今度は私が驚く番だった。やめた、とはまた心外な。

「……。わかんない。どうしてかな。そう思い込んでた」

「えー、なんですかそれ。相変わらず先輩ワールド絶好調だなあ」

 ユイ先輩こと、春永結生。ここ、月ヶ丘高校の三年生。八割が幽霊部員の美術部における部長であり、業界では知る人ぞ知る天才高校生画家だ。
 否、正しくは『天才モノクロ画家』。
 彼は、鉛筆一本のみであらゆる世界を明瞭に映し出す鉛筆画を得意とし、いっさいパレットを持たない画家として名を馳せている。
 というのも、毎年行われる学生絵画コンクール──全国の若き画家たちがこぞって腕を奮うこのコンクールで、先輩は輝かしい経歴を残しているのだ。
 それも激戦区と恐れられる関東地区において、中学部門で三年間連続金賞受賞。その後、高校部門へ移り、現在二年連続金賞受賞。
 今年のコンクールも春永結生が金賞だろうと、誰もが信じて疑わない。名実ともに天才の冠を被り、頂点に君臨し続けている学生画家の王さま。
 そんな彼は、高校に進学するや否やなぜか奇抜な銀髪男子となり、いまだに四方から『グレたのか?』と、まことしやかに囁かれているけれど。
 まあ、見ての通り、まったくそんなことはない。

「でも、うん。新学期早々、まるまる一ヶ月も休んだら、そりゃあ退学したって思われても仕方ないですね。すみません、なんの連絡もせずに」

「……や、べつに」

 実際のユイ先輩は、ひとことでは言い表せない不思議な人だ。
 内面的な天然さは元より、特筆すべきは、ふっと気を抜いたら瞬く間に空気に溶けて消えてしまいそうな儚い雰囲気だろうか。
 まるで作り物のように端正で中性的な容姿。低すぎず高すぎない耳心地のよい声。
 ワンテンポ挟んだ話すトーンの緩やかさはどうにも調子を崩されるが、慣れてしまえばそれこそがユイ先輩だと思わせられる。
 そんな、己の世界が完璧に確立されている人。

「勝手にやめたと思ってたのは、俺の方だし」

「あ、わかっちゃいますよ、私。ユイ先輩、今ちょっと怒ってるでしょ」

「怒ってない。たぶん」

「たぶん」

 こんなモテ要素を詰め込んだユイ先輩の周りに、驚くほどミーハーな女子たちが集まらないのは、鉄壁のような無表情が標準装備だからだ。