そういう人間は本当にタチが悪い。
たしかに一ノ瀬さんの話は、なんというか、身構えてしまう部分はあるがまだ可愛い方だと思った。それに、彼女がこれまでのイタい人間と決定的に違うのは、この話を信じることを決して強要しないことだ。
彼女はどこにでもいる普通の人間だ。見えているものが少し違うだけ。
一ノ瀬さんの一面を知ることができた。そう綺麗に纏めることに成功する。
「駅に着いちゃいましたね。聞いてくださってありがとうございます」
「こちらこそ、話してくれてありがとう」
浜岡駅に着くとタイミングよく電車が到着するアナウンスが聞こえてきた。
「それじゃ、また」
「お疲れ様です」
電車に乗り込むと、肺の中に溜めていた息を大きく吐き出す。
鞄に入れていた読みかけの新書を手に取り、栞を挟んでいるページを開く。続きの文字を目で追うが、内容がなかなか頭に入らない。代わりに、一ノ瀬さんの幼少期の事故の様子が何度も頭に浮かんできた。
いつの間にか、全身が緊張していたことに気が付き、また大きく息を吐く。
家に着いて玄関の扉を開けた途端、冷蔵庫に食材がほとんど残っていないことに気が付く。
時計を見ると、夜の9時半を過ぎている。歩いて十分くらいのところにスーパーがあるが、この一帯地域のお店は大体9時に閉店してしまう。
コンビニに行こうにも、倉庫から自転車を引っ張り出さなければいけないが、そんな体力はもう残ってはいない。
幸いキッチンの戸棚の隅にインスタントのココアが残っていたから、今日はそれから糖分とカロリーを補給することにする。ひもじい気分だが仕方がない。
田舎暮らしが不便に思うのは、まだこの地域に完全に溶け込んでいないからだろう。