「……か、覚悟って、なんの」

「人を想う覚悟よ。あなたが、ひとりの人間として、自分ではない誰かを心の底から想って生きていく覚悟。あのね、人を想うってそんなに簡単なことじゃないの。幸せなことばかりじゃない。あたしを見れば、わかるわよね?」

 こくり、と俺は曖昧に顎を引く。

「出逢いはたしかに変わるきっかけになる。けれどね、自分が変わりたいと思わなければ変わることはないの。人の本質は確固たるものだから。そのうえでどう変化していくか、どう受け入れて馴染んでいくかは、自分次第よ」

 榊原さんの言葉は難しくて、俺にはその真意をすべて読み取ることは困難だった。
 されど、今、彼女がとても大事なことを伝えようとしてくれているのはわかる。
 ひとつとして取り零してはならない、俺に必要な『なにか』がそこにあるのだろう。

「だから、ちゃんと自分と向き合って、ちゃんと変わって。結生」

 ──けれども、はたしてそれは、人形の俺に理解できることなのか。

「俺は……変わらないといけないの」

「さあね。でも、変わらないときっとあの子には近づけないわ」

 意味深にそうつぶやいて、榊原さんはゆっくりと俺の胸ぐらを解放した。

「正式にフラれたからには、あたしは小鳥遊さんを応援する。女々しく結生のことを想い続けたりはしないから、安心してちょうだい」

「っ……」

「大事にしてあげて。彼女を幸せにできるのは、あなたしかいないんだから」

 消え入りそうな声でそう言い落とし、榊原さんはふたたび歩いていく。
 そのうしろ姿を見送りながら、俺は茫然とその場に立ち尽くした。
 なんて強い子だろう。
 そう思いながら、次に顔を合わせたときにかける言葉を見つけられない。
 俺がもし榊原さんの立場になったら、同じことを小鳥遊さんに言えるのだろうか。
 今でさえ右往左往して、迷ってばかりなのに。

「……どうして、そんなに悲しそうなの」

 彼女の声音に含まれた憂いは、フラれたことによるものではない気がした。
 引き留めて尋ねたくても、喉の奥に引っかかって声が出てこない。
 だって、今のはきっと俺と小鳥遊さんへ向けられたものだ。
 俺しかいないってなんだ。
 俺なんかじゃ、むしろ心配になるのではないのか。
 わけがわからない、と俺は俯きながらぎゅっと拳を握りしめた。