「そういえば、先輩が生き物の絵を描いてるの見たことないかも。なにか理由があるんですか? こだわりとか?」
興味本位で尋ねると、ユイ先輩は顎に指を添えて虚空を見つめた。
それからわずかに「んん」と唸り、ゆらゆらと視線を泳がせる。
「……そう言われると、明確に考えたことないかも。なんとなく避けがち。たぶん、鉛筆で生命力を表現するのはあまり向いてないんだよ」
「ああ、なるほど。感覚的なものだけどわかる気がします。瑞々しさというか、こう内から湧き上がってくる命の煌めきみたいなものですね」
「うん。あくまで形取っただけのスケッチみたいなのはべつなんだけど、俺が描くと、過不足になるというか……どこかで描いちゃいけないかなって思ってる」
先輩は思案気に「たぶんね」と独り言のようにつぶやく。
「描いちゃいけない……?」
どういう意味だろう。
さすがに汲み取れなくて繰り返した私に、ユイ先輩は少し困ったような顔をした。
視線を三点ほど空中で動かしながら、「ええと」と頬を掻く。
「そもそも、俺が色を使わずに絵を描くのは、俺自身がそう見えてるからでさ」
「見えてる……色がない、てことですか?」
「こういう色って認識はしてるよ。それを写実的に描き起こすのは容易いし、たぶんできるんだけど、それは俺の描きたい絵じゃないし。まあ、昔は──幼い頃は、俺も色を持った絵を描いてたんだけどね」
え、と。私は思わず瞠目して立ち止まった。
ユイ先輩が色のある絵を描いていたことがあるなんて、聞いたことがない。少なくとも五年前、先輩が中一だった頃には、すでにモノクロ絵を描いていたはずだ。
つまりそれ以前、ということだろうか。
「──……俺ね。中学に上がる前に、母を亡くしたんだ」
「……っ」
ユイ先輩は立ち止まった私の手を引いて、歩くよう促しながら続ける。
ちょうど深海魚エリアに到達したところだった。
海の奥深く、人の手が及ばない場所で生きている海洋生物たちに配慮してか、いっそう照明が暗い。それがなおのこと、ユイ先輩の発言を縁取って動揺を誘う。
「それから、色味のある絵を描けなくなった。なにひとつ」
「……お母さまの、ショックですか?」
「どうなんだろう。正直よくわからないけど……うん。でも、そうなのかもね」
ユイ先輩は、ふっと自嘲気味に息を吐いて、水槽に目を遣る。