ハサミを数回動かしながら、ユイ先輩は私の隣に腰を下ろした。
揺蕩う水面のように憂いのある眼差しが、もうほとんど花弁を落としてしまった桜の木へと向けられる。ふっと、先輩の体から力が抜けたのがわかった。
「俺は、小鳥遊さんが思うほど、すごくもなんともないんだ」
「……先輩?」
「君は初めて会ったときから、やたらと俺を買い被ってるところがあるでしょ」
「そう、ですか?」
うーん、と考えるもピンとはこない。はなから私はユイ先輩を常時リスペクトし続けてきているわけだから、多少の課題評価は当然といえば当然なのだ。
「ユイ先輩って、変なところで自信がないですよね」
「え?」
「基本的に、絵を描くこと以外はどうでもいいっていうか……一見、流されるままに生きてる感じですけど、意外と完璧主義じゃないですか」
誰だって得手不得手はあるものだ。
しかしユイ先輩は、自分のできないことに対して、ひどく負い目を感じているところがある。できることをできないことで相殺してしまう、というか。
「……わからない。そう、なのかな」
「少なくとも、私にはそう見えます」
そして絵を描くこと自体に、なにかどうしようもないうしろめたさを抱いている。
胸を張れるほどの実力と経歴を持ち合わせながら、彼はそれをいっさいひけらかさないばかりか、己の栄光に露ほども興味がないのだ。
どうして、とずっと疑問に思っていた。
でも、そこにはきっと先輩しか知らない事情があるのだろう。私の『ただの後輩』という立ち位置では、なかなかその繊細な部分まで立ち入ることは難しい。
「生意気かもしれませんけど、さっきの言葉。絵を描くことしかない、じゃないですからね。できることがあるってすごく特別なことなんですよ、先輩」
「……だとして、君はどうなの」
「え?」
「君も絵を描く人でしょ」
まあたしかに、私も生粋の絵描きだ。ユイ先輩には及ばずとも、絵に関しては並々ならぬ思いがある。特別、と言えば、きっと自分にも当てはまるのだろう。
だが、そこは明確に違う。私と先輩では、はなから比べることはできない。
「私は絵を描くこと自体に、そこまでこだわってないんです」
「……?」
「絵を描くのは──描いていたのは。その先に希望があったからでした。だけどこの希望はもう、仮に私が絵を描けなくなったとしても続くものになったので」