いつの間にか深海魚エリアが終わり、次のエリアへ移っていた。わずかに明るさを取り戻した館内は、しっとりとした閑散さを孕んで、静かに私たちを包みこむ。
「まあこの水族館と一緒で、鑑賞側には正直こっちの心情なんて関係ないからさ。人の目に触れるコンクールとかに限っては、たんに学生の鉛筆画が珍しいっていうのもあるんだよ。技術的な面の評価はあるかもしれないけどね」
「そんなこと……っ、そんなことないです!」
思わず私は声を張り上げていた。
拒絶するようにユイ先輩の手を離して、胸の前でぎゅうっと強く握る。爪が手のひらを裂きそうなくらい食い込むけれど、痛みは感じない。
痛いのは、心だ。
痛覚が完全になくなりかけていることを忘れてしまいそうなくらい、痛い。
「色があろうがなかろうが、関係ありません。ユイ先輩の絵はそれ以上の……なんというか、上手く言えないけどっ、先輩にしか表せない世界があるんですよ」
写真でもなく、自らの手で描き残すことにこだわるのは、その世界を自分しか描き出すことができないから。世界中、他の誰にも真似ができないものだからだ。
「……俺にしか、表せない?」
「そうです。先輩の世界は──あの、泡沫みたいな。この世のなによりも澄んでいて、まるで浄化されるような美しさを孕んでいるのに、なぜか消えてしまいそうで目が離せない。そんな世界なんです」
初めてユイ先輩の絵を見たときに受けたあの衝撃は、忘れられない。
この世のすべてを涙で飲み込んでしまいそうなくらい、それは悲しさで溢れていた。
にもかかわらず、あんなにも淡く儚く美しく生きている色のない絵を、私は見たことがなかった。惹き込まれて、囚われて、叶いようのない夢を与えられた。
「贈り物でも呪いでも、色があってもなくても、ユイ先輩が見えているものなら、それがすべてなんです。先輩の絵ならなんでも好きな私の前で、そんなこと言わないでください。先輩の絵は、珍しいとか技術とかで片付けられるほど、安くない」
ユイ先輩を初めて見たときも、同じ衝撃を受けたのだ。
ああ、あの絵は、この人そのものなんだと。
「っ……」
ユイ先輩がわかりやすく狼狽えた。夜色の瞳で私をじっと見つめたまま、しかし言葉が見つからないのか、口を開けては閉めを繰り返す。
やがて喉の奥から絞り出すように零れ落ちたのは、また予想を反した言葉だった。